諸葛瑾と諸葛亮は兄弟だが仕える主が違う為に兄弟だけの打ち解けた話って全然無かった様だな
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血が繋がってるだけにこじれるとそりゃあもうひどいものさ 大昔に儒教が受け入れられたのは、骨肉の争いが絶えなかったからでは?(そっちのほうが拗らせると酷い) 手紙のやり取りはしてたし充分仲良かったんでね?
仲良くない兄から養子貰ったり子供についての心配事とか手紙に書かないだろうし そら、内通してると勘違いされやすいから
連絡とらないのが普通だよなぁw しゆはなんだかんだ言って生きてる間は孫権誤らせなかったから偉いよね >>10
いくら頭が良くても次男だったからね。仕えたい人物がいなかった、てのもあるし。 >>13
それくらいのやり取りしてれば十分だよね。 亮は引きこもりだったのに偉人になれた
こどおじのスターだね せやねん
もうちょっと真田幸村的な兄弟エピソードが欲しいねん 関羽の無能っぷりがよくわかる
荊州落とされなかったらなぁ 故郷の思い出話
瑾「実はあの女とやったよ!」
亮「俺も、だけど?」
瑾「なんだこっちでも兄弟かよ」
亮「フフフ!」
瑾「ガハハ!」 諸葛亮と諸葛謹ともうひとりいたような気がするけど
まったく思い出せない
いなかったかな 諸葛誕みたいなのが問題起こしてたような記憶があるな 手紙のやり取りあれば十分だよw
いい大人のおっさんが恋人同士が会う訳ではない 謹アニキが馬面ブサで有名だったくらいだから臥竜センセイもブサだった可能性が こいつら兄弟だったのか
諸葛亮がしたことって凄いように語られるが三国志を読んだら何がすごいのかわからなくなった
むしろ劉備軍を破滅に向かわせてる気が 真田幸村と真田信之.も仲悪かったらしいな。
ドラマだと仲良く描かれるてるだけで 瑾にいちゃんてすごいよな、
主である孫権に
「疑うなら最初から使うな」って
言わせるだけの忠勤してたんだから 兄弟なんかどうでもいいよな
こじれすぎて困った自体になったときは豆の歌でも歌えばいいんだろ? 諸葛亮「諸葛・・・勤・・・氏が・・・ですね・・・」 書簡のやり取りはしてたでしょ
養子喬の近況知らせたり実子センへの親バカぶりを発揮したり 諸葛勤から諸葛恪みたいな息子が生まれるんだから子育ては難しいよな ていうか羅寒中って何でそんなに諸葛一族贔屓なんだよ >>36
田舎ヤクザの親分を、まがりなりにも「皇帝」にさせたんだぞ
天下三分はロショクの策とは言え >>51
呂布斬る時はワロてていいから
陳宮に泣いてあげて 俺もなりゆきで敵軍に所属することになった妹に金塊とか送ったことある そもそも兄弟って打ち解ける間柄か?
お互いの境界線決めて内側でゆらゆらしてるだけだと思うわ
有事の際は協力するけど普段は何もないよね >>10
実はライバルの司馬懿も引きこもってたんだよね。曹操が噂を聞き付けて無理やり仕官させたんだよ。
頭良い引きこもりって当時は他にも多かったらしい。
そもそも引き込もってる間、諸葛亮ってどーやって飯食ってたんだろう?
地元の名士だった嫁の実家から援助を受けていたのか?
それとも畑仕事とかやってたのか?たぶん前者だよね、ヒモやん。 周瑜の奥さんがすごい美人でみたいな話もなかったのかな
寝取っちゃおうかと思ってるんだけどいい作戦ない?
みたいな >>57
当時の?いや当時はもう違うか。
もっと昔、春秋戦国時代の中国では兄弟ってのは「主と奴隷」の関係で、
金持ちや権力者の子供でない限り、一般家庭では長男以外は結婚せずに自家の奴隷となる。
当時の次男三男の立場を表す言葉に
「父の生きている間は父に仕え、父の死後は兄に仕え、兄の死後は甥に仕える。
一生涯、食事の時に主の席に座り家族から尊敬の眼差しを向けられる機会も無く、
妻を娶る事も自分の子供を腕に抱く事も無い」
ってのがあるぐらい。
ちなみに女は次女でも嫁に行くし、『ヨウ(漢字忘れた)』とかいう「姉の嫁入りに妹もオマケとして付いてくる」システムがあったらしい。
ま、実際には兄嫁を兄弟で共有したり、このオマケ妹を事実上嫁にしたりしてたんだろうけどね。
漢の高祖・劉邦の参謀だった陳平は兄嫁に凄くイジメられていたらしいし、なぜかその兄嫁と密通した事で有名だった。
曹操も「有能なら陳平のような奴(人道倫理的に問題のある人物)でも召し抱えるぞ」って言ってる。
だから三国時代でもまだ兄と弟には身分の差が結構残っていたと思う。
因みにこの「次男三男自家奴隷」制度を禁止して、強制的に結婚させて未開の地に移住させて開墾させたのが、その後中国を統一する『秦』
秦はこのやり方で急速に国力をアップさせて中国を統一したってワケ。 諸葛亮から手紙送った逸話があったような。ウチの子小さい頃から天才だから将来大成しないかも的なの。
なお的中。 >>20
諸葛家、3国に息子を送ってたんだね。賢いね。 >>39
頭の良い一族で有名だったんでしょ、諸葛家って。 >>58
義務教育なんてなかった時代に、勉強出来る環境で頭が良い=そこそこ資産家の息子、だろうからね。 >>20
諸葛家、3国に息子を送ってたんだね。賢いね。 >>63
なんでよ
史実(ていうか記録)と創作、両方並べて見るの面白いじゃん >>38>>41
真田兄弟の仲は史料というより伝説の部分が多いから、どこまで信用できるか判らんが、
俺の個人的な印象では「弟・幸村側からはあまり仲が良くは書かれていない」が「兄側は弟に対して特に遺恨は無い」って感じだ。
仲が悪くなった?原因としては関ヶ原の戦い・犬伏の別れの時の兄嫁・小松殿の対応らしい。
そもそも犬伏での家族会議の後、兄・信之と昌幸・幸村が別行動だったの見た部下が
「お兄ちゃんどーしたの?」って聞いたら幸村が不機嫌そうに「アイツは浮き木に掴まって流されて行くんだとよ」って答えたって話がある。
その後、父・昌幸は幸村を連れて、突然、長男・信之の城を訪れて「孫に会いたい」と入城を求めた。
信之の嫁・小松殿は「城内の兵は全て元々は昌幸の部下だから簡単に城を乗っ取られる可能性がある」と考え、
門を開けずに薙刀で武装し「既に敵味方に別れた以上、入城は許可しない。翌朝、近くの寺に子供達を連れていくのでソコで面会させる」と回答した。
これを聞いて父・昌幸は「さすが本多忠勝の娘だ」と喜んだそうだが、
幸村は激怒し、大坂冬の陣と夏の陣の間に甥っ子達が面会に来た時も、
兄のお妾さんが産んだ子供達には親しく声をかけたが、小松の子供達には声をかけなかったらしい。
一方、兄・信之側は幸村の死後、思い出話として「弟が怒っている所を見た事が無い」と語っていたりする。
また、こんな話もある。
真田信之は部下を手討ちにした事が一度も無かった。
しかし「実は若い頃一度だけどうしても我慢できない事があって部下を手討ちにしようとしたが、失敗して片腕だけ切り落としてしまった。
腕を切り落とされた部下は痛みで暴れまわり、とんでもない修羅場となり、その隙にその部下は逃げ出してしまった。
ま、弟が素早く追いかけてブッ頃してきたけどね。アイツまじ怖ぇ」 >>65
しかし、蜀は龍を得、呉は虎?を得、魏は犬を得た、という評価は酷いと思う 諸葛なんとかって
三国志でいきなりでてきて
その後の時代では全然名前みんな >>58
畑仕事やってただろ演義の描写ではあるけど。
晴耕雨読の自給生活。 諸葛恪も馬鹿にされるけど有能だよな
兵力3倍か4倍くらいある魏軍を徹底的に打ち負かしたことあるし >>59
小説や漫画だと大喬小喬を孫策と周瑜が誘拐し江南に持って帰った 孫権に諸葛亮寝返らせらんねー?と聞かれたしゆがあちきが孫権様を裏切らへんように弟も劉備を裏切りまへんわと返した話好き 俺も三国志のゲームやりたいが
唯一出してるコーエーの最近のが
軒並み糞なんだよな・・・ >>79
13結構面白いじゃん
クソって程でも無いと思うが
12は酷かったけどな ゲームは8でニートしながらひたすら自分鍛えるのが好き >>79
steamでコーエー過去作三国志シブサワコウアーカイブス出てるからこうてもええんやで >>80
絆結ぶために自分はひたすらお使いしてて
内政は絆結んだ奴に丸投げな本末転倒なゲームが面白いと思うなら
まあそうなんだろうな 現代で言えば米中露の要職に就いてる感じ?
そりゃ話なんかできんわな >>84
三國志は昔からそんなもんだろ
連弩やら井闌開発した者勝ちなゲームやら君主の仕事が部下の愚痴聞いたり皇帝虐めるだけのゲームやら悪名上がるから武将切れないゲームやら 三國志Vはアホほどハマって遊んだわ
各地で徴兵し大都市で解散し意図的に人口増やして遊んだりしてたわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています