私は二十歳で子供十字軍として激戦の東部戦線に送られバルジの戦いを経験した。94歳生存者語る
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「バルジの戦い」 生存兵が語る地上の激戦
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191229-00010000-nknatiogeo-eurp
1944年12月、ドイツ軍は追い詰められていた。同年6月のノルマンディー上陸以降、連合軍はヨーロッパで快進撃を続け、ドイツ国境まであと一歩というところへ迫っていたが、その頃はもう何週間もヒトラーの軍と本格的な戦闘を交えていなかった。
ベルギーのアルデンヌの森で、仲間とともにいた米軍歩兵のクリス・カラワン氏は、道に迷ったと思われる2人のドイツ兵を捕らえた。そのうちのひとりは、ほぼ完璧な英語を話した。
「今すぐここを撤退した方が身のためだぞ」。そのドイツ人はカラワン氏に警告した。「お前らを海へ追い落とそうと準備中なんだ」
カラワン氏らはこの警告を上官に伝えたが、取り合ってもらえなかったという。負け犬が大きな口を叩いているだけだと、鼻で笑われた。国境の向こうの森で機械音が鳴り響いていたが、それは第三帝国(ナチス・ドイツ)が退却する音であり、ヒトラーはもう終わったと考えていたのだ。
そして迎えた12月16日の朝のこと。
「まず、強烈な迫撃砲弾の雨が降ってきました」。カラワン氏はそう振り返る。木々の向こうに隠されていた1900台の迫撃砲による猛攻撃が、90分間続いたという。
「第2次世界大戦のなかでも、最も激しい集中砲火だったと思います」と語るのは、75年前に起こったバルジの戦いを記録した『The Longest Winter(最も長い冬)』の著者アレックス・カーショウ氏だ。「大地を揺るがす、衝撃的な戦いでした」
今年94歳になったカラワン氏は、米サウスカロライナ州コロンビアにある自宅のソファーに座り、反対側に座る74歳の妻アルマさんへ向かって小さく微笑んだ。
しかし、その時カラワン氏の目に映っていたのは、20歳のあの日に目にした光景だったのだろう。近代戦上、最大規模の激戦を前にして、若い兵士は恐怖に打ち震えていただろう。
「その次は、機関銃掃射の嵐です。ヒトラーの全軍が一斉に森から飛び出してきたように感じました」
「機関銃掃射の嵐」というカラワン氏の表現は、あながち間違いではない。森の向こうには、実際に40万人以上のドイツ兵と約1400台の戦車が潜んでいたからだ。
ソビエト戦線が敗色濃厚となった当時、ヒトラーはアルデンヌで奇襲攻撃を仕掛けて連合軍を分断し、アントワープの港までの道を確保しようとする賭けに出たのだ。
港まで到達すれば、崖っぷちにあったドイツ軍にとって一番必要な物資が手に入る。事実、戦車の燃料が底を尽きかけていた。作戦がうまく行って連合軍を包囲できれば、ドイツに有利な平和条約が引き出せると考えていたのだ。
油断していた連合軍は、このとき戦闘準備がまるで整っていなかった。
「このときの西部戦線は、イギリス海峡からイタリアまで伸びる長いものでした。連合国側も人員から装備まで何もかも不足していたのです」と、カーショウ氏は言う。
前線の中央に配備されていた第106歩兵師団の2連隊は、あっという間に壊滅し、生き残った兵士は捕虜として捕らえられた。このとき捕虜となった兵士のなかには、若き日の作家カート・ヴォネガットもいる。当時の過酷な体験から生まれたのが、有名な『スローターハウス5』という小説だ。
1944年のヨーロッパは記録的な寒さに見舞われていた。戦闘は1カ月以上続き、悲しいほど物資が不足していて、連合国の兵士たちは冬用のコートも靴も与えられていなかった。
夜ブーツを脱いでしまうと、翌朝には凍傷で足がむくんで膨れてブーツに入らなくなってしまうため、ブーツを履いて眠るのが日常だった。75年が経過した今も、バルジの戦いを経験した兵士の多くが凍傷の後遺症を患っている。
米ペンシルベニア州の炭田からそのまま戦争へ駆り出されたフランシス・チェスコ氏は、ノルマンディー上陸作戦の決行から24時間後にフランスへ到着した。そこからヨーロッパ北部へ移動し、気づいたときには、自分の部隊と一緒にアルデンヌ行きの列車に乗せられていた。
「休暇に連れて行ってくれるのかと思っていましたが、とんでもない勘違いでしたよ。列車を降りた途端、地獄が空から降ってきたのかと思いました。恐ろしい轟音で、頭のすぐ上で雷が鳴り響いているようでした」
ドイツ軍の圧倒的な軍事力、そして悪魔のようなずる賢さに舌を巻いたという。
「ドイツ軍は、連合軍の軍服を着たパラシュート部隊を投入しました。道路の標識を逆にするなどして、彼らが仕掛けた罠に我々を誘導しました。また十字路に立って、反対方向を指すこともあったのです。
こうした工作には英語を完璧に話す敵軍兵士が参加していました。でも、さすがの彼らも、連合軍が使う合言葉は知りませんでした。『小さな』と呼び掛けて、相手が『孤児アニー』と答えられなければ、軍服が同じで上手に英語を話しても敵だと分かりました」
バーノン・ブラントリー氏(95歳)は、運転していたジープがドイツ軍の迫撃砲弾を受けたときのことを思い出していた。
「同乗していた3人は車を飛び降りましたが、私はひっくり返ったジープの下敷きになってしまいました。その時のことは全く記憶していないのですが、あとで聞いた話だと、口や耳、鼻など穴という穴から出血していたそうです」
ブラントリー氏は戦場病院に緊急搬送され、その後パリの病院に送られたが、数カ月後には元の部隊に戻っていた。
バーノン・ブラントリー氏(95歳)は、運転していたジープがドイツ軍の迫撃砲弾を受けたときのことを思い出していた。
「同乗していた3人は車を飛び降りましたが、私はひっくり返ったジープの下敷きになってしまいました。その時のことは全く記憶していないのですが、あとで聞いた話だと、口や耳、鼻など穴という穴から出血していたそうです」
ブラントリー氏は戦場病院に緊急搬送され、その後パリの病院に送られたが、数カ月後には元の部隊に戻っていた。
ブラントリー氏の旧友で、ともにバルジの戦いを戦ったジェラルド・ホワイト氏(93歳)は、18歳で戦場へ送られた。当時「まだひげも生えていませんでした」と話す。
「ジープを運転して、砲弾を積んだトレーラーを牽引していました。そこを攻撃されたら、ひとたまりもなかったでしょう。この任務に就くのは私が3人目だと言われましたが、前任者の2人がどうなったかは聞かされませんでした」
ジョー・ワトソン氏も、アルデンヌの田園地帯でジープを運転し、迫撃砲を運んでいた。運転する兵士は、敵の格好のターゲットだったという。
「迫撃砲を引いて道路を走っていると、すぐ後ろで敵の砲弾が次々に炸裂するんです。ドーン、ドーン、ドーン、というように、本当に映画の一場面のようでした」
「若い兵士が最高の兵士だと言われる理由はシンプルです。彼らは、自分が死ぬとはつゆほども思っていません。ですから、とんでもないことをやれと命令されても、『実行します』と答えて出ていくのです」
テレビが置かれた部屋で快適なソファーに収まったクリス・カラワン氏は、消え入りそうな声で言った。「仲間といるときは、感情的になりすぎるな、と言われます。でも、無理ですよ」
ある日、カラワン氏が親友のドイル・グリフィス氏と上官のハリー・ストーン氏と一緒に見通しのいい野原を歩いていると、突然ドイツ軍の戦車が火を噴いた。
「ドイルはもう少しで真っ二つに引き裂かれるところでした」と、振り返る。「倒れたドイルは、しきりに母親を呼んでいました。そこで私は『じっとしていろ』と命じて救急隊を呼びました。その後の経緯はわかりませんが、ドイルは助かりました。でも、上官は亡くなりました。上官はきっと、自分が何に撃たれたかも分かっていなかったと思います」
「なぜ私だけが戦車の攻撃をかいくぐることができたのか分かりません。でも、これだけは言えます。今朝、起きると、ハリー・ストーンのことを思い出しました。私は、こうして94歳まで生きることができました。バルジ戦で亡くなった多くが20代になったかならなかったかという若者でした。私は、彼らの分も人生を生きたのだと思うことがあります」
翌45年1月1日までに戦いの流れは変わったが、戦闘は1月24日まで続いた。この戦いで、米軍には1万9000人の死者が出ている。ドイツ軍は、連合軍の戦線を一部突破したものの、それ以上前進することはなかった。ナチスの勢いは、連合軍の反撃で失速し、アントワープで手に入れたかった物資を得ることもできず、最後の力を使い果たした。
バルジの戦いは、追い詰められて土壇場で巻き返しを狙ったヒトラーの最大の抵抗だったと、著者のカーショウ氏は語る。
「戦争とは、次に何が起こるのか予想ができないものです。でも、ナチスの作戦はリスクの高い賭けでした。賭けが成功するためには運が味方する必要もありましたが、結局ナチスの命運は尽きたのです」 アムロやカミーユも16やそこらで戦ってた
ウッソなんか小学生 バンドオブブラザーズの2話でも若い兵士が戦死して主人公が嘆いてたな
「まだビールも買えない歳だった」
そんな若者を戦場に送り込むなよ
いくら志願兵とはいえ
ヒトラーと側近がマヌケすぎ。特に麻薬患者ゲーリング+マンシュタインを起用しなかったから
>>13
そういう問題じゃないだろ
ドイツに勝ち目は最初からなかったわけで >>14
いずれソ連から攻め込まれるから先にやっちゃえ
だった
>>14
いきなりステーキの社長なら答えてくれるかもしれん。 >今年94歳になったカラワン氏は、反対側に座る74歳の妻アルマさん
20歳差…
こ の ロ リ コ ン め 。
アグネェーッス!アグネスはやく来てくれーっ!、アグネェーッス! ヒトラーユーゲントなんて15歳ぐらいだろ
まあガキと侮ってたらえらい目に逢わされたわけだが 縦深攻撃に対抗できる術は未だに開発されてないんだよなぁ。。。
ただ、縦深攻撃やるには国力が必要なんで、実はロシアもおいそれとは
やれないらしい。そこだけが救いか。 ドイツはもう少しで真っ二つに引き裂かれるところでした 島さんの実物みたらガッカリするんじゃないかなテレサさん
相原って余計なこと言いだよねいつも >>17
ソ連は長期戦・持久戦のオーソリティなんだよなあ。。。
アッチから攻め込んでこないとこっちに勝ち目は無いかと。 >>29
ドイツが四発重爆を開発して戦略爆撃を実施してれば
ソ連の継戦能力を削げたかもね >>15
日露だって最初から勝ち目は無かったと見る人多かったが違った
戦争してる本人達はそう思ってなかったり、なんとか勝ちたい、勝たねばとあれこれやってたことだから
結果知ってからの後知恵バイアスだなー ドイツが戦勝国になる分岐点は西部戦線でいくつかあった
ダンケルク アシカ作戦の中止
東部戦線は勝てるとは思えない >>36
有事になれば一個師団を指揮する用意があるが? 俺は黒十字軍に入ってゴレンジャーと遊んでみたいな
機関車仮面「わしの時代は終わった〜!」 >>1
ソースに正しく「西部戦線」と記述があるのに、なんで東部戦線なんだ? 20歳で子ども扱いされていることに憤慨している(94) >>34
あれこそ奇跡かマグレだよ
あの成功体験が後の勘違いを産んでる
アメリカにも勝てるってね >>14
元々、シュリーフェンて奴が考えた作戦だったんよ
当時は動員かけた相手には自動的に攻め込む命令書が出てるのが通常だった
一次大戦はそれで負けたって分析が出来て無かったのでは バルジ大作戦っていい映画だったな
実写ドキュメンタリーかと見間違うくらい ウリも二十歳で軍に徴兵されて部隊長に女にしてもらったニダヨ。
除隊の時はチンポ狂いの立派な変態野郎になってたニダヨ。 ドイツ軍はアンデンヌ突破したのは良いが
進撃するドイツ軍の補給線に対して航空攻撃を敢行、
ドイツ軍は予定の3分の1程度進撃しだ時点で
燃料不足で結局進軍停止
アンデンヌの森を戦車は抜けられまいと思っていた
連合軍の油断だったんだけど、
戦争初期のベルギー陥落の際に既にアンデンヌでドイツ戦車突破されてたんで
油断つーより失念ではないかと後で非難されてる
なんせアメリカ兵が2万も死んだからね アホか
ベトナム戦争のアメリカ兵はティーンエージャーだぞ 映画バルジ大作戦って、50年以上前の正月映画だったな
その年は大寒波がやって来ていて、大雪が降り
庭に雪が積もっていたそんな夜に
上の兄二人して私をひとり家に残して、バルジ大作戦を
見に行ってしまった
両親とも仕事で帰って来ないし、家にひとり残されて
怖くて泣いていた想いで 日露だって海戦で勝っただけで陸戦では引き分け
わざと退却して敵を奥地に誘い込み疲弊させて補給線が延びきったところを叩く >>45
シュリーフェンが考えたのはベルギーを経由してフランス攻める作戦だろ
そもそもシュリーフェン存命中にソ連自体が存在してねぇよ ガキから戦場に送り込むのは米国の伝統だから
この人も語ってるけど、若者ほど正義感が強く何も考えてないから使い易い
今は教育水準も向上したので同じようには行かないだろうけど 学徒出から海軍航空隊に行ったうちの爺ちゃんは20歳でいきなり少尉だったぞ。 もう少し踏み込んで高取英「ミカエラ学園漂流記」まで行ってくれたら
反応する奴は多かったと思う。 ティーガーエースのオットーカリウスも21歳の少尉で活躍してるし
戦士としてみたら二十歳は若すぎるわけじゃないな >>44
奇跡ではあるがマグレではないよ
綿密な作戦骨子があったから
ジンギスカンみたいに現地調達すれば
後は大抵どうにかなると兵糧すら
ろくに考えられない
アメリカと戦争してた無能とは違う とにかく二十も年下の娘を嫁にしたロリコンだと分かった >>56
それを言うなら日本軍にも少年飛行兵とか少年戦車兵とか海軍特年兵とかあったので >>53
別の意味でトラウマを植え付けたバルジの戦いは凄まじいな。 >>47
ロケ地に雪が降らなかったから雪原の戦車戦がなぜか砂漠の戦車戦に 戦場では兵士達の半数以上が敵兵士を狙って撃ってないってマジ?
太平洋戦争でもアメリカ軍兵士の半分は日本兵を狙って撃ってないか
わざとあらぬ方向に発砲してたらしい
人殺しの心理学って本に書いてあった 戦場では兵士達の半数以上が敵兵士を狙って撃ってないってマジ?
太平洋戦争でもアメリカ軍兵士の半分は日本兵を狙って撃ってないか
わざとあらぬ方向に発砲してたらしい
人殺しの心理学って本に書いてあった 余裕ぶっこいてソロモン攻めたら、ビグザムとかエルメス出てきちゃった感じか >>44
児玉源太郎のおかげで講和まで持っていけた
金子堅太郎がハーバード大の友達セオドアルーズベルト大統領に仲介頼めたから講和のテーブルにつかせることができた
そのまま消耗戦になったら日本滅亡だよ
その時の戦費をユダヤから借りてきたくせに、南満州鉄道の共同経営を鉄道王ハリマンと進めるはずだったのに、小村寿太郎が破棄した
アメリカユダヤが怒るのも無理はない 武装親衛隊ヒトラーユーゲント師団か
子供だけで構成された部隊だけど活躍した >>56
日本もかつては15歳成人で戦場に送り出されてたのでは 欧州での戦線は太平洋や中国大陸での戦線よりはまだマシだったんだろうな >>89
ネトウヨは日本はアジアを差別主義の白人から解放した、って言ってるけど、
本当の意味で人種差別主義者と戦ってたのはロシア人だよなあ
「ユダヤ人は絶滅させる、スラブ人は去勢して奴隷にする」って公言してる連中が敵だったんだもん やっぱり血湧き肉踊るのは欧州戦線だよな
太平洋戦線は貧乏臭い話ばかりだから嫌い >>79
同意 ある程度でも満州に米国資本を入れていれば決定的な対立までは至らなかったのでは、と思う >>17
スターリンはソ連軍を全然信用してなくて、ドイツと戦えば死ぬから
ドイツと本格的な同盟したがってたようだぞ。 ヒトラーがワーグナーばかり聴いていないでチャイコフスキーの『1812』聴いていれば、少しはバルバロッサ作戦も考え直していたかもなぁ。 >>10
モンゴル人の怖さが刷り込まれてるのは何故? ガレキ迷彩服持ってるがアルディンヌバージョンらしく暗い色味。結構色々パターンがあって面白いドイツ軍迷彩服達。 >>100
俺たちは勝ってるのでヒビるこたないだろw >>94
結局は満州なんだよな
ここをガメようとしたのが日本の誤り >「若い兵士が最高の兵士だと言われる理由はシンプルです。彼らは、自分が死ぬとはつゆほども思っていません。
ですから、とんでもないことをやれと命令されても、『実行します』と答えて出ていくのです」
騙しやすいwww 映画『バルジ大作戦』
ドイツ軍の少佐役で出てるカールオットー・アルベルティって
俳優さん
当時のドイツ兵役では、必ずって言って良いほど出てきていて
「あぁッ!!この映画にも出てる」って
クラスの男子の間では人気者で、ハーディークリューガー
のソレを凌ぐものだった >>30
そうか、お悔やみ申し上げます
って、お前誰やねん!? ヨーロッパで最も危険な人物こと
オットー・スコルツェニーがヒトラーの密命で連合軍を攪乱して
アイゼンハワーを数週間閉じ込めたグライフ作戦は有名だな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています