日本の入試制度が生みだした〈思考すること〉ができない人間
アーレントは、「アイヒマンは愚鈍なのではなく、奇妙なほどにまったく〈思考すること〉ができないのでした」と述べている
(「思考と道徳の問題─W・H・オーデンに捧げる」『責任と判断』所収)。

〈思考すること〉ができないからこそ、自分のやっていることがどういう事態をもたらすかに考えが及ばず、
良心の呵責も罪悪感もなしにあれだけの悪をやってのけたのだとすれば、腑に落ちる。

「〈思考すること〉ができない人間なんて本当にいるのか?」と疑問に思われるかもしれないが、実際にいる。
しかも、学歴はあまり関係ない。たとえ高学歴でも、〈思考すること〉ができず、
思考停止に陥って、どんな不正でも淡々とやってのける人はいくらでもいる。

とくに日本の入試制度では、主に記憶力と情報処理能力(速さと正確さ)を見るので、丸暗記してしまえば、
思考力がなくてもかなり偏差値の高い大学に入ることができる。だから、一見いい大学、
いい会社のエリートコースを歩んでいるようでも、〈思考すること〉ができない人は少なくない。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190725-00010000-php_s-bus_all