ガキの頃貧乏だときなこをご飯にかけて食ってたんだぜ。
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学生の頃に米が尽きた後、余ってた小麦粉を水で溶いて焼いてソースかけて食ったな >>12
そうだな。ま、きな粉餅感覚だから、別におかしくはない きな粉は行事の日しか食えなかった
あれなんだったけかな
コーヒーぽい茶色粉
こないだご馳走になったばっかだけど忘れたがやw 安い食い方でも塩っけの方がよくね、塩結びの方がマシ
なんでわざわざきなこにする
まぁきなこおはぎとかは美味いけど、日本人はドーナツを主食にするようなアメリカ人じゃあるまいし 確かに
あの頃は物がそれぐらいしかなかった
金持ちも貧乏もねえ
けっこう金持ちんちでも同じような物食ってたもんなw 今でも食ってる
砂糖と塩少々。
バター醤油ライスは嫌い。 うーん同じ日本の話か?
普通にご飯と味噌汁とおかずなんだが きしめんを湯切りして砂糖きな粉かけると美味しい
彼女に話したら気持ち悪がられたけど美味しいんだから仕方がない 調味料だけを直にかけるのは駄目だとされていた
醤油ご飯はNGだがTKGならぉk 丼ものはタレで一杯目
二杯目に具を食べるって教えられたわ そもそもパンすら買わねえからな
パン屋に行けばミミくれるし >>35
そうそう。海苔に醤油漬けて巻いて食べてたけど
醤油がおいしいんじゃねって思って、しょうゆぶっ掛けたら怒られたわ 親子丼とか食ったことねえもんな
カツ丼なんて見たこともねえ
お刺身?
寿司は食ったことあるけどお刺身はなかったよな >>4
時々あったな
あと、おかずがキャベツだけとか 卵かけごはんをTKGとかぬかしてる連中は本当に腹立つ その変わりアワビとかサザエとか松茸が今では考えられんほど食えたw 「のりたま」と「すきやき」ふりかけ
エイトマンシールが柱にずらーっ 白米買う金はあるんだな
前テレビでやってた老人の貧乏人はヤマザキの5個入ったロールパンを一食1個食べて5回食いつないでたぞ なんつうか今安く食える牛丼とか寿司とか昔は高かったんやろな 家は大根を小さく賽の目に切った奴を混ぜて増量したご飯を食わされてたわ。
偶に緑のグリンピースとか言う豆を混ぜて増量した奴。是が結構美味しいんだよ。
母にコレ高いんだよとかいわれて真に受けて、友達に自慢したら以来貧ボッチャマと言うアダ名を付けられた。
その頃は母を恨んだけれど、病弱だった父で苦労していた、今は亡きの母の当時の苦労を思うと切ない。 たくわん二切れと水ご飯でした
今でも懐かしくてたまに食べる >>51
腹がくちれば何でもいい境地に到るとそうなるだろうな
パンならゴミも袋しか出ないし
喰わない内に痛む心配も無い 焼きおにぎりが安くて美味い
醤油焼きも味噌焼きも美味い きなこの袋の裏にその食い方が書いてあったから子供の頃試したんだけど気持ち悪くて食えなかったわ きな粉はないけど、赤い粉みたいなふりかけは食ってた きな粉に砂糖を入れないとな
きな粉だけではうまくない。 >>67
いや、都会の思考回路で考えるな。
田舎には米が無限に存在している物だから。 >>64
パンの耳おすすめ
タダでもらえる店もあるし、俺の時は30円で一斤分買えた
夏休み冬休みはそれで耐えたな
山に罠仕掛けてウズラとか狙って
売り切れ・罠にかかってない時は飯なし
今ボランティアでキャンプで教えてる火起こしはその時に会得したものだ 米炊けるってことは電気も水道も止まってなかったのか あ?じいちゃんが食べた煮魚の汁をご飯にかけて喰ってたぞ いやきなこって高いのですが・・・・・・
それいうなら塩でしょ
海から無限に取れるし >>72
田舎は米を買うという習慣はないよね
自分が農家じゃなくても隣かその隣は米農家だし
その場じゃないけど結果的には物々交換だから
野菜作ったらそれを渡していずれ米を貰うみたいな むかし近所にきな粉作る店があって、ソコの前を通ると
きな粉の美味しそうな薫りがしてたな でんぶご飯が好きだったから子供にも薦めたら全然食わんかった 塩やソースを白飯に掛けて食ってたな
いい時は卵掛けご飯 >>19
はったい粉じゃないかな?
おじいちゃんが食べてたけど粉っぽくてあんまり美味しいものじゃなかったな。 この手のスレでソースやしょうゆはわりと見るがほんだし顆粒をふりかけ代わりにしたのはあまり見ないな >>74
うちは鉄の釜に木蓋で石油コンロで炊いてたわ シーチキン食い終わりの缶詰にごはんを投入してフィニッシュ なんか昭和の貧乏は笑えるけど
平成の貧乏は笑えんな。
救いがない 砂糖入れて牛乳で煮込んで黄粉かシナモンかけて食べると美味しい そう考えると、貧乏って減ってね?今の貧困貧困って甘えなんじゃね〜の?俺らの時代に比べると。 きな粉は調味料枠というか、最後まで余ってるからな
貧乏っつーか買い物行かねえだけだろ きな粉なんて常時あるかよ
醤油が基本で
追加でマヨネーズ
スペシャルは
醤油が真ん中
その外側がマヨネーズ
一番外がソース
ちなみに俺はマヨネーズがあまり好きじゃない
ソースなら、ご飯3杯はいける >>109
なかなかレアな組み合わせ
桑の実は、田舎の人しか知らないと思う
子供の頃よく食った
手が紫になるんだよね 1が間違ってるんだよ
米も無くなってきな粉をメインに食うんだよ >>55
大根もグリンピースも明らかにコメより高いやないか >>7
バター醤油は普通にうまくね?
おかかとネギかけたら何杯でも食える >>7
あれのせいでおれば戻れない位に太ったんだ… >>122
バター飯は戦後だったら贅沢な部類じゃね? シーチキンとかなくて
鮪のフレークの醤油煮の缶詰食ってたな
あといい時はサンマの蒲焼缶温めて
ご飯に載せてサンマの蒲焼丼とか >>114
大根も栄養があるからと葉っぱの部分も料理して食べた 家は大金持ちだったからキュウリのQちゃんでたらふく飯食ってたぞ。
どうだ。羨ましいだろ。 片栗粉に砂糖を加えお湯で混ぜてトロ味を出して頂く!サイコー これは良スレだなぁ
きなこはタンパク質もあるからバランスもそこそこええね
バター醤油ご飯はとか糖質と脂質しかないですやん ストーブの上にアルミホイル敷いてご飯をカリカリにして味塩かけてスプーンで剥ぎ取って食べてた >>128
てか葉っぱ炒めよく食わされた。あと葉っぱの味噌汁 >>29
別にみんながみんな貧乏な家に生まれてるわけじゃなくて、学生時代に遊びすぎて貧乏な期間を過ごしたときの体験も話してる >>4
おれも
あとまあこれは異食なんちゃらのたぐいだろうけど
お菓子なかったらティッシュとかセロハンテープとかもぐもぐしてた
(流石に飲み込まなかったけど) >>133
大根は根っこ美味しいんじゃなくて葉っぱがからくて旨いんだぞ。 本当の貧乏人は
ガス代水道代電気代止められてる
米もかえて炊飯器もあって電気代ガス代も払えて
白いご飯食える奴はセレブ おふくろが夏になるとたま〜にシャ―ビック作ってくれたっけな >>124
まぐろフレーク味付 SSK エスエスケイ 鮪缶詰 75g
このデザインの缶だった 子供の頃にクリープの粉をおやつとして友達に振舞ってから家が貧乏という事に気付いた >>99
知らないだけで貧困はまだあるだろ
数年前におにぎり食べたいって言って餓死した人や小さい子と2人で餓死した親子もいた >>149
クリープって食うのにコツが要っただろ!
粉として吸い込むとむせるし
一気にぱくついても口の中の天井部分に貼り付いてしまうw 削り節に醤油の猫まんまが全然出ないのは何でなんだ? >>145
うちは白ご飯にサバ節の削り節としょうゆだったな
今は鰹節の削り節だけど 中学の同級生で中卒で社会出て
成人前に両親亡くして天涯孤独になった時に付き合ってた女の子と結婚した奴が居たが
彼の家に遊びに行った時に夕飯ご馳走になって
おかずがかいわれ大根だったがあれが何故か美味しかったな 厨房のころ同じクラスにナマポ受給家庭の♂がいて、白飯の上に紅生姜をビッシリ敷き詰めた昼弁当を食べてた
おかず一つすらなく毎日これ
中を見られないよう蓋を立てて恥ずかしそうに食べてた
「オレ紅生姜が大好きなんだ…おいしいよ」って懸命に作り笑いをしながら発した悲しい言い訳を覚えてる
四畳半一間の家に親兄弟六人が暮らす貧乏人の子沢山を絵に描いたような凄絶な家庭だった
ヤツはいまどこで何をしてるかなぁ? >>162
多感な年頃に辛かっただろうな(´;ω;`)
キーボード買えないけどワンピだかのイベチケ購入する資金はある誰かさんに見習って欲しい >>159
角砂糖を巡って殴り合いのケンカになったが?
みんな貧乏人で幸せだったのは50代であろう。 塩、醤油、バター醤油、納豆、卵、味海苔、イシイのハンバーグ
このローテーション 毎日寒天もどきと雑草だったな
たまに天かすとパンの耳貰って来てくれた ふりかけは一袋5円の磯のふきよせ
のりたまは高級品だった あとは小麦粉練ってゆでて溶かした黒砂糖かけて食うのが好きだった >>136
セロハンテープわかる。
バッテラの上の昆布みたいな感じなんだよ 鰹節とマーガリンと醤油をご飯にかけるのも美味しかったな〜
ご飯を餅に変えてお湯を注いでも美味しかった 小学校の給食で出ていたきなこうどんは今でもトラウマ >>162
大家族ナマポなら支給額はそこそこ多かったのでは。
少なくともカツカツで生きてる会社員の家族よりは
金はあったと思うが。多分その親がガキの食費削っていたと思われる。 >>169
プリンが三連なのはお父さんは食べないからだって犬エッチKでチコちゃんが言ってた マヨご飯好きでよく食ってた
今考えると恐ろしい・・・ >>4
ガキの頃一度やってうまいと思ったがその後やった覚えがないのはその後はおかずがなんかあったのかも >>45
ねーだろwせめて味噌汁だけくらいだろ
あーあと味海苔のみはあった
生たまごのみも同じくらいのコストか
…そもそもごはんあるだけでソコソコだわな ウリはウンコを恵んで貰うために近所を回ってたニダヨ。 きな粉餅を作った後、余ったきな粉なら
ご飯にかけたなあ
バター醤油におかかも普通に食べてたな
美味しいよね >>196
関西人だけど小学校は給食で中学校は弁当持参だったけど関東は小中給食なんか?
今子供が中1だけど秋から給食が始まるらしいわ 飯はちゃんと食ってたけどなぁ
家賃4万のアパート暮らしだったけど 給食がないってのは貧乏家庭にはきついわ
そういう人って給食が栄養源だから 朝鮮×9
厨房
朝鮮
朝鮮
BBA
きなこスレの方が億倍マシだわ 高級やん、ウチは茶碗の上で手を擦って手垢落として食ってたで すいとんみたいな小麦粉団子と水、醤油、砂糖で餡作って絡めたの1人で食ってた 乾燥した樫の木みたいなカツオの塊があって
箱の上面に刃のついた鰹節削り機があったよ!
おふくろが飯の支度しているのと同時進行で
やらされたw
たまにドジって指とか手の平の肉削っちゃったお >>213
うち今でも使う
やっぱり削りたては旨い >>214
へえ、やっぱ味が違うんだw
今はもう手間を省くために小さなパックのやつになっちゃったよ
削り機もしょぶんしたと思われ 醤油ご飯はよく食ってたな
かけすぎてしょっぱくなったらお湯入れてた >>162
俺も厨房の頃の弁当カーチャンの手抜きかどうかわからないが
どかべんにご飯、時々、おかずの所にピーマンの千切りだけとか
人参の千切りだけとかあったわ
いい時で市販の半生餃子温めただけの奴が入ってる 揚げ玉とちょっと醤油をかけて食べる
美味いけど太る そういや当時は江戸むらさきの瓶詰めが常備してて
この海苔の佃煮だけでよく飯食ったわ あと「なめたけ」と言うエノキダケ細かく切って醤油ダレで煮た奴の瓶詰め
(今も一本100円位で売ってる奴)だけを白飯で食ってたな >>203
今わさび飯だったら中伊豆天城〜東伊豆河津で本ワサビを味わうのに
食堂とかで出してるわ おかずを買う金がなくて、母ちゃんが山や河原につくしやゼンマイ、ワラビを取りに行く
それを煮込んだりしておかずにしてやっと食事に
母ちゃんが「ごめんね・・・」といて涙をこぼしていた時には
世の中や将来になんの希望も見いだせなかった
時代はバブルのど真ん中だった >>54
昭和の頃は吉野家が出来るまで牛丼なんてなかった
地方とかは吉野家の進出遅かったからな
それまでは牛肉料理は高級品だったから庶民は特別の日以外は
あまり食べなかった 大学時代はイシクラゲを石抜きしてポン酢でよく食べてた
うまくはなかった 消防の頃はよく日曜になると家族で広い休耕田に行って
野蒜を抜いて来てトーチャン、カーチャンが酢味噌和えにして食ってたわ
俺は引っこ抜く専門 あ、そうだ、キッコーマンの豆乳は、1リットルパックの注ぎ口をなんとか改善してほしい。
ストローの細いのをさすような形なんだけど、あれはちょっと使いづらいんで、マルサンみたいにしてくれないかな。 >>213
うちは極貧だったが鰹節と
箱の上面にカンナが付いた鰹節削り機があったわ
時々刃の出具合調整してシャカシャカ削って食ってたな
削り立ては香ばしい香りが立って凄く美味かった かけてたがガキのころだけだな
あれはそんなに美味しい食べ方しゃねーな このスレ見てはったい粉なるものを知った
後で買ってみるわ 刑務所特集でやってた
出されたきな粉を飯にかけて喰う派と味噌汁に入れて飲む派に別れるとか 大人になってからその頃家計が火の車だったと教えられたわ
当時は甘くて喜んでたが 米粒が綺麗にきな粉でコーティングされてパラパラになるまで混ぜると美味いんだよね それでも白米だったのかな?
麦ごはん世代から見たら豊かなものさ。 >>167
寒天だとカロリーゼロだから葛湯かな?
毎日これで天カスとパンの耳貰ってくる生活って両親は働いてなかったのだろうか? >>227
あの瓶詰め、玄米ごはんにかけて一回で食べきっちゃう
貧しいとか関係なしに好き >>255
おきゅうとじゃね?
あれならギリギリ栄養ある おやつにサツマイモとか嫌だったけど
今だと逆に高級になるのかなぁ 俺の知人が金なくて2週間米と塩だけで暮らしてたら
栄養失調でぶっ倒れて救急車で運ばれて入院して借金を増やしました(´・ω・`) >>233
大人になってから学生時代からの友達たちとワラビを取りに行くようになった
元々友達の一人が地主で自衛隊に土地貸してたから
演習場に入り込んでワラビやイタドリ狩って来て重曹でアク抜きして
ワラビは油揚げと煮てダシと醤油で味付けて食ったな
あとは炊き込みご飯に混ぜ込んだり
演習場が火事になるまでは
今は入れなくなった
ぜんまいもあったがアク抜きが難しいのでほとんど採らなかった 子供の頃、おばあちゃんが
キナ粉でオニギリを作ってくれたんだが
それが、ママゴトで作る泥団子みたいに見えて
「汚い」
と言って絶対に食べなかった
おばあちゃんゴメンね 消防の時、一人っ子で両親共稼ぎで昼間誰も居なかったから
冷蔵庫にある食材刻んで小麦粉と卵と混ぜて水加えて練って
自分でお好み焼き焼いて食ってたわ ガキの頃はご飯に牛乳掛けて食ってた
桜でんぶ+牛乳...イマイチ
なっとう+牛乳...イマイチ
ふりかけ+牛乳...これは美味かった記憶が
こんな食事ばっかりでも、みんな元気だったわ 茹でた大豆を藁にくるんで発酵させたものを食ってます 消防の頃秋口にトーチャンと自転車で山の方の畑に行くと
じゃがいも収穫後に畦に商品にならない小さい芋が多量に捨ててあったので
それを拾って来てうちで茹でて食べてたな 厨房の時、アパートの隣に住んでたチンピラに気に入られよく連れまわされたが
一回すいとんを作ってご馳走してくれた
うちの親は作らなかったからこの時初めてすいとんを知った 山に普通に生えてたキノコを父が採って来て松茸御飯言われてたべた 弟が死んだ 釣り人が捨てて行ったフグがご馳走だが妹が不信死した幼き日の思い出。 揚げ玉ご飯うまいよ、白米との相性ばっちり
食感もさくさくしてるから飯がすすむすすむ きな粉を米一粒一粒満遍なくコーティングしてパラパラになったのをスプーンですくって食べるのが贅沢気分で好きだった うちは酸っぱくなった冷や飯をお好み焼きに混ぜて食わされてた(´;ω;`) 夏になると茶色い謎の粉末を氷水に溶かしたやつをばーちゃんが作ってくれたけどあれははったい粉ってやつだったのかな 別に貧乏じゃなかったけどやったことある。
好きだった。 餅焼いてお湯に浸してきな粉つけて食べるのが好きだった
餅がない時はきな粉に砂糖とお湯を入れて練って食ってた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています