江戸時代の首切り
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竹で作ったノコギリで雑にゴリゴリ斬っていくんたっけ? これは江戸時代の手品だろ
首役の人はたまにハエを避けようとしたりしてる 絞首刑になる前は斬首する死刑執行人は死体がもらえるから一種の利権になってた こういうのやらなくなったから
パヨクとかアヘ儲とか半グレとかがデカい顔してるんだよ >>10
死体は刀の試し切りに使われるため回収されるんじゃなかったの? こういうのが今の仕事をクビになるののクビの語源なんだろうから日本人がいかに首刈り民族だったろうってことだな >>12
回収してたのは御様御用の山田家
試し切りは山田家に依頼してやってもらうか
山田家から死体を買って自分でするかどちらか >>12
首切り役には刀の鑑定の復職があるからそれに使ってたんじゃないの? 最近もやってたやん三島由紀夫とか
まああれは介錯だけど >>17
クビについてはアメリカ人も似たしぐさするよ
日本では首の後ろを手刀だけどアメリカ人は喉をかき切るしぐさ >>21
本阿弥家の鑑定とちがって山田家の鑑定は実用的な鑑定
死体4つ重ねて斬れたとか 日本では凶悪犯への刑罰だが、欧米だとむしろ高貴な人しか許されなかったそうだ
と言ってもなかなか切れなくて凄まじい苦痛を受けたうえに結局晒されるのでなにが名誉なのやら チクッとしたと思ってらすぅーっと眠れるからオススメ!
公儀介錯人(こうぎかいしゃくにん)
江戸幕府の架空の役職。
武家諸法度などに違反し、幕府(公儀)から切腹を命じられた大名の
介錯を請け負う首切り役人をいう。
公儀介錯人には、大名を介錯するにあたり、葵の紋の入った羽織を
身に纏うことが許された。
拝一刀の失脚後は柳生家がその地位についた。
昔フジテレビでやってた御家人斬九郎シリーズお勧め。 映画ブレイブ・ハートの最後の処刑シーン見たら
こんなのまだマシと思えるな 「新選組始末記」という本だったと思うが、当時作者が近藤勇の親類関係者に取材して
処刑後に賄賂払ってまで胴体を引き取り、故郷に運んで弔ったというリアルなエピソードがあったな 明治初期までやってた
佐賀の乱の江藤新平の梟首写真もある >>23
英語だとyou are firedとかなのにね。
燃やされたかと思ったら発射されたなのね。
漫画でyou are fired !って蹴り出されてるのがあったがそういうイメージなんだな >>34
江戸末期が西暦何年で写真がいつ日本にきたかしらべろや >>5
埋めておいて御一人様一挽き限りご自由にと聞いた 英欧州の首吊り腐りきるまでぶら下げっぱなしよりは
文化的なんじゃね >>35
勇の遺体を引き取ったのは甥の近藤勇五郎だそうな >>38
その言葉を聞くとビンスマクマホン思い出すな 2はインチキだよね
影の出方が、生首さんと他の人で違う〜♪ >>45
これすごく面白いよな
冒頭の話が北斗の拳のサウザーそのまんま
まだ映像化されてないみたいだけど
作者に映画の話とかこなかったのかな >>43
実際は晒しが主目的だから実際に挽こうとすると見張り役があわてて止めにくる
晒し期間が終わると掘り出してから普通に死刑 すごか醜女にごつ
生き試しくらいにしか
使いみちわからん! >>1の写真だけどオレの家の近くに昔あったお仕置き場だわ
今の横浜市西区の暗闇坂処刑場
獄門台に晒されてるのは鎌倉で外人を襲撃した攘夷派の武士
今でも古井戸と供養の祠が公園脇にある
銀板写真が発明されたのは1839年であるが、その4年後の1843年にはオランダ船により長崎に日本
最初の写真機材が持ち込まれている。
当時長崎の御用商人で蘭学者あった上野俊之丞(上野彦馬の父)は、その機材をスケッチしているが、
機材自体は持ち帰られた。
1848年には島津斉彬が銀板写真機材を入手し、市来四郎らに研究を命じているが、銀板写真は薬剤の
調製が難しく、市来および、薩摩藩士宇宿彦植右衛門が写真撮影に成功したのは1857年9月17日と言わ
れてい]。
なお、1850年にサンフランシスコで撮影された、栄力丸乗組員(ジョセフ・ヒコこと浜田彦蔵ら)の写真が、
「日本人を撮影した写真」としては最古とされている。
>>5
信長射撃犯の善住坊は捕まって、鋸挽きされたんだっけ?
あと、家康家臣で武田に内通した岡崎衆のだれだっけ?も鋸挽きされてた
って大河ドラマで見たw >>61
面白いね。
ただ、やはり映画化は難しいかなw
海外受けしたのは、町人や侍の思考論理と、町並みや生活感を丹念に描いた江戸時代感だったみたいだね。 >>38
よく考えたら本当に切るときはbeheadedなのに
firedで同じしぐさするのってのも面白いよな ぜってー痛いよな
いや、一瞬のことだから痛みを感じる間もないって言うけどさ
0コンマ何秒かは確実に意識はある訳でその間の痛みってすげーよなきっと
指先をちょっと切っただけでもすげー痛てぇんだから >>64
中学校の工事で掘ったら骨が出てきたんだっけ アラブの首刈り役人のおっさんが片手切りで手軽に斬首してる動画あったよな。 >>5
あれ、見せしめが目的で
実際に切った人はいないそうだよ >>79
首の皮一枚を残す事で本人が首を抱き抱えるようにするだっけ?
子連れ狼知識w >>77
あれは刀身が重いから重さで叩き切るんじゃなかったっけ?技術とか関係なく >>84
日本刀は切れるけど扱いが難しいと聞くね。 >>77
イスラム国が上げた切った首をお座なりに地面に置いたら
生首が顔を顰めたって動画は驚いた
フェイクにしてもする意味ないし >>49
膝に穴開けて沸騰した鉛を流し込むといった拷問が行われていたのだから、江戸時代の日本は野蛮性に関しては欧州に引けを取らなかったといっていいと思う 柔道の締め技で一瞬で意識飛ぶのに
切られたら一瞬で意識なくなるでしょ >>85
骨に当たると基本的に刃がかけるしそこで止まっちゃうからね
日本刀で首を落とすには解剖学的な知識が必要だったらしいよ >>86
Wikipediaで鋸引きを調べたら「江戸時代に科されていた6種類の死刑の中で最も重い刑罰であり、主人殺しにのみ適用された」とあった。
竹限定だと信長暗殺の他に徳川家家臣(武田家に内通)他数件あった記憶がある。 >>5
記録上最初に鋸引きになったのは前九年の役で安倍氏についた亘理経清だったかな?
源氏の棟梁がぶち切れてそうさせたみたいだけど >>1
前からみんな知ってる画像出して何やねん
もっと誰も知らん画像貼れや 日本の時代劇ってこういうエグい現実をオミットするからつまらない まあ機械を使えばギロチン
見た目は派手だが、苦しくはない
一番苦しいのは切腹だと思う >>60
絞首刑も日本の執行方法だと
即死だよ。最初の衝撃で首が破壊されるのでそこで意識がなくなる。
電気椅子のほうがきついかと >>101
そのために首を切る介錯人がいる。
御公儀介錯人は子連れ狼だっけ? >>101
ギロチンは民主的かつ無痛の死刑を考えた結果だっけ?
当時の死刑は処刑人の質がマチマチで、上流階級は(プロがやるので)痛くないけど、庶民は(素人がやるので)切断失敗で苦しがるなんてのが多かったらしい。 >>105
拝一刀は藩トップが切腹する時の介錯人なので、チト違うかと。
庶民の首を切ると言う点では、それを生業にした山田浅右衛門ですな。 まだ首切りがあったら、極左活動家の首を切り落としてほしい。 案外、スッキリしてねーか?
これでよくね?ヤクザとか半ぐれとかパヨクなんて アベ政権の連中も、江戸時代のやり方で処罰して欲しい
政権交代後に、公開で生中継すればいい >>117
みなさんご覧ください。
これがパヨク脳です。 うちのご先祖が街道の山賊討伐をした時は張り付けにしたと記録が残っている >>117
あそこの国はマジにそう思ってそうですな。 >>118死刑反対といいつつ、死刑しようとするんだからなw
パヨクどもはほんとにキチガイ
これでマジで自分は正義だと思ってんだから恐ろしいよ >>57
あれ俺もトラウマ
なんで首討たれたんだっけ?
どん兵衛のCMの人だよな >>117
時代がその時代なら
磔獄門や斬首の謀反者は
お前らやけどなw
まぁなんでもいいから日本から消えろや 江戸の町奉行所では拷問は殆ど行われなかったらしい
お上のご威光に畏れ入って自白するように持っていくのが腕の見せ所 拷問して自白させるのは仲間の役人に酷く軽蔑されたとか >>111
陰謀により妻と家人が殺され、公儀介錯人の座を柳生に奪われた。 >>22
不慣れだったから一振りで決まらず
現場は修羅場だったんだっけ >>129
ヘラ紙
戦場のメリークリスマスで「目隠しはいらねえ」と言う死刑囚に「貴様のためではない!射手に死者の目を見せないためだ!」と言うのが印象的だった。 >>128
東京のイスラム国って言うと例えば中核派とかのこと? 以前、ISISの超高解像度断首画像が公開されてたやん
血液以外に断面からいろんな体液が吹き出しててすごかったな >>51
いや、怪しまれたので、偽名を使って同行したら
官軍に同行していた元新撰組隊士によってバレた >>132
ありがとう
やっぱり、仕置する人の為なんだね 胴体は刀の試し切りにされんだぜ。
寝かされて胴体真っ二つ。 首切ったら胴体の血抜きもしてたって読んだ
切ったらすぐに2人がかりで逆さまにして
もう一人が体中揉んで血をピュピュー抜いてから胴体を回収するって
それやる係りもキツイな >>132
あーなるほど
そういう意味の目隠しかあれは >>144
有名な山田家が引き取るんだけど、山田家はこれを商業的に使ってた。
代表的なのが「試し斬り」で、これは依頼により執り行って「xx試し」なんてのを刀に掘ってた。
また、過去に試した刀をベースにランキング本を出版して人気となり、これに載せたいオーナーが依頼すると言う今風の商売をしてた。
それと、、、、山田丸・浅右衛門丸・人胆丸・仁胆・浅山丸と言う、、、 江戸時代の刑罰は、身分や罪状によって細かく分けられていた。
たとえば、切腹は武士だけに許されたいわば名誉の死、放火犯は
火あぶりにされるのが決まりだった。
平民が対象の死刑のうち、もっとも軽いのは「下手人(げしゅにん)」
というもので、いわゆる斬首の刑である。
この次が「死罪(現在の死刑という意味ではない)」で、斬首の刑に
処した後、死体を試し切りに使う。主に盗みや詐欺をはたらいた者に
科せられた刑罰だ。
この死罪は、別名「生き胴」という処刑方法としても伝わっている。
これに使われるのが土壇場だったのだ!
そもそもの「土壇場」とは文字通り、土を盛って築いた土台のこと。
「死罪」および「生き胴」は、刑場に60cmほどの土を盛って「土壇場」を
作り、そこに手足を縛って目隠しした罪人をうつぶせに横たえる。
そして、2名の処刑人が同時に首と胴体を切り離すのだ!
刀の切れ味を確認する試し切りと、罪人の処刑を一緒にやるとは…
なんとも物騒な一石二鳥である。
こうして「土壇場」は「斬首の刑場」を暗喩する言葉となり、それが転じて
現在のような「どうにもならない、せっぱ詰まった状況」に使われる表現と
なったのだ!
https://zatsugaku-company.com/wp-content/uploads/2019/08/571px-Ikidou.jpg きれいに切れてるよな
ヨーロッパのさらし首とかめっちゃ苦しんでる顔してるし >>144
そらぁ妖刀も生まれますわな・・(´・ω・`) >>151
介錯にはなるべく苦しめずに殺せってのがあった気がする(´・ω・`) 首の皮一枚でつながる
「ぎりぎりセーフ」の意味で使われるこの表現、
実は切腹にまつわる語源をもつ。
切腹には決まった作法があり、まずは横に
まっすぐ腹を切る。
さらにみぞおちに刀を突き立て、へそまで一気に
かっさばく…という、想像を絶するもの!
しかし実際は、腹を横に切った時点で、あまりの
痛さにのたうち回って死ぬ武士が多かった。
切腹は武士にとって名誉の死なので、ここで醜態を
さらすのは武士の恥だし、なにより苦痛が長引くのは
気の毒である。
そうした事情から、江戸時代中期以降は、刀を腹に
突き刺した時点で、背後から首を落として絶命させる
「介錯(かいしゃく)」を行うようになったのだ!
この介錯で重要なのは、首の皮一枚で頭と胴体が
つながっている状態にすること。
そうすれば、頭の重みで体が前のめりになり、首が
飛んでいくこともない。
見苦しい状態にならずに済むのだ。
このように「首の皮一枚でつながる」とは、もとは
文字通りの意味であり、ひいては「なんとか名誉を
保った」という意味の言葉でもあったのだ! >>5
儀式みたいなもんで、誰もやらないから適当にノコ引かせて血が出たように見せかけたって
蘊蓄を何処かで読んだ >>20
おためしごようって読むのか。勉強になります。人の身体も薬になるのねー 下手くそじゃ務まらんということで
腕のある剣士が介錯人になったらしいよね >>28
連載当初に実際に居たと思わせて、狼一頭から拝一刀という名前にしたと後で知ったときの騙された感w 山田アサエモン家て、首切りを世襲にするのは後ろめたかったのか、
代々養子取って家繋いだらしい >>1
2枚目の打首の人みたいな顔の現代人いるよね >>154
実際には腹など切らず、三宝に置いた刀を手に取ろうとしたときに介錯人の白刃一閃、首を落とされたと聞いたことがある >>92
イノサンって漫画読んでもサンソン家のwiki見ても似たようなことは書かれてる
ギロチンは熟練者でなくても苦しまずに殺せるという優しさからできているらしい >>103
なので敢えて介錯をつけずに覚悟を示した例があるという >>18
目隠しじゃなく半紙みたいなもので見えなくしてるんだな 日本の刑は必要最低限だからな
江戸時代は鋸引きでも実質晒しからの斬首で酔っ払いが挽こうとしたら監視役が慌てて止めたって話があるくらい
酷刑が当たり前の中国や朝鮮とは違う >>127
んで最後に烈堂が大五郎を抱きしめて「我が孫よ」
台無しやん!! 日本人で最も近年に首切りされたのは
イスラム国に捕まった彼って事になるか? >>10
斬首なんてまだやさしい刑だわ
獄門磔だとキリストみたいに貼り付けにされて
長槍で何度も刺す、わざと急所を外すから苦悶w >>81
それがだなまさか誰もやらんと思ってたら
おうおうおう俺がやってやんよって
DQNがホントにやっちまったからそれ移行は見張りついた >>82
クビを落としたら斬首といっしょだからって聞いた
あくまでも切腹だから 勘助「首斬りの浅右衛門でも年老いてからは一太刀では難しかったらしい」
市松「俺はまだ年はとっちゃいねえ」 日本刀って実際は切れ味が悪いから首を落とすのに何度も刀を振り落としてたらしい >>18
デッサンも全体の構図も上手いよなー
特に首切り人
くだらないマンガ描いてるやつはよっぽど参考にしろ >>167
作法通りサラシを巻いていると、出血が抑えられてしまい内臓が菌に侵されて壊死する迄何時間も死ねない見たいね
映画「にっぽんの一番長い日」で三船敏郎がずっと苦しみ続けたいたのは正確な描写だったと 戦後間もなく戦犯指名され自決した本庄陸軍大将の最期。
まず刀を左下腹部へ深さ二寸(約6センチ)に突き立て、これを右下腹まで一文字に引き回し、さらにこれを繰り返すこと二度。
次いで心臓部を刺すこと同じく三度。
最後に又もや三度右頸動脈部を深さ五分(約1,5センチ)、長さ実に五寸(約15センチ)に切り裂き絶命。 >>199
今と同じで嫌な事は下請けにやらせるスタイルw >>35
「首」は京へ運ばれて晒されたあと、行方不明とか… >>18
この腰蓑みたいなのは、「血よけ」なのだろうか… 江戸時代まで刈った首の数や質で給料が決まる
首刈り族だったのが日本国家
異議ありますか? >>206
なぜか岡崎市の寺にたどり着いた、首塚がある
徳川家ゆかりの住職のつてらしい >>1
一枚目の3人目、切り口酷過ぎで置いたら斜めになっとるがな 真っ赤に焼けた鉄のすり鉢みたいな物を
頭に被せる処刑方法があったらしいぞ。
考えただけでも恐ろしい。 江戸時代の切腹って腹切り裂く前に早々と介錯入ったんだろ?意味合いは違うけど結果斬首みたいなもんだよね >>23
プロレスでフィニッシュの前によく見かけるよな >>163
単に実力主義なだけ
碁とかもそうだけれど家=社会に認められた会社みたいなもんだから
技能があるやつに継がせるのは当然
実際リアリストでなかればやってけない商家なんかほとんど婿養子ばっかだし
そのへん進んでた関西なんか女紋とか習慣としてあったくらい >>219
非人かどうか判断が難しいよね
同じ写真に写るとは思えないから >>196
ものすごい精神力だな
責任感のなせた業か >>64
おいおい
昔近くに住んでたわ
ご近所さんだったんだな >>216
万人恐怖の足利義教が日蓮宗の坊さんにそれやったが、
法華経の功徳により火傷しなかったと言うお話し >>225
暗闇坂は野毛へ行くときによく通る道だよ
藤棚の願成寺には刑死した>>1の写真の墓と、やはり幕末にフランス水兵を殺害した力士の身代わりになり処刑された鳶の小亀の墓がある うちから2km位の所にあったようだ
周り見渡すと間違いないかな 京の都で晒された平将門の首が、
「我が身体を返せー!」と関東まで飛んでったらしい 泥で周りを固めてるのは、頚椎が出るからそのままじゃ置けないんだって >>233
加納鷲雄と清原清
どちらも新撰組を脱退し御陵衛士となった >>212
あ、ハッキリした行き先があったんだ
適当に捨てられてたのかと思ってた >>223
ニワトリも、首を落とされてからしばらくの間は走り回る、って聞いた事が >>88
それ見た
肺がないから声は出ないけど
痛てえ!って顔したよな 家からそんなに遠くない所に首切り峠という所があったなーと思い出した 山田家って代々息子が元服近くなると初夏に親子で
竹林行ってひたすら竹を切る合宿するんだって。
その時期の竹が一番人間の首の堅さに近いらしい 将門様の首は京都から関東に飛んでった。さすが将門様 首切り人も名誉職だったっていうよ
えたひにんのまとめ役 山田家は斬首した死体の肝臓から薬を作って売ってた。
山田家の軒先には肝臓がいっぱいぶら下がってたらしい。
また当時の遊女は客にほんとに惚れた証しとして自分の
小指を切って客に渡してたが、山田家ではそんな遊女に
死体から切り取った小指を売ってた。そんなこんなで
山田家の収入は三万石の大名レベルとも言われていた >>217
有名な赤穂浪士の切腹も既に形骸化してたので実際は腹を切る真似だけの斬首刑だったそうだね
だけど間新六郎だけは本当に腹を切ったので介錯人が慌てて首を落としたという逸話がある 秀頼の子供はスパッと切りやすかったろうな まだ8歳だったらしいし
生かしておいて、物心ついて反逆されたらめんどいから当然だよな >>252
扇子を短刀に見立てて扇子を手に持ったり腹に当てたりしたら介錯するという扇子腹というやつだね 平治の乱の首謀者藤原信頼は首を斬られる時に泣き叫んで大変だったらしい >>253
秀吉に虐殺された秀次一族なんて、秀頼息子より幼少の居たと思う 上手な人はスパンって綺麗に切るんだね
どこかの国の斬首刑で執行人が切った後
噴き出した血を浴びないように かるく後ずさりしてる
動画を思い出した >>259
あーそれがあったな 逆鱗に触れた秀吉はその一族皆殺し命令出した奴ね 起きて家から出たらさらし首が置いてあるとこもあったみたいだけど怖いよな >>5
竹中平蔵とかそうやって殺されればいいのにね 首斬った後頸椎抜くのかな
こんな骨が邪魔してバランスよく置けなくね どこの国でも死刑執行人って要職の割に忌み嫌われてそうなイメージ 斬首は介錯人の腕に頼る部分が大きいんだけどそこはそれ地獄の沙汰も金次第ってやつで
咎人の家族が介錯人に大金を渡すと一気に首を斬り落としケチると何度も斬り付けたそうな 江戸時代で斬首刑って余程のことしないと無いでしょ
大体が棒叩きか見せしめ非人落ち 投獄 遠島くらいでしょ 大阪だと難波のビックカメラらへんに刑場あったんじゃなかったか >>198
バンザイアタック怖かったからやめたらしいよ(´・ω・`) >>167
実際は難易度高過ぎてサスケ状態だったからな。
かと言って全くやらないわけにもいかないから、人によって差はあるが、腹を横方向に切った時か、腹に突き立ててちょっと血が出た時に首切ってた。
とは言っても首を切り慣れてる武士はあまりいないので、いくら腕が良くても緊張の中でタイミング合わせるのに苦労した。
切る側は立ち位置悪くて良く見えないしな。だからフライング気味なこともあっただろう。 >>47
これはローマの窒息死する磔十字架よりキツイ
でも中国の遅辱刑が一番つらそう
バタイユが惹かれた写真ノ若者はなぜか穏やかで綺麗な顔だったけど 西洋と中国の多種多様な処刑法に比べたら日本は人道的だよな
いかに苦しませて殺すか競ってるようだ >>196
百姓の出なんだな
東北の藩家老の血筋の東條は見せかけの自決して
助かり最後にGHQに吊られたのと対比すると
どっちが武士かわかるよなw 自刎って出来るのかいな
自分で自分の首かっさらって
刀の上に載せて贐としたとか
あるが >>276
陰キャは「世界の死刑と拷問方法」とかいう本を読んでるやつが多いからな >>246
映画じゃなくて「黄金の日々」(大河)じゃね? >>23
軍人はナイフ使って後ろから近付き、敵の口を塞ぎながらナイフで頸動脈切るからそのまんまだな。 >>187
市松『そういうもんかねぇ…………』ブスッ >>62
その時代から本音と建前の文化だったんだな 母さんお首を叩きましょ
サンソンサンソンサンソンソン やってることイスラム国とかメキシコとかと変わらんかった >>301
石うちの刑だと
皆さん、用意はいいですね、はいスタート!
と同時に埋まってしまう? >>34
高杉晋作や坂本龍馬、徳川慶喜の写真も残ってるんだよ つい数百年前まで
切腹でござるwwwwww
介錯まかせろでござるwwwww
とか言ってたんだからドン引きだよな >>81
それは江戸時代に入ってからの話な
戦国時代までは… >>279
東條家はもともとお抱えの能楽師で幕末に士分に上がった家で家老でもなんでもない >>221
死んだ後も暴れるのか
なぜなんだ?不思議だ >>306
お前のなかで「つい」が取れるのは何年前からなんだ? 森鴎外の小説にあったような世界は、所詮時代劇か。
ラッキーな事に切腹あいまつる事になり、事の本末を書き綴っておこうと思う、みたいな。
リアルは厳しい。が、それが良い(・ω・) >>1
この写真に写っている人々は、生首を前にドヤ顔で「やってやった!」という顔で写っている。
生首は、どれだけ悪い事したのだろう?と思うだろうが、有力者によって冤罪を課せられていたらどうする?
これが史学の入り口。ネトウヨになれるかどうかの入り口。心をフラットに史実を追うのがネトウヨ。
高い本は必要ない。ブックオフで本を買えばある程度揃う。趣味にしたら面白いよ?(・ω・) >>257
写真が残ってるのは清代のものでまだマシなヤツ
なぜか遊牧民の政権になると刑罰が軽くなる方向らしいから漢民族の残忍さは筋金入り >>317
磔の処刑人の掛け声だ
アリャアリャと左右から7回づつ槍で刺す >>324
それじゃ、祭りと同じだな
セイヤセイヤ♪
まあ、似たようなものか 無限の住人の人体改造、山田浅右衛門エピソードのとこは長すぎた
作者の趣味か >>328
これは外国人が撮影したんだろうけど、
日本人経営の写真屋もあった
一枚一両(10万円)ぐらいで金持ちしか撮影出来なかった >>328
あったあった
江戸後期には庶民の間にもカメラが出回ってバシャバシャ撮りまくってた
最初はみんな怖がってたけど魂が抜かれないとわかるや爆発的に広まったとか >>323
「凌遅刑」でそいだ肉を食うしなw
食人肉は漢民族の伝統あるよw
聖人の孔子の大好物は人肉の塩漬けwww >>323
ちなみに清は元々遊牧民だけどなw
中東の石打刑も醜いし
中世欧州の魔女裁判の火炙り刑などもな
それと比較すると日本の刑罰はゆるいほうかもな
穢を嫌う天皇公家の影響だろうなw >>333
刑罰とマフィアの私刑を一緒にしてはいけない ギロチンって最近まで使われてた
フランス革命において受刑者の苦痛を和らげる人道目的で採用され、
以後フランスでは1792年から1981年まで使用された。 >>336
元や清になると宋や明が残酷すぎってなるの
清代の稜遅刑は8刀だけど明代は3000刀越えで2日かかりとかあったからそれはいくらなんでも酷いよねってことで >>1
これは晒し首だろ。
首斬りって言うから青竹のノコギリで通行人に一回ずつ引かせる奴かと思ったじゃんか。 >>345
全然グロじゃない
いい湯だな
と漬かってる感じです たっけい(←スマホが馬鹿で変換できない)の方がきついだろ >>331
それじゃ平成辺りまで鎖国してたら今頃ちょんまげ着物姿の俺らがスマホでパシャパシャ撮ってたんだな… >>327
フランスは死刑廃止にするまでギロチンが法定の死刑執行方法だったしな
最後の執行は1977年 >>137
いや、薩摩藩士の有馬藤太が思わず
「近藤さん」と言いかける程、
顔を知ってたんだよね
『有馬藤太聞き書き』として
まとめられた書物によれば、
有馬藤太はかねてより近藤を
見知っており、大久保大和と
して応対しながらもつい
「近藤さん」と口に出てしまい
そうで困ったと回想している
(中村彰彦『新選組全史』)。
また有馬は近藤を処刑すること
に強く反対したといわれている)
http://www.japanserve.com/bakumatsu/ar-nagareyama-honjin.html >>51
参考になるかどうかわからんが
https://kakuyomu.jp episodes
流山の別れ - 流山の別れ 土方歳三物語(おぼろつきよ) - カクヨム
をググッて見てくれ >>354
大久保大和
通名だとバレバレの名乗りだなwww ネトウヨが仕事中にネトウヨ活動したのがばれて馘首? 近藤勇も函館まで逃れて、土方歳三と華々しく討ち死にすればカッコついた
捕縛された挙げ句、斬首じゃ残念な最後 余談だがYouTubeでヘルムート・コイニクって検索してみ!ガチでグロな首チョンパ画像が出てくるから! >>131
頭頂部が光ってるが
三島由紀夫はハゲだったの? >>362
アメリカ南北戦争の写真があるんだから、同時期の幕末にはある >>136
メヒコの処刑クビチョンパはゴボゴボ呼吸音が半端なかったわよね。
首がなくなっても肺は呼吸しようとするのよね。 >>354
顔バレしてたのか…処刑を強く主張してたのは
坂本龍馬を殺された(当時は新撰組の関与説もあったとか)土佐藩の
谷干城だっけ
それがなければ、あるいは… >>363
スポーツ刈りに近い短髪だったような
それを、真上からフラッシュ焚いて撮れば
頭頂部も光ると思う 生き生きしたレスばかりで和んだわ
お前らこういうの好きだよな >>50
小説家の子母澤寛が取材した当時は
まだギリギリ関係者が生きていて
新撰組の関係者に直接話を聞いてるんだよね
勇の胴体の埋葬話も、当時子供だったという勇五郎本人に聞いてる。すごい貴重な証言だよね。 でもこれ即死させてくれるから優しいのかな
首切られてもしばらく生きてるとか聞くからやっぱり痛いのかな
怖いなぁ >>360
近藤は肩を鉄砲で狙撃されて
剣を振ることができないガイジになっていたからなw
まあ甲州鎮撫に行くとき故郷に錦を飾ったのがこの人の花道
身分も旗本になっていたしなw >>352
日本の蒸気機関車終了もそのぐらいの時期だったな。
氷河期世代が産まれた頃はギロチン刑と通常ダイヤの蒸気機関車が存在してた時代だったんだな。 >>379
斬首は洋の東西問わず一般的な死刑手段やんけ 1枚目はもっと全体を写した写真があるぞ。
これだけじゃ雰囲気が伝わらないな。 ギロチンも最初は上手くいかず、途中で止まったりしたらしいね >>381
戦闘員が刈った首の数や質で
管理者が給料を査定した中世日本の歴史は世界的にも希少例 中世日本の首検分なる儀式が凄すぎて世界に自慢できるレベル >>29
ウエストポイントの博物館で、捕らえられたスパイは名誉ある銃殺刑を望んだが
認められず絞首刑にしたという説明があった >>386
他国の個人戦果判定、給与査定方法はどうなん?
耳とか鼻削ぎなら大して変わらんと思うがw >>362
幕末の志士の写真、いくつも残ってるだろ 首塚なる名称が戦乱のあったエリアに確実に存在し
そこにはアレだけが埋物されてる首刈り族の痕跡を残す日本史なわけだ >>369
知識の一つ一つは深いけど、数は大して持ってないのが多いから
知ってるテーマならここぞとばかりに皆書き込むんだよな 京都は地名で分かる
血洗町とか…処刑場だったらしい >>94
ヤス「ほえ〜ノッブえっぐいな…わいもやったろ」 >>403
想像するに
斬首を嫌がり暴れる女
面を覆っていた紙が剥がれる
女、自分を斬ろうとしている役人の顔を見る
それは、かつて自分が想っていた男だった…
ってな事では
多分このあと、納得して斬られるはず
そして、男の方も女の事を想っていたのだと思う >>5
大河の徳川家康でやってた
寺泉憲が埋められて農民に
ギコギコされてたと思う >>268
三島なの?
一緒に死んだ井脇ノブ子の許嫁とかでは? 最近、将軍家や大名のお姫様の写真を集めた本を見たけど、面白かったぞ
無理に洋装しても全然似合わない姫がいて
笑ってはいけない着付けだったのかなとか想像したw >>408
介錯二回失敗して三回目で「首の皮一枚」にされた >>221
豚なら普通、
気絶させて
首に切れ目をいれ
血をぬいて
首を切り取る
だけど、いきなり首を切り取る
なんて人手がいる方法とるんだろう?
暴れて大変じゃん。 >>411
電気ショックみたいな気絶させる手段すらなさそうな寒村っぽいやん 首斬り役人の名人級になると
皮1枚残して斬るとか言われてるよな
その方が首がゴロゴロしないで
ハラリと落ちるのかも ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています