大谷吉継はハンセン病でみんな茶を回して飲むの嫌がった。ただ石田三成だけ飲んだので友情が始まった
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いや関ヶ原は天下分け目の決戦とかいうけどあの時点でどう転ぼうが徳川の天下は揺らがなかった
仮に西軍が優勢で徳川が押されて撤退だったとしてもね
豊臣勢は朝鮮出兵で財政的にも人的にも大打撃を受けていたし血脈による繋がりもガタガタだった
弱らせるだけでよかった
結果的に西軍総崩れになったのは運的な運びではあるが、それを呼び込めたのも徳川の天下支配の布石がすでにあったからだ 序盤に奮闘したから三成はよく戦ったみたいな印象あるけども
長期戦想定だったのが関ヶ原の半日で片が付いたんだから
完敗も良いところだよな 徳川家康は関ケ原合戦当時
豊臣家の家老でしかも五大老の1人なのに
対戦相手を豊臣勢って言う奴
これホント歴史ニワカ丸出しのバカ >>76
京、大阪を押さえてたのに
何故か大規模野戦に討って出た三成の戦略センスの無さよ あの風貌でハンセン病と思われがちだが
病気の症状からすると、おそらく梅毒 ハンセンのウィーがyouthというのはデマ
ハンセンに直接聞いたので間違いない >>67
ハンサムが病気ってことは俺らブサイク面は健常者の証か >>1
原爆被爆も移ると差別されたんだよ
広島の被爆者は差別されても黙ってたよ
それなのに利権になるとチョンと大阪人が被爆手帳寄越せと裁判
その金広島市の負担なのに ハンセン病? 朝鮮出兵で梅毒にかかったんじゃないの? ハンセンの入場曲は最初いかにものどかな牧場風景を表しているところが好きだわ >>75
西軍に秀頼が出てきたら一瞬で終わるし家康は領地取り上げになるのに何言ってんだ? お茶の話って病気関係なく普通のやつのヨダレとかでも嫌がるだろ
むしろ飲み干したやつが変態的な精神持ってたとしか思えないわ 良寛さまの口から戻したお茶より
ハンセン病の膿入りお茶のほうがマシに見える。 大谷吉継と石田三成の仲は
戦国の世には珍しい
ガチの友情だからな >>69
干し柿を気にしたのは下痢じゃなくてタンの毒だからだろ >>105
令和の今でもお互いズッ友とか言ってるな
ツイッターで >>32
隻眼説もはっきりしてない。
病気による片目の失明、もしくは弱視説がある。 花の慶次の三成が好きだったな
涙と鼻水垂らして泣き喚いた直後にキリッとした顔するやつ 宝塚歌劇で秀頼は石田三成と淀殿の間に出来た子という演目を見て茶を噴くw 公共の場に顔を見せないでくれ
こわい 子供がトラウマになる 病気で余命いくばくもないことがわかってた大谷。
わざと負けるとわかってて西軍について自分の死に花を咲かせようとして、実際うまくいった。
もうこの頃は、戦国大名ってのはまずお家第一でみんな動いたのに、大谷はそんなことお構いなし、一族郎党どうなろうと知ったこっちゃねえ、自分の散り際だけを考えた。
大名の器にあらず、単なる匹夫に過ぎない男だったといえるよのう。 俺、39歳既婚。
妻とは歴史サークルで知り合ったw
清水宗治と大谷刑部は、神!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
これ見て何回泣いたことか・・・・ ↓
https://youtu.be/ylM3_IQJRDc?t=822 小早川さんを疑って寝返った場合に備えて軍勢貼り付けてあったけど、
そいつらも小早川さんの尻馬に乗っかって寝返っちゃったんだよね
山から駆け下りてくる大軍相手にまともにぶつかったらそら大変だろうから仕方ないけど
で、そいつらみんな大名になってるし 信長の野望革新PKの関ヶ原石田家の難しさは異常www >>57
大坂はあくまで中立で家臣同士の争いに介入する理由がないし
よほどのことが無ければ関ケ原の短期決戦は無かった
東北関東の抑えはバッチリされてて、九州では一応東軍側の如水大暴れ
そして関ヶ原が長期化した場合予備戦力だった秀忠38,000が絶妙なポジショニング
考えれば考えるほど古狸ヤバいわって思うよ >>106
いや、腹下しのことも念頭にあっただろ
おぬしのような下層にはそのことまではわからんて でも俺は三成が好きだよ
イチ文官にすぎないのに神君家康にあそこまで、ガチゲンカしたんだから。
あっぱれということで。 三成って忍城攻めのせいで武将としての評価下げられてるよな
あれだって水攻めは秀吉の指示だったって話あるし、その後も秀吉に重用されてる辺り信憑性は高い >>110
気づいたらおふういなくなって
おふうの親父がレギュラーになってて悲しい >>111
いつも茶々派のイメージ強いけど
実際は北政所釜飯派の一員なんだよね
茶々が増長し始めたとき
「側室の分際で調子に乗んな!」って
戒めてたりするし一応元主筋なのに... ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています