「紅葉パラダイス」覚えてますか? 琵琶湖畔にあった奇抜な娯楽施設
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「はだか〜天国! 紅葉パラダイス!」。大浴場で背中を流す多くの男性客が叫ぶインパクト抜群のテレビCMは昭和40〜50年代、関西のお茶の間でおなじみだった。
【写真】オリエント急行の列車ホテルもあった、かつての紅葉パラダイスの園内
大津市茶が崎にあった紅葉パラダイスは1966年、「東洋一の総合レジャーランド」をうたって開業した。3万平方メートルを超える琵琶湖の埋め立て地に温泉と遊園地、演芸場を兼ね備え、祖父母から孫まで家族3世代が楽しめるテーマパークだった。
「何でも本物でないとあかん」。運営会社の丸玉観光(京都市、廃業)の創業者・木下弥三郎氏の口癖だ。孫で紅葉パラダイス最後の総支配人だった木下公一さん(67)=同市左京区=が振り返る。
その哲学通り、奇抜なアイデアが話題を集めた。多彩な温泉を楽しめる「はだか天国大探検温泉」の中でも代名詞は「ジャングル風呂」。熱帯植物の中を湯が流れ、本物のワニを観賞できた。弥三郎氏が「せっかく温かいならワニや!」と思いついた。当初はフラミンゴもいたが、「ふんが臭くて断念したらしい」(木下さん)。
アガサ・クリスティの小説に登場した豪華寝台列車・オリエント急行の実物を輸入し、「列車ホテル」を開業した。琵琶湖上にせり出したジェットコースター、「東洋一の大きさ」を目指したプールのスライダーも人気だった。
大津市歴史博物館の木津勝学芸員(49)は「自家用車が普及し始めた時代で、レジャーブームの受け皿になった」と評する。京滋や大阪から多くの行楽客が訪れ、ピーク時は年間50万人に達した。
だが、アウトドアなどレジャーの多様化が進み、徐々に客足は遠のいた。「うちは娯楽のオールインワンだったけど、人々の遊び方が変わってきた」と木下さん。赤字経営に陥り、98年に営業を終了した。
紅葉パラダイスでアルバイトしていた木津学芸員は「もう存在を知らない人も多いでしょうね」と寂しげだ。「はだか天国」の跡地には今、高層マンションや遊戯施設、飲食店が立ち並んでいる。
https://youtu.be/OAJQdCbaFvU