女性器の整形手術を受けた私。その理由と今の気持ち
女性が美容整形を選ぶことが「非フェミニスト」的だったり、倫理的に間違ってると見られるべきではないと思う。
でも人々が、見た目のせいで自分の価値が低いと感じたりする世界は、何かが間違っていると思う。
私が自分の女性器について恥ずかしいと思った最初の記憶は、中1の時の保健の授業。
女性の体の解剖図がプロジェクターの画面に表示され、先生が膣の入り口には大陰唇があって、その内側に小さな小陰唇がぴったり収まっているのだと説明した。
私は顔を真っ赤にして、目を背けてうつむいた。
■″当時の私は、自分の外陰部を隠すためにできる限りのことをやっていた”
私の小陰唇は大陰唇の外側に大きく突き出していて、12歳にして(その保健の授業と10代前半の子どもたちのひそひそ話のおかげで)、
私は性的な体の理想像を刷り込まれていて、私の体の構造は根本的かつ生理学的に「間違っている」とされ、自分はその理想に当てはまらないと気づいた。
クリスチャンの家庭に育った私には、自分の体を理解するための情報があまりなく、性に関する情報はもっと少なかった。
私はすでに友人グループの中で一番体重が重く、体型は恥の理由で、修正する必要があるものだと感じていた。
当時の私は、自分の外陰部を隠すためにできる限りのことをやっていた。
水着の上に必ずショートパンツを履いたり、他人の前では絶対に着替えないようにしたり、お泊り会で体の話題になったときには、
当たり障りのない答えをするようにとても気を使ったりしていた。
■″私の外陰部を見た彼は、「うわ、本物ってこんな見た目なの?」と言った”
高校3年生のときに初めて恋人ができた私は、自分を魅力的だと思ってくれる人ができたことに興奮しすぎて、彼が私に敬意を払っていないことに気づかなかった。
数カ月間感じていたプレッシャーの末、私は彼の前で裸になった。私の外陰部を見た彼は、「うわ、本物ってこんな見た目なの?」と言った。
私にとって最大の恐怖が確信に変わった。私の体は「間違って」いたのだ。
<省略>
https://www.huffingtonpost.jp/entry/labia-surgery-feminism_jp_5d5a32e6e4b0eb875f25dc99