小牧長久手の戦いは戦術では家康が勝ったけど戦略では秀吉の勝利でしょ。
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連休だからなのか、国道を爆音をあげて走るバイク集団がウザイ
秀吉みたいにシネバいいのに 朝鮮征伐の前に、難癖付けて徳川を潰しておけばよかったのにな 徳川は北条とか東国大名と結託する恐れがあったから
とにかく秀吉からすればうざかった トヨタ博物館がある町。
今ではIKEAとかでっかいイオンモールがある。
前はアピタしか無かったのに。
ジブリの森も出来るし。 いま小牧山城見学がトレンド
家康が構築した山城跡を観て時空を超える旅 お互い疲弊するのは得策でないから秀吉が懐柔策に出たって事でしょ? まぁ長期で見ると
戦争の強さで支えられた秀吉を凹ったことで
家康を暗殺とか謀略で殺せなくなったから
戦略的に成功とは言い難い 小牧長久手の戦い
徳川が勝ったなんて
徳川方しか言わんよ
大地震がなければ徳川家消滅してた
運命のイタズラで首皮1枚残った徳川家 関西の大地震で中止になったみたいだな
地震がなければ秀吉が勝っていたよ 勝っていたなんてもんじゃない
秀吉は織田と和睦してハシゴ外し
大義もなくなった徳川に付く武将もなく
秀吉は何十万の兵隊を用意して
家康はもうマナ板の鯉だった 後の関ヶ原は豊臣家の内紛に家康が乗っかっただけで、仮にここで徳川家を滅亡させてても毛利や前田あたりが天下取ったと思うぞ。
誰かが秀頼様の後見人にならなきゃいけないのは変わらないんだから。 池田恒興の作戦を秀吉が許可したのは解せない。
別働隊は迂回せずにそのまま岡崎を目指したんだろ?
織田信長の次男坊にそそのかされたのはいいが、本気で秀吉と戦うつもりだったんだろうか?
元々、秀吉軍は野戦ではそれほど強いイメージは無いし、城攻めが得意なイメージ。 よく覚えてるな
名前以外どんな戦だったか何も思い出せずググってしまった >>6
GETENNにしろ夢幻にしろ信長が朝鮮征伐に出ると徳川が謀反するんだよな 秀吉親族衆の木下勘解由、木下祐久が戦死し羽柴秀次隊壊滅
織田家四重臣の一人で羽柴方で最も政治的人望のあった池田恒興とその長子元助が討ち死に
これら世間の評判にも秀吉の心境的にもボディブローのように響いてたよな
いくら戦略で勝っても人を喪ったらダメや >>21
そんなプログラムを根拠にされたら家康も泣くわ >>19
丹羽長秀と池田恒興は秀吉方の中では別格なのよ
配下というより同盟者みたいな位置でそんなに強く言えない
この戦に勝てば当時の国内第4位の大国で秀吉と恒興の生まれ故郷である尾張は
池田恒興の所領になることを秀吉は約束しそれで味方に付いて貰った なるほど関西で地震があったのか。
どんなに野戦に強くても長期戦は無理だろと思ってたけどやっと納得 長期戦で戦略的に負けてしまった経験生かして
関ヶ原では短期決戦に成功したともいえる >>16
ひでえw
暴れん坊すぎて手に負えなかったのか 池田と森がいなくなって結果として秀吉の権力が磐石になったのが皮肉だわな
明智柴田を倒して池田森川尻が戦死
佐久間と林を本能寺前に追放で丹羽が病死と織田重臣きれいさっぱり消えた 明智光秀を倒した山崎の合戦も
数で倍だった筈の秀吉方の前線衆は押されて崩壊寸前だったからな
池田恒興・元助親子とそれに続く加藤光泰が円明寺川を渡河奇襲して明智本軍の脇を突き
それで伸び切った明智本軍が寸断されて危機に陥って戦線崩壊して明智方が負けただけ
明智に勝ったのは秀吉の功というより池田恒興の功だったりする だから家康はそこで引いたやん
行くとこまで行ったら日本の敵にされるだけやし
十分面目躍如はした 最初は信雄・徳川を叩くために始めた戦だけど、
途中から池田・森連合を崩壊させることに目的が変わってないか? >>17
当時の秀吉に何十万の兵を一方面に動員する力はありません 家康が秀吉と全面対決の姿勢だったんで余裕ぶっこいてたら
いきなり家康が頭下げちゃったんでアワくった北条 局地戦とはいえ秀吉に勝ったから豊臣政権内で圧倒的地位を得ていたし
他の大名も一目も二目も置いていたんだろう
戦わずに屈していればそういった立場にはなれなかっただろう まぁ秀次が死んでりゃ徳川潰すまで戦ってたろうけどな
結果的に秀次は家康の為に命つないで家康の為に死んでった >>39
野戦で怒って突っ込んで来る奴なんて単なる良いカモだわ
小牧長久手の戦いみたいに広い尾張の平野や丘陵地帯で戦場が転々とするような場所だと
猛進撃しかできない軍は戦巧者が相手だと簡単に孤立させられ殲滅されちまう 戦下手な家康がよくもまあここまでうまくなってって
皆驚いたよな 今烈風伝アプリで小牧長久手のシナリオ鈴木家でやってる俺も羽柴家倒せそうだよ 死んだはずの信長が家康に加勢したので勝ったんだっけ
そんなマンガ読んだ記憶がある 秀吉軍の得意なのは圧倒的な兵力差で相手を城に籠らせて
経済力使って城攻めすることだからな
半数程度の相手に野戦に臨まれたらそら負ける >>1
その通り
だからといって戦術の勝利が意味なかったわけではない
家康の戦闘力を見せたことで秀吉死後の
駆け引きで、有利に働いた可能性もある
いくら大領地を持ってても戦闘が弱い
武将には誰もついていかないからな >>13
だっせ、負け惜しみ乙wみっとねぇwww
>>14
だっせ、負け惜しみ乙wみっとねぇwww
>>17
だっせ、負け惜しみ乙wみっとねぇwww
サルの戦下手はバカでも知ってるのにwwww 秀吉は野戦も得意やで。
兵力に勝る浅井や本願寺勢に勝ったりしてる 秀吉と言えば城攻めのイメージが大きいのは
相手が秀吉にビビって勝ち目のない野戦を避けて城に籠るからだぞ。 余計な中入作戦がなければ引き分けだった。秀吉方の武将が何人も討ち取られてることで家康の勝ちなのである。 徳川なんて連合軍あわせても五万も動かせないし、兵力差考えると秀吉が圧倒出来ないとおかしくんだがな >>54
天正13年11月29日(1586年1月18日)に列島の中央部を「天正大地震」が襲う。
マグニチュード(M)8クラス、最大震度6だったとされる。
この時の地震による被害としては、富山県高岡市の木舟城は陥没し、城主・前田秀継(利家の弟)が死亡。
岐阜県白川村の帰雲城も城下もろとも埋没し、このため城主内ヶ島氏一族が滅亡。
このように被害は中部、東海・北陸の広範囲に及んだ。
このとき秀吉は近江国坂本城にいたが、あまりの恐ろしさにすぐに大坂城に逃げ帰ったという >>33
うん
これといい三方ヶ原といい
負けから勝ちを拾いにいく家康の能力は異常 地震がどうのこの言ってる奴
最近見かけるようになったんだが
「地震で家康討伐どころではなくなって断念した」
って最近の説か?
そんな話昔から聞いたことないぞ 戦略っていのは戦うか戦わないかを決める事だよ。
西日本を押さえてる時点で圧倒的に秀吉有利だった。
小牧長久手は小競り合いに過ぎない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています