長野県松本市で1994年に起きた「松本サリン事件」から、27日で25年になる。事件の現場となったのは、松本市のJR松本駅から北東に約1・5キロの住宅街。
近くには、信州大や松本城がある。オウム真理教の幹部らが狙ったとされる裁判官官舎、噴霧車でサリンをまいた駐車場、第1通報者となった河野義行さんのかつての自宅、6人が亡くなった2棟のマンションが、今も残っている。

【写真】第1通報者の河野義行さんが記者会見をした部屋。壁の下側の和紙がはがれ落ちている=2019年6月19日午後1時7分、長野県松本市

 現場近くに住む女性(75)は、自宅でサリンを吸い込んだ。目が見えにくくなり、何度か通院した。連日のように警察や記者が訪れ、「すごい騒ぎだった」と振り返る。ただ最近は、事件は風化したとも感じる。「絶対に忘れることはない。
でも、当時を知らない人も増えてきた。少しずつ過去のことになってきている」

 一方、事件の発生からしばらく、警察とマスコミが河野さんを犯人視したことは、住民たちの脳裏に刻まれている。近くに住む男性(75)は当時、新聞記事を読み、「河野さんが犯人だ」と信じてしまったという。「今でも河野さんのことは気にかけている。疑ってしまったことは忘れない」と話した。

 「これはマスコミの人が持っていた機材がこすれてできた傷です」。永田誠子さん(70)が、自宅の居間の壁を指さして言う。3年前に亡くなった夫恒治さんは弁護士として、河野さんの代理人を務めた。

 壁に傷が残る居間は、事件の被害者でもあった河野さんが退院後、記者会見をした部屋だ。10畳ほどに数十人の報道陣がぎゅうぎゅう詰めになっていた。「終わったあと、壁に汗がしみていました」。壁にはってあった和紙はところどころ、はがれ落ちていた。

 「直したほうが……」と言う誠子さんに対して、恒治さんは「いいんだ、そのままで」と返したという。

 「背中に何本もの矢を討たれているようだった」。痕跡が残る居間で、誠子さんは、当時の夫の姿を思い出した。