45年8月の敗戦後、日本に進駐してきた連合国軍総司令部(GHQ)の意向を受け、政府は憲法問題調査委員会を
つくって明治憲法改正の検討に着手。ポツダム宣言の受諾によって日本軍は武装解除されたが、委員会は
軍に関する規定を憲法から削るべきか、将来の再軍備に備えて残すべきかで論争を続けていた。

連合国の中には、昭和天皇を東京裁判にかけて戦争責任を追及すべきだとの声があった。だがマッカーサーは、
天皇なしでの円滑な占領統治はあり得ないと判断。日本が二度と戦争を起こさないことを明確にするため
戦争放棄を盛り込んだ。

憲法制定過程に詳しい憲政史家の古関彰一さんは、昭和天皇が終戦直後の9月4日の帝国議会開院式で
「平.和国家を確立して人類の文化に寄与せむ」との勅語を出したことなどから、「天皇制の維持と
平.和の推進が一対であることに最も早く気づいていたのは実は昭和天皇だと思う。マッカーサーの狙いと
昭和天皇の考えは一致していた」と語る。「1条と9条は、天皇制を維持するかしないのかという非常に深刻な
選択の末に生まれてきた。そのことが日本人の間であまり知られなくなったのは残念だ」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190502-00000036-asahi-soci

今日21時の朝日新聞のネット記事とその後の報ステ映像。
国民の皇室への議論を活発化させ「憲法1条と9条はセットなんだ」とするのが当面の朝日のキャンペーンなんだろう。
皇室に対する国民の真摯な思いを逆手に取り、憲法改正に対する意欲を削ぐ様なやり方は実に腹立たしい。
https://twitter.com/tiger_1225/status/1123997454116978688