人間は深すぎる愛を感じると、脳が感情のバランスを取るために同じだけの憎しみを感じるらしい
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47歳独身だけどこれからバランス取るために若い子とイチャイチャできるはず >>1
お前ら糞埼玉県種豚のレスこじき糞スレだぞ。無視しろよ、カス 文豪ドストエフスキーがすでに、
カラマーゾフの兄弟で指摘済み
「覚えとけよ、アリョーシャ」
「人間は憎みながら愛する事が出来るんだからな!」 >>1
リンク先見たら、スーパーの業績動向についてはよくわかったが愛云々については理解できなかったわ。 つまりあの国の人が異常なのは、日本に深すぎる愛情を感じていると? それは愛の定義が曖昧であるからその様に字面が綺麗に見えているだけで
実際に多くの人が考える愛とは違う
例えば泥棒が他人の金品を愛し、奪う事で被害者から憎しみを買うとして
そこには被害者へ向けた愛は無い >>13
半島から日本への正式な渡航許可が出なくて、自殺した徴用工がいたらしいからなぁ
可愛さ余って憎さ百倍 >>7
5ch見れば朝から晩まで韓国叩いてるキチガイばっかやん
すぐばれる嘘をつく
それが穢多ジャップw 加藤愛 冨永愛
福原愛 高橋愛
飯島愛 モアイ
好きな愛を選ぶがよい 対象に対する執着心を都合によって愛と呼んだり憎しみと呼んだりしてるだけでは 俺は深亜すぎる愛を感じなかったから、ひとをにくしまないのか それだけ囚われた感覚になるからな
独占し合うことを愛だと思い込んでると
空っぽにしかならないよ、例え別れが来る時があっても
自由と成長を感じる信頼関係こそ真の愛ではなかろうか 愛と憎悪は表裏一体。
距離がなく愛してる時には、人は憎悪なんて持たないんだわ。
距離があったり、出来たりすると人は憎悪しだす。憎悪は悪いわけじゃない。憎悪して人は別れて行くんだ。しかし、憎悪が大きすぎると
犯罪に走る。愛も大きすぎると同じ。人まで
殺してしまう。それは、やっぱり不幸だわ。 >>32
負の感情は距離とは関係なく湧くちゅーのバーカ >>34
そうは思わない。湧くというよりひっくり返
る。 子供がある程度成長して自我がではじめた頃に悟ったこれが愛だと
他人の異性に対しては愛に似た独占欲 >>34
あと距離も重要。
これは心の距離だけじゃなく、実際の距離も。 その人が傍らにいる、というあくまでも己に関する状況を欲する事を愛というならまあそうもなるかな。 一般に愛は良いものとさせている。
一般に憎悪は悪とされている。
憎悪を悪たらしめてるのは、倫理、道徳だろ
う。
悪を嫌う人間は、憎悪を消そうと試み、少しず
つ成功していく、愛と憎悪が表裏一体なら、
それは同時に愛の解消になるだろう。
そうやって人は次の愛を求めて生きていけるの
だ。
そして繁殖へと向かうんだわ。 >>42
憎悪がなくとも次の対象にも向かうんだが、様々な状況でな
愛と憎悪が表裏一体でさえない状況も山ほどある
そもそも愛の定義が出来ないのに憎悪や距離持ち出しても持論にしかならんよ
まあ浅い妄想で書き込む前に小学生は宿題終わらせとけってこった 犯罪被害者は犯罪者への愛から犯罪者を批難する←犯罪者に有りがちな現実逃避理論
害虫以下の奴は世界中から汚物扱いされろ
在チョソ犯罪者集団に便所盗撮サイト乱立依頼してるのがバレて飛ばされた某荒木先生(笑)は、今日も元気に在チョソ犯罪者集団からユッサユッサされてるよな
ガチで便所盗撮サイトと現実逃避スレ乱立してる在チョソスレタテ
by スレタテの雇い主、宅/\郎
(夏休み中のガキ達見てるゥ〜?) >>13
「返し切れない恩を受けてしまった」と感じて
その重さから逃れようとして、相手に否定的な要素を見出そうとする
そういう事かな
相手に良くしすぎるのも、考えものなのかもな >>1
うーん、愛を防御行動、自己保全、自己肯定としか思えない人がそうなるんでは(´・ω・`)
個人にだけ与える・受ける好意をあまり愛とは呼びたくないわ。 エゴが絡むから 見返り期待する時点で
愛なんてもんじゃないんだろうね本当は まさか、韓国が日本を愛しているとでも?
そういう話してるんじゃねえだろうな? ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆輪廻卒業キャンペーン・魂の回覧板☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
近年は地球文明の絶頂期を迎え、ここ日本もストレスの多い社会となって参りました。
そこで宇宙の法を理解して、今生を縁に輪廻転生を卒業しませんか? 蓮の花は泥沼から咲く♪
〜世界と人間のシステム〜
◆この世界は仮想現実(VR)のようなものである。
◆この現れた世界のすべては全自動の因縁生起プログラムによって動いており、
ほんとうは個人的行為者は存在しない。ほんとうは誰一人この世界の動きに介入できない。
どんなに高次の存在がいたとしても、それも人間同様にプログラムで動いていると思われる。
◆人間は自我の催眠システムによって、ほんとうはプログラムどおりに動いてるのに
自分の意思で心身を動かしてる、と感じる催眠状態にある。
◆しかし仮想世界の中では行為の責任が個人に負わせられるのは、倫理上も法律上も仕方のないこと。
◆人生は神聖なるジョーク。すべては宇宙意識の戯れであり、人間の意識もその深層の宇宙意識の一部。
ある意味では意識の中に世界と人間(=仮の自己)が現れ、霊魂が「私」という存在感覚を自我に投影する。
◆生きてる間に自我のシステムに何らかの強い力がかかって自我が落ちる(催眠が解ける)
ケースがあり、それがいわゆる悟りを開いた人たちで彼らは今生で輪廻を卒業するといわれる。
◆人間が体験する事象は、基本的には自分の深層意識にストックしてある過去の行為のデータ
を使って現象化してると考えられる。(人間関係なら自分と相手、集団ならその構成員たちのデータ)
◆このデータは前世から現在までのもので、現象化されればデータは消えるが、ネガティブ現象においては
それと戦ってしまう自我の防衛システムによって新たなネガティブデータが保存されやすい。
◆このデータが現象化される速度はピンキリであり、人の深層意識の状態と運命によるが、
おそらく平均的には人生の全行為の1/2以上は来世に持ち越されると思われる。 ◆この仮想プログラムは自然発生的に起こっていて、厳密な意味での全知全能のプログラマー(創造神)
のようなものは存在しないと思われる(創造の原理は存在する)。
◆高次の視点で見れば、すべての事象の運命は先々まで定まってる可能性が高い。
◆全ての二極性は表裏一体であり、輪廻の中に現れるあらゆる状況は時間の中でバランスをとる。
◆現時点の人類のDNAシステムと自然界のエネルギーバランスでは、生前に自我の催眠が解けて
解脱する(真我に目覚める)のは稀なケースで、今その部分の転換期に差し掛かってるのかもしれない。
◆しかしこれは仮想世界でほんとうは個人は行為者ではないと確信してそのことをよく考え抜き、
自我に根ざした行為を控え、ハートに根ざした道理に適った行為を心がけて深層意識のデータを浄化し、
真我は不生不滅でありそれはこの仮想世界とそれが現れる源泉の両方であることを確信して死ねば、
死後に輪廻を卒業してニルヴァーナにずっといた荘厳なる至高の実在に目覚めると思われる。
しかし本当はそれは誰にとっても今この瞬間に存在する。眉間の後ろのほう(脳の中心部)とハートの中心に
全てである真我(≒無)への入り口があるが、その入り口の感触はたいてい味気なく感じられよく無視される。
幼い純粋な子供はその入り口の感触をおぼろげながら感じており、自己と世界の関係性が親密である。
その入り口の最深部から、仮想意識とその中に時間と空間の仮想世界がいま現れる。
現時点で多くの人間は我欲を主体とし、宇宙の法に従った生き方をしないために至高の真我が無視され、
延々と輪廻(幻想)の海を漂ってる可能性が高い。なお、宇宙の法は人生の境遇が悪ければ悪いほど甘くなる。 ◆そのような世界観を直感的に確信して賢く生きれば、仮に死後に輪廻したとしても、
深い洞察と良縁に恵まれた好ましい流れの運命を享受できる可能性が高い。
◆生前に「来世」という可能性も少し考慮して行為するのは理にかなってるかもしれないが、
死ぬ間際に来世という概念(イメージ)を強く持ってしまうと、それが輪廻の卒業を妨害する可能性がある。
自分で死期が迫ってることがわかるケースでは、最期にはなるべく欲望・執着を捨てて、
あらゆる概念を放棄してハートの中心(自我と真我の連結点)で静かにしているのがよい。
◆人生を例えるなら、それは既に作られたシリーズものの映画を見てるようなもん。
我々はほんとうは真っ白なスクリーン(=至高の実在、ホトケ)でありその中の小さな点(=霊魂)でもある。
その小さな点が、登場人物の視点から映画の中の世界を見てる(衆生本来仏)。
つまり人間はいわば夢に見られてる側であり、ほんとうは誰も生まれず誰も死なない。誰も何もやってない。
自分が世界の中を動き回ってる、という感覚は自我の催眠によるもので、
実際には真我の霊魂の前に仮想意識とその中に仮想世界が現れて、その中の同化してる登場人物が
動き回ってるようなシーンが現象化されてるだけ。
◆生前に自我の催眠が解けて解脱した場合、メインの自己感覚は真我(映画でいうとスクリーン)の側になり、
仮想意識に中に現れた人間としての自己感覚は非常に小さくなり(ほとんど私は人間だとは感じられない)、
自分が行為者(行為の司令塔)であるという感覚もほぼ消失する。この状態には非常に現実的なパワーがある。
あえて肉体のレベルに焦点を合わせれば行為者の感覚が発生するが、それは偽りだという感覚が同時にある。
メンタルシステムの最大の障害物である自我が抜け落ちてるので、心はエナジーと喜びに満ち、
常に現在の瞬間を直感的に的確に捉え、慈悲深く注意深く道理に適った振る舞いを自動的にするようになる。
精神的にはネガティブ感情も起こるが幼子のように速やかに消えていく。
自分のことでは精神的には悩まないが、人々が苦しむのを見て胸を痛める。
肉体的(物理的)な痛みは、肉体のレベルにおいては普通の人と同じように感じるが、
同時に真我の位置からの観照が起こる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています