韓国になぜ「前方後円墳」があるのか
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日本独自と言われてきた前方後円墳が、韓国にもあることが近年しだいに明らかになった。
なぜ朝鮮半島にあるのか。日本の前方後円墳とはどんな関係になっているのか。
本書『「異形」の古墳――朝鮮半島の前方後円墳』(角川選書)はこの問題について研究者が分かりやすく解説したものだ。

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日本列島の前方後円墳(をはじめとする古墳)は、墳形や規模で当時の政治秩序を象徴するとされている。
ヤマト政権は、最大規模の前方後円墳が営まれた近畿地方の勢力によって形成された、というのが教科書的な理解だ。
ゆえに「栄山江流域」という飛び地のようなところから見つかったことに、多くの学者が頭を悩ましてきたと言える。

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現在の考古学的知識によれば、日本列島で最初に水田耕作が始まったのは北部九州。それは朝鮮半島からもたらされたもの
だという。このことを示す考古学的な証拠は多数あるそうだ。しかも単なる農工具や技術だけでなく、新しいタイプの土器や
住居や墓、武器、防御施設、農耕に関する儀礼なども含めた、水田耕作を生産基盤とする農耕文化の総体――学術用語では
「文化複合体」――が朝鮮半島から渡来人の手によって伝えられたという。それが日本列島の弥生文化をつくったそうだ。

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著者は5世紀を朝鮮からもたらされた「技術革新の世紀」と書いている。つづく6〜8世紀は、漢字や仏教伝来で寺院建築、
合金製の仏像づくりなどが加速し、さらに関係が緊密になっていたはずだ。聖徳太子の仏教の師は高句麗僧だったと言われるが、
太子はおそらく複数言語に通じていたはずだ。田中史生氏の『渡来人と帰化人』(角川選書)によれば、平安時代初期に京や
畿内に住んでいた氏族の名前の30%が中国や朝鮮をルーツとする人たちだったという。当時編纂された『新撰姓氏録』(815年)
から分かるそうだ。

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