黒田官兵衛「出世して秘訣は?」豊臣秀吉「ただ目の前の仕事を一所懸命こなしただけだぞ」
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豊臣秀吉が築いた大阪城の天守台の基礎を初めて確認 大阪市立大学
https://univ-journal.jp/26287/ >>2
目をいじらなければこんな感じになっていただろうな 軍師官兵衛は面白かったな
やっぱり野望を持って戦った男を主題にしないと戦国ものはつまらんよ
篤姫のヒット以降、女を意識すれば視聴率がとれるなんて幻想のせいでどんどんつまらなくなってった >>14
農民ではないが高橋是清が近い
アメリカの留学先で奴隷として売られた >>26
毛利を始末した後は 官名からして秀吉と光秀は九州へ行かせるつもりだったんだろうね
光秀は「もうこの歳で九州なんて冗談じゃないよ 勘弁してくれ」と思って
本能寺の変起こしたのかもしれんな >>62
年齢諸説あるけど66歳だとすると「今からあぁぁ」って感じだもんな。 >>52
楚を滅ぼすから褒美くれ褒美くれ褒美くれ
老後のために土地くれ土地くれ土地くれ 残念ながら日本じゃ単に仕事出来るだけの奴は
妬まれて足引っ張られるだけなんだよな
官兵衛も晩年は冷遇されてるし まあ最近の有力な潮流は、
・信長は政治的には保守的なマジメ人間で、幕府や朝廷、畿内しか視野になかったが敵が出てきてそれを倒すの繰り返しだった(まあそれでももちろん有能なのだが)
・本能寺は光秀が四国に入れ込みすぎて、マジメだったので四国への信を優先したから。
って感じっぽいけどな >>65
足引っ張られるだけでよかったじゃん。
中国ならことごとく誅殺されていた。 >>65
秀吉配下だと冷遇されてるけど、>>31説と、記録にも残ってるキリシタン説がある。(洗礼名シメオン)
家康からは>>55の褒賞で、長政に52万石、如水にも相応石高(ただし東国)を賜ったが辞退して隠居した。 >>63
66歳なんて説もあるの? 信長より5〜6歳上だと思ってたよ >>74
年齢不詳だけど、54歳説と66歳説があるみたいだね。 >>36
劉邦はどうだったん?
横山マンガじゃ「地元じゃちょっとした奴」みたいなスタートだったが いまは、目立ったことしないと組織では出世しないし。見えないところで苦労しても誰も見てくれない。そんな時代… 最古参の仙石を筆頭に優秀な家臣団をあつめたからだろう(適当) 普段から無能感を出し
舐めたこと言われたら激昂して周りに恐怖を植え付ける
ただこれだけ >>77
逆じゃね?
今の若手は出世欲無いんで、出世を望む者には有利。
と言っても、リーダーになると同時に鬱になる若手が多いのも事実。
いいリーダーの条件が昔より厳しいんだろな。
残業ゼロを目指すが業績アップ必須、部下の批判は受け止め、教育し、導き、強く叱ってはいけない。 松下之綱は人を見る目凄いよな
秀吉に武芸、学問、教養、とか色々教えたんだろ 秀吉の父親が信秀の足軽じゃなきゃ、さすがの信長も出世させることはしなかったかと >>76
地方の小さな警察署長。でも真面目な官吏ではなく酒と女をこよなく愛する任侠親分。 >>14
平安時代中期の武士はほとんど貴族のはしくれだったが
平安時代後期の武士は、遥任&重任を経て、地方豪族と変わらなくなってたから、ほぼ農民
それでも足利ぐらいまでは血筋を辿れば貴族って世が続いたが、地方自治が進んだあたりから地方じゃ農民と武士は境があいまいになった
信長の軍団制で支配階級の武士だけ専業化したが、刀狩りで武士は専業の人だけにしますよ、って決められた
農民からの成り上りって言う意味を天下人ってことに限れば、そんなの歴史上そうそう出てくるわけでもないが
武士になった農民だったら、江戸時代なんかでも金で武士の地位を買えたわけで、いくらでもいる >>82
今でもOJTめっちゃ張り切る奴いるじゃん?
見る目があったと言うより、教育好きだっただけかも知れん >>66
東北に好通じてたし
九州まで影響力あったのに? >>24
蜂須賀家は後世の創作の風評被害が可哀想だよね。
明治になって華族となった蜂須賀家。明治天皇との会議で置いてあった葉巻が美味しくて、
もう一本ポッケに拝借したら天皇に「さすが蜂須賀w」と笑われたそうな。 長浜城で対信長連合軍の大群を死を覚悟しながら見事守りきったのが男前 天下取ってから目の前の仕事なくなってから、おかしくなったんだな 親戚に教員ばかりだし姉2人も大学出。
本人が拗ねて進学しなかっただけなので
まぁ半ブルジョアだよ。 >>92
富豪ではないけどびしっとした家系だ
たしかケンコバも祖父が教員でシベリア抑留帰りだったね >>86サンクス
署長ならローカルでもそれなりの見込まれ方はしていたのな 誠実なこと言ってるように見えて、「え?俺なんかやっちゃいましたか?」のように聞こえる >>76
少なくとも親は名前もまともに伝わってない(元々身分が低すぎて無かった?)レベルの農民。
劉邦自身は畑仕事せずにヤクザになって酒場の守り代集金してた。
カラテカ入江並みに人脈が広く、劉邦の支配下に入った酒場は劉邦の知り合い達が大勢客として来るので、店はかえって喜んだと伝わっているが真相は不明。
確実なのは田舎町のヤクザの親分としては結構子分や知り合いが多かったのは事実のようで、
のちに天下を取った後の漢王朝中枢にこの頃のメンバーが多数含まれている。
樊噲(ハンカイ)はこの頃からの子分と思われる。他にも一人、この頃に産まれた劉邦の長男・劉肥だったか(呂后の子では無いので皇帝に成れなかった)の義父もこのヤクザ時代の子分。
また、どうやったか知らないが裁判所の書記や刑務所の刑務官、県知事の運転手などとも深く交流し、県知事の車を勝手に乗り回していたそうだ。
こーゆー公務員コネを使ってチャッカリ亭長(警察所長)クラスに出世してる。
(のちに強制労働者の護送に失敗して自分も逃亡。山賊になる)
ちなみに、この裁判所の書記が漢王朝初代丞相(総理大臣)の蕭何(実際には更に上の名誉職・相国)、
刑務官が二代目丞相の曹参、知事の運転手が夏侯嬰。
三代目丞相も確かこのヤクザ時代の劉邦の兄貴分だった奴じゃなかったっけな?
名前忘れちゃったけど、かつて兄貴分だった分、劉邦が出世した後も部下になろうとせず、他の連中より出世が遅れた。
(但し劉邦の両親が項羽に捕まった時に救出して劉邦と和解した) 上司の無理難題をクリアしまくったらどんどん出世して
ある日社長が失脚したので派閥争いが起こったけど勝って天下とりました
今も昔も同じだな ガースーが官房長官まで上り詰めたのもそんな感じじゃね 秀吉は信長の元で戦争しか学ばなかった
だから戦争のなくなった国内に飽き足らず外国にも攻め込むはめになった >>107
国内統一を果たしたら、
その有り余る武力集団を使って海外遠征に出るのは古今東西
あらゆる歴史でもそうだからね。
無双もBASARAも デ ザ イ ン が 糞 過 ぎ て 嫌 い なキャラだわ
>>44
宰相とはいえ奴隷に命令されるとか指揮系統大丈夫なんかな >>111
イスラム圏の奴隷は違うからな 奴隷出身の皇太后とか平気でいるし >>66
四国説については子孫が勝手に言っているだけで証拠がない。特に支持する学者もいない 菅官房長官そうだったんか
それなりの豪商だったんかな でもどうせ藤吉郎も豪農の子だったりするんでしょ?
サンシャイン池崎やEXITの兼近みたいな貧乏からの大出世ではないよ >>104
よく覚えてるなw
三代目丞相、気になってググってみたら、王陵だったか、思い出した。
漢帝国成立直後はそれに周勃とかもいて、昔の仲間たちで王や諸侯になって、
楽しかったんだろうと思うよ・・・。 さよか。ちなみにあなたのお弁当のプラッチックの緑のギザギザは、私が植えました(๑╹ω╹๑ ) >>119
その人の分を超えた金も権力も身を滅ぼすのさ。今川氏真とかはそういう意味で賢いね。 秀吉もそうなんだが弟の秀長が有能すぎるんだよな、2人揃って農民上がりとかちょっと信じられない >>121
今川氏真とか斎藤龍興は昔は無能のゴミ扱いだったのが最近評価上がって嬉しい
てかどっちも若すぎだし無理ゲーすぎだっただけだし >>121
平和な時代の大名だったらこんな叩かれずに済んでただろうけど
松平不味公的な文化に貢献した扱いの存在で >>18
一番出世したのは大政所
秀吉も同じく従一位になったが、乗り越えた壁の高さは女である大政所の方が上 長政「褒めてください父さん、僕やりましてん」
如水「アホかー!」 >>125
時代によって求められる能力は違うからなあ
猛将として有名な戦国武将が平和な江戸時代に生まれたとして事務仕事をちゃんとできて名を馳せたかと言われると微妙やし >>128
過渡期だと、どっちに振れても、本人も辛かったりするよな。
徳川秀忠は、軍事は全くの無能だったが、政治家としては超有能だった。
あの時期に、あれだけの大粛清をやって、未遂含め謀反を1つも起こさせていない。
でも、同時代の評価は散々だったらしい。
秀忠の才能を見抜いていたのは父家康ただ一人だったと思われる。
後世の俺らとしては、もう少し評価しても良い人物だと思う>徳川秀忠
これと対照的なのが結城秀康であり、息子忠直であり、あるいは徳川忠長だったりする。
同時代の同僚武将(つまり江戸初期の大名)の覚えめでたいが、それは軍事的才覚に近いものであって、
平時の政治力には大いに疑問符がつく。 >>128
猛将勇将としても文化人としても優れてた細川とか政治家としても優れてた井伊や真田ってスゲーんだなって思う
島津みたいなバーサーカーは別として >>129
信さんが秀吉に頼んで全国の美女をこっそり集めようって遊びをやろうとして勝家にツブされた記録があり、信さゆって、家臣団の前では完璧人間だけど、秀吉と組んで息抜きをしてた風情があるw >>130
離婚歴二回の江を正室に迎えその子孫は現在の天皇家にまで繋げることになった
秀忠は勝ち組。 司馬遼太郎の短編で
荒縄を結わえてあぶみにして
木下藤吉郎が秀長をスカウトしにゆくところが
とてもかっこいい 息子が自分が思う以上に有能で関が原で大活躍して合戦が一日で
終わったせいで、天下が取れなかったでござる。 官兵衛がまじで頭良すぎたとか秀吉が警戒したとかってのはマジなの?あと実は天下狙ってたとかの信憑性ってどんもんなの キレ者だけでは出世は出来ない
秀吉のように、他人が協力してあげたくなるような、愛嬌があれば最高w >>69
冷遇じゃなくて特別待遇説もあるけどね
秀吉は官兵衛に豊前6群を与えて検地して自己申告しろって言って官兵衛は12万石と自己申告
(大名に検地を自己申告させることそのものが異例)
実際には豊前6群の石高は普通に検地したら25〜30万石あって実石高の半分以下の労役で済む
超脱税状態なのを今までの功績を鑑みて秀吉が認めたって話もある
太閤検地で多少、高直しされているけど >>133
しかも6歳も姉さん女房で気も強かったんだろ
まあ母や姉には似てなかったけど違うタイプの美人だったらしいけどな >>136
秀吉が官兵衛を恐れていたと言われるのは、こんな手紙があったから。
「秀吉、常に世に怖しきものは徳川と黒田なり。然れども、徳川は温和なる人なり。黒田の瘡天窓は何にとも心を許し難きものなりと言はれしとぞ」
どうやら家康を全面的に信じてして、(生涯一度も裏切らなかった)官兵衛を信じていなかったフシがある。
↑
中国大返しから織田家を乗っ取った絵図が官兵衛だったと考えると理解できるとする学者がいる。 >>136
明らかに天下を狙ったのは関ヶ原の戦いで、これは全ての条件が黒田家に揃ってた。>>55参照
九州各将は関ヶ原に向かっており兵力なし。
九州討伐に成功した場合、
西軍が勝利しても戻るべき国が無い。(最大のチャンス)
東軍が勝利すれば功労賞がもらえる。(史実)
倹約で貯めた多額の金と銃を蓄えてあり、これで1万もの兵を揃えた。
ちな、長政が関ヶ原に連れていった軍団より兵員(倍)と銃数が多い。(銃を揃えたのは集める兵員の練度を考慮したため)
こんな手紙が残されてるんで、マジだったと思われ。
「関ヶ原の戦いがもう1ヶ月も続いていれば、中国地方にも攻め込んで、華々しい戦いをするつもりであったが、家康勝利が早々と確定したため何もできなかった。」 岐阜城の搦め手攻略、お前らなら道に迷って討死
金ヶ崎の退き口、お前らなら士気崩壊して討死
長篠の合戦、お前らなら柵を突破されて討死
播磨攻略、お前らなら別所に裏切られて全軍崩壊して討死
毛利攻め、お前らなら普通に負けて討死
目の前の仕事がハード過ぎるんですが 金ヶ崎の退き口なんて死亡率90%以上の超ブラック任務だしな
それを完璧にこなして自分も生還するとか並みの武将じゃできないよ 大河観る前まではジャニーズが主役かよって思ってたけど、観てみたら岡田准一が良かった。
特に後半は演技うまく似合ってたな。 >>144
長篠の戦いの織田軍は、多重の馬防柵で野戦築城した砦を1000から3000丁の鉄砲で守り、その背後に最低でも3.8万人(7.8万人説あり)の兵を備えてた。
んで、攻撃側の武田軍は1.5万人。
史実では騎馬突進は無く、徒歩での突撃。
自軍より数倍の兵力がいる城を攻めてる感じ?
どうやっても、ねw
ちな、織田軍の損害は60、武田軍はほぼ全滅。 >>145
明智「何でサルと一緒に戦ったワシは評価されんのや(´・ω・`)」 >>149
織田家中でナンバーワンクラスの出世じゃね? >>112
奴隷として取ってきた欧州あたりの姫に産ませた子供とかが次の皇帝になるのがオスマントルコで奴隷王朝って奴だったっけ?
もちろん奴隷女は1人じゃないから皇太子は何人もいて
そして親父が不慮の死など迎えようもんなら
それらの王子間で次の王位争うことになって負けたら
もちろん首を刎ねられるという、ってのを何かで読んだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています