石田三成が3万石の時に島左近に1万石分けたから島が感激したと聞いたが
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秀吉から2万石で誘われても10万じゃなきゃ仕えんと断った武将を
500石の小姓時代に500石全部で召し抱えて自分は居候になった話好き
三成っていまだに嫌われてるけど空気読めないだけで根は悪いやつじゃないと思う 織田信長と桶狭間の戦いで戦ったオッサンが名駅に飾ってある
名前は思い出せない >>10
あおなみ線荒子駅には前田利家が飾ってあるで。 三成が京都の町を引廻されている最中にお湯が飲みたくなったので、警護の者に伝えたところ、お湯がなかったので干柿を差出された。三成は「痰の毒であるから食べない」と言って断った。「間もなく首を刎ねられる人が毒を断つのはおかしい」と笑われた >>9
根どころか正義感の固まりだと思う
嫌われてるかなぁ?
黒田官兵衛では極端に悪役にされたね
司馬遼太郎の小説を読んだ世代は
真面目な人だと思ってる人が多いと思う >>15
そのエピソード好き
ほんとかどうかわからないけど
石田三成が「大志を持つものは最期の時まで命を惜しむものだ」
と答えたんだよね >>17
あ、ごめん、俺が司馬の話をしたから?
俺はもちろん全部嘘だとわかってるよ
ただ一般的には司馬のリアルな小説を
史実だと思ってる人が多いだろうねぇ >>19
龍馬なんて司馬のせいでスーパースターにされちゃったからなあ
近年では正しく再評価されて歴史の教科書から消えそうだが >>15
三成(喉乾いてるのに干し柿とかアホかよ…) 島左近って何が凄かったんだ?
三成が高禄出したってのと関ヶ原の序盤だけ頑張った以外のエピソードってあるのか? >>21
逆が乃木希典だよね
めっちゃ低評価
それは司馬が昭和陸軍の史料(名前忘れた)を読んだかららしいけど >>11
今井謙治だったか
今井モトツネさんだったか 俺は佐和山のふもとで育ったけど地元の人の一部には熱狂的な石田三成ファンがいたなあ。
もちろん井伊ファン(っていうか元家来)も多かったけどね。
井伊さんとこのお子さんも学校にいたし。
石田三成は融通きかんやつだったんだろうね。優秀だろうけどそれは秀吉という上司が
いてこそなんだろうと思うのですよ。
でもまあ戦はへたくそだったんだろうなあ・・・
>>15
死ぬ最後の瞬間まであきらめないのが真の男だからなw >>23
島「つっぱることが男のたった一つの勲章」 佐和山城と彦根城って同じところに立ってると思ったけど彦根の隣の山が佐和山なのね。 >>23
三成は戦がヘタクソで、それを補うためじゃね?
その頃ちょうど左近がフリーだったから家臣にした(適当) >>1
石田三成が500石の時に渡辺勘兵衛に500石与えたら感動して仕えた。なお、秀吉が2万石の条件提示してたのに断られた模様。 >>27
TBS関ヶ原の加藤剛の石田三成が
そんな感じ
融通利かないというか空気読めなくて
病的に正義に拘る >>7
秀吉もな
真田丸の秀吉はほぼ慶次と同じだった >>33
森繁久彌相手じゃどうやっても寿命で負けるわなw 三成「殿下に百万石やると言われた時に素直にもらっておけば…」 >>31
小説なんかではそれが良く言われてるけど
三成以前に島左近が戦で活躍したって話は聞かないんだよな
高禄で抱えたからには何かがあったんだろうけど
それがなんなのかがサッパリわからない 三成を小物にするとそんなんを全力で倒して天下とった家康の評価も下がるからな
三成はカスだけど周りが優秀というのも使えない
大谷吉継も島左近も心酔の逸話があるし親友の直江兼続とかもおるから
三成が小悪党のカスとするとそいつら全員カスが大好きなカスになってしまう >>40
武田家臣時代の猛将だろ
戦歴が三成ごときに仕える分際じゃなかったんだろ 三成は好き嫌いが分かれるタイプの人間だったんだろうね
三成大好きな奴らが結構いる一方で、三成が嫌いだから東軍についた奴もかなり居るし 花の慶次では三成がやたら小物っぽく描かれてた印象
で、慶次の親友である直江兼続は立派な人物
じゃあ、その兼続の親友がなんであんな小物臭い奴なのかとチグハグ感が否めない >>29
当時は間に琵琶湖の内湖が広がってたけどねえ。
佐和山のほうが高いので山城、金亀山は低いので平山城ってところでしょうか。 関ヶ原行ったとき石田三成の家紋描いた痛車というのを見かけた。
石田三成みたいな小物でもファンがいるんだな 現在の資産価値でいうとどんな感じなのだろう
石高って 実際、石田三成の人物像って江戸時代に評されたもんなんだろ >>42
武田じゃなくて筒井順慶
あの松永久秀と大和で血みどろの抗争していた
最終的に二人とも信長の家臣になったが怨恨は深く久秀が謀反起こしたのも信長が順慶を重用したのが一因
んで左近は筒井家の重臣だったんだが順慶死後に次代と喧嘩して出奔
浪人していたところ光成にスカウトされた そんなとこの侍大将になっても足軽が少なくて大変そう・・・ 司馬史観は菊池寛の系譜だから
取り立てて責めるのはアレだよ >>51
直江の評価高いのは上杉鷹山が手本にしているか 良い人そうなのに何でこんな嫌われてるんかね親友にも人望無いから裏方さんやれや言われてるし 淀川決壊の時に土俵と米俵交換のエピとか
庶民に対しても真面目な人のイメージ
良くも悪くも目線がフラットというか 2万石だろ? 三成は当時の知行は4万石だったが半分やろうといったんだ >>18
某光栄の武将ファイル(覇王伝あたりか)でそのエピソードについて、
「限りなく正しく、限りなくくだらない。まったくつまらない男もいたものである」
とひでーこと書かれてたな。 >>64
クソがつく真面目だわなwww
地元農民には慕われてたようだけどねえ。 ちなみに花の慶二では悪役扱いされてた
石田父と石田兄はマジ聖人
聖人過ぎて領地替えの際、領民から
あんたが殿様じゃなきゃ嫌だと直訴されて
次に来る殿様の良いとこ挙げて説得に行く
レベルの聖人
だから出世は三成の七光レベルしかしない でも三成友達には恵まれてる
大谷みたいな男前な友人いたら人生大勝利だわ >>67
与次郎はバレれば当然死罪なのに命懸けで三成を匿ったからな。それをスルーする歴代大河 数倍の敵と戦って耐えた戦闘上手だったのは関ヶ原で証明されたので元は取れた。 >>50
もともとは、一年間に一人が食べる量が一石
時代と共に価値は変わったけど、まあ大体の目安にはなる >>52
ちなみに家康の孫の中には
「石田三成は徳川方からみたら大逆人かも知れないが豊臣方から見れば紛う事なき忠臣だ」
と評した人も居たりする
ええ反骨爺こと黄門様の事です 徳川が天下取ったから三成は豊臣家を守ろうとしたとか言われてるけど、三成が関ヶ原で勝ってたら三成が豊臣家を潰してたと思う >>74
それもよくいわれるけど、そもそも徳川と石田では力が違いすぎるので石田にとって関ヶ原で勝利しても豊臣の権威は必要だからそうはならない
徳川との戦は関ヶ原の後も続く 花の慶次→影武者徳川家康→左近と作品を描くに連れて
石田三成がどんどん聖人化されてたな原哲夫の漫画では
左近ではトキレベルになってたw 長期戦想定してたら関ヶ原の半日で終戦だからな
ぶっちゃけ大惨敗なんだよな >>73
しかし三成がいなかったら家康もそう簡単に天下とれなかったんじゃないの?
他に正面切って勝負挑んできてくれて、かつ豊臣武断派がきらいな人・・・ まぁ家康がやんなくても
強大な外様による合議制なんて長続きするわけ無いから
どうやったって豊臣の没落は避けられんわな >>43
文官と武官の対立よ
直後にくる江戸幕府初期にも有った >>78
そう考えると天下太平のために徳川に政権を譲渡するためにあえて悪役を買って出た男前三成くんってストーリーができそうだ あまりドラマとかでは見ないが家康は大坂城にもう一つ自分の天守閣
建ててるんだよな。そうとうえげつない挑発w
>>74 >>75
あと西軍が勝ってたら毛利幕府ができてたのでは・・・とも言われる >>80
尾張・美濃閥と近江閥の対立の方が近いかと。 >>79
幕末も徳川慶喜や土佐藩が合議制にしようとしたけど、
薩長が認めず倒幕になったんだよね >>41
実際 三成は小物だろ
総大将は毛利だったんだから まぁそれだけの価値のある武将だった
単なる脳筋でもなかったし >>46
そうかな
いい感じに描かれてたと思うけどな
熊と酒飲んでたくだりはいい根性してたぞ >>73
吉原で豪遊し、無実の民を辻斬りにし、改心して学問に打ち込んだかと思ったら、日本史編纂事業を名目に百姓から重税を取り立てた極悪人水戸光圀に擁護されるとは三成も浮かばれないな。 三成「喉が渇いた。。。」
曹操「もうすこしで梅林があるぞ。そこで好きなだけ梅を食え!」
三成「唾が湧いてきて喉の渇きが止まった!さすが曹操」 司馬史観ってバカの一つ覚えに言うけど、
関ヶ原に関しては司馬が関ヶ原書いた頃から
たいして新資料も出てないから
それなりに正確なところも多いぞ 山本耕史の石田三成は喧嘩が強そうでいまいちだった
やはり江守の三成だな 俺は萩原聖人の三成が1番好きだわ
すべては淀の方さまの為だったけど 石田三成ツイッターやってんだよな
毎年関ヶ原前になるとヒートアップする 石田三成の末裔が徳川吉宗に反抗して贅沢三昧で暮らした尾張藩主徳川宗春 福島正則と加藤清正とかいう豊臣家滅ぼすアシストしたクソバカども
あの世で三成に謝っとけよ 実際の関ヶ原は開始2時間くらいで東軍の圧勝で終わったんだっけ? >>97
地味加藤 浅野幸長 池田輝政 細川忠興黒田長政 蜂須賀家政 藤堂高虎「ゆ、許された」 五大老の合議制が有名無実化したのも大きいよね
他の四人がgdgdやってるのに家康が一人で回してうまくいくの見せつけられたら、じゃあ天下様は家康でいいじゃない、になるわそりゃ
この観点からすると、多少家康に資質で劣ってたとしてもなんで秀次殺ってしもたんや…って思わざるをえない
政権にタッチさせなきゃ、家康が政権取るにはクーデターしか手がなくなり、障害はずっとおおきくなる >>94
光成Tweet
「あれ?小早川敵陣壊滅させたんじゃなくて?なんで秀秋が俺様に攻めてくるんだよーーーー」 河内畠山家臣時代や筒井家臣時代にはたいして活躍できなかった男が
何故、石田家に仕えた途端、こうも重用されたのか
最近では島左近直筆の書も見つかったみたいだし 関ヶ原は一次資料を読み込むと、家康も三成も関ヶ原では布陣してなかったとなるらしいな >>189
>>76
花の慶次の原作の一無庵風流記では三成もまだ小物だったから原哲夫が大幅に脚色して小物感が前面に出たけど、影武者徳川家康では重要人物だった為に原作通りになったからな >>46
それを言うなら花の慶次の徳川家康はタヌキそのものだったのに、影武者徳川家康ではイケメン俳優のようだった事のが違和感だわw ゲームの仁王面白かったなぁ
フィクション半分だけど、相関図がなんとなくで理解できる
歴史勉強したい人嫌いな人はまずやってから勉強すると結構頭に入ってくるかも >>107
強かった
俺は左近の「死ねぃ!死ねぃ!」が今でもトラウマ しかし、徳川家康も中途半端だよなあ
毛利も島津も皆殺しにしちまえばよかったのに
信長ならやったと思う
そうすりゃ、後に安倍政権なんてできてないのに 近年になって「実は○○だった」出てきすぎじゃない?
昔の歴史書どんだけ手抜きだったんだよ >>119
どの時点で皆殺しにするんだよ関ヶ原で島津義弘逃した時点で無理ゲーなのに 金で困ることなくなるから仕事なんてやってられるかよってなるわなw >>4
これドヤ顔で言う奴いるけど
元ネタとそれがなぜ三成ネタに変換されたか
知らないでドヤ顔してるシッタカばかり >>9
昔は嫌味で小憎たらしい空気の読めないガリ勉モヤシ野郎だったが
近年、ゲームやアニメの影響か知らんけど
三成は真面目な美男子扱いになってるらしいぞ
歴女() >>124
一言坂の戦いの
家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八
か?これを三成に当てた経緯って知らんわ教えてくだされ 規模から考えれば、冥王星の衛星と言われたカロンみたいなもんやな。
いつからかそう思うようになったわ。 秀吉「茶を所望じゃ」
三成「来たばかりで無茶言うな!まだ沸いてねぇよ!とりあえずこれでも飲んどけ!」
秀吉「ぬるい!もう一杯持ってまいれ!」
三成「だからまだ沸いてねぇよ!沸いてるのはお前の頭だよ!」
秀吉「むむ?さっきより熱い。もう一杯所望じゃ」
三成「やっと沸いたわwwでも器がねぇよ小さいけどこれでいいかww」
秀吉「こやつ喉の渇きに応じて熱さや器を選んでおるのか!できる!わしに仕えろ」
ってな感じだったと思うんだ。 徳川側に後世作られたエピソードと人物像を
いまだ鵜呑みにして語るニワカが多いけど
三成は生涯裏切り行為をしなかったし
淀川洪水を米俵で防いだ天才
理想的な家臣像ではないのか?
対する徳川家康は豊臣家家老なのに大阪を攻め御家乗っ取り
時代劇に出てくる典型的な悪役家老だわな
だから徳川幕府は江戸時代に
家康あげ三成さげのプロパガンダに必死だったろう
その名残りが三成に過ぎたるものなどのエピソード
これドヤ顔語りしてるシッタカは本当に恥ずかしい >>97
清正は利害から宗教から領地から対立する小西がいなければ西軍参加の可能性が高かったんだよなぁ どこの組織にもいると思うが、
上に気に入られて同期や下には嫌われるヤツ。
秀吉には好かれたがそれだけだった。
秀吉亡き後、大義名分で諸大名を集めたが、
人望のなさが災いして、多くの同僚が敵に回った。
ただそれだけの人物だと思う。 >>133
大会社の部長が中小企業の社長をまとめられないのは世の常 左遷された身であれだけの軍勢を結集した男
人望が無かったとは思わない 東軍は今のネット炎上戦でいうと殆どケンモメンで構成されているようなもんだよね >>136
建前上は、領地を没収された
まあ、それでも甘いと思うけど 大甘ですわな
首ははねてそれで盃つくって大宴会
領地はもちろん没収、家来は農奴しちまうくらいでちょうどいい
日本人はあますぎる 関ヶ原が無かったら家康は天下取れなかったんじゃないかと思うし
三成は家康に命救われたこともあるし
実はグルだった説 石田三成に過ぎたるもの2つあり
佐和山の城と嶋の大輔 >>143
関ケ原以前から家康が中心となり天下を振り回していたでしょう
それに焦った西軍諸侯がクーデターを起こしたが秀吉の子飼い達に嫌われ
完全な徳川政権へ >>142
勘介に関しては怪しいよな
そう言う使番的な同名の人物がいたのは最近発見された書状で判明したけど
数々の重要な事にかかわった信玄の側近ならそれ以外残ってないとかありえない >>16
そもそも江戸時代に徳川が凶悪の悪者にしたしな あの直江兼続が石田三成は莫逆の友と言い放ってんだから、石田三成は義と礼節を知る優れた武将だったのは間違いないよ。
ただ官僚タイプであれで人たらしの面があればねえ >>24
「あいつは無能だ」とか「旅順に穴掘りに行ってんのか?ww」とか同僚からは散々バカにされてたらしいね
実際に旅順要塞攻略出来たのは、敵の眼前まで塹壕掘り進んだからなのに
そして海外の観戦武官も同じような勘違いをして「敵の機関銃陣地は突撃で容易に突破できる」と誤解
第一次世界大戦でイギリスは死に体のオスマントルコの機関銃陣地に無謀な突撃を繰り返し敗退したっていう 三成に人望がないっていうより大義がない。
俺らはのちに家康が豊臣家を滅ぼすのを知ってるから無条件で大義名分は三成にあると勘違いしがちだけど
当時の家康は太閤殿下に後を託された豊臣家の家老、三成は謹慎中の元奉行。
それじゃ豊臣家も一枚岩になりませんわ。 >>119
安倍が時空操って毛利を存命させたってのが通説 >>149
聖徳太子みたいだね
モデルになった人物はいたけど、名前や事績が違うみたいな >>131
自分でその時代を生きたわけでも無いのに、人の知識ともうそうで自分が1番ドヤ顔してる事に気付いてないようだな。 理屈でガチガチ、融通が利かないだけだったら領民や家臣から慕われる訳がない。
馬鹿になれなかった人。秀吉の側近だったんだからもうちょっと人たらし、人心掌握術を真似できれば良かったのに。 へうげものの石田正澄は作中で一番利休の数寄を理解してたな >>148
武士の忠誠って基本は「御恩と奉公」で
「所領くれた人」や「所領安堵してくれた人」に対して向くんだけど
関ヶ原の論功行賞で家康に土地貰った人がいっぱいいる。
つまり彼らにとっての主君は秀頼から家康になった。
家康も結構いい歳だし後継者の秀忠は軍事オンチだし
少なくとも関ヶ原でシロクロ付けてなかったら江戸幕府の成立は遅れたと思う。 >>141
ノーマルタイプにこうかはばつぐんな感じだな 江戸時代は3勤交代だったらしいけど夜勤の人は手当てあったんかな? あの程度の石高で
天下分け目の大決戦まで持っていったんだから
手腕は本当にたいしたもんだよ
司馬関ヶ原の最後のセリフが渋いんだよな
あのセリフ通り、
三成がいなければ、秀吉があまりに浮かばれないんだよ
その為に歴史に出てきた男だった >>153
英国のキッチナー元帥なんかも「これはわしの知ってる戦争と違う」と呆然としてたそうだから
軍隊のえらいさんは前の時代の遺物が多いのです
もっとも乃木閣下は下っ端の頃、西南戦争で連隊旗なくしちまうというあれな人ですが
(長州閥なんで助かった、山口県生まれでよかったねえ) >>159
祖父、父と裏切ってきた三河衆を
当時では異常とも言える忠誠心で固めた鉄の集団に作り替えた家康も人たらしの達人だしなぁ
どう転んでも三成には勝ち目無いだろうよ >>169
家康の時代もかなり家臣に離反されてるが >>170
脱落者が出ないなら作り替える必要がそもそも無いだろ 三成は細かいことによく気がつく頭の回転が速いアスペ
上司や部下には気が回るが同僚に対しては無頓着で嫌われる
同僚は理解者以外全員敵になる 偉そうに正義とか語る人間が、世の中に迷惑をかける。
周りを見たらわかるだろう。
狸おやじの方が、みんな安心して担ぎ上げる。 >>169
家康は人たらしとは違うでしょ
三河者が忠誠高かったのは、それまでずっと負け組だったのが家康になってから勝者の側であり続けたってのが最大の要因だったと思う
それと根は結構アレな性格な家康じゃないと、それ以上に面倒くさい三河武士は纏まらなかったてのも大きい
豊臣政権時代に同僚と損得無しで友誼を結んだ話も聞かないし特別な気遣いエピソードも無いけど、家臣とは本音でぶつかり合ってるエピソードは多い
人望面では兎に角面倒くさい三河武士を纏める事に特化した印象が強いし、関ヶ原での家康人気は三成が嫌われすぎたのが一番の原因でしょ >>1
可児才蔵には竹内久右衛門という家臣がいて、才蔵は久右兵衛に必ず知行の半分を与えたという。
才蔵自身、戦場での槍働き以外全く出来ない人だったので、それ以外の才蔵が武士として必要な事の全てを竹中が行っていたらしい。
こういうと竹中久右兵衛は逆に戦場で役に立たなそうな印象を受けるが、剣の達人で『覚の士』(いざという時に役に立つ人)と評判だったそうだ。 隠居する羽目になった時は弱気になったのか家康と関係改善を図ろうとした形跡があって
家康も快くこれに応じる感じだったとか >>89
家臣に「梅林がある」って嘘ついたり、劉備と酒飲んだ時のオツマミが茹で梅だったり、
曹操の梅好きは異常。 関ケ原で一大会戦やるより、大坂城に篭城した方が良かったかも
この時点では豊臣恩顧の大名まだ多かったし、
後の大坂の陣で淀君を震え上がらせたヨーロッパ製大砲はまだ輸入されてない
長期戦に持ち込めば、朝廷から仲介の使者来たかも知れない >>97
福島正則は関ヶ原の後、捕まってさらし者にされている石田三成を見て何か言いたそうにしていたのを三成が気付いて
「済んでしまった事だから今さら何も言うな」と制したそうだ。
俺の想像だが、福島正則は「なぜ家康が死ぬまで待てなかったのか」と言いたかったんじゃないかな?
いや、家康はその後も長生きするんだが、当時の感覚としては「もう老い先短いお爺さん」だったから、
豊臣家臣団の中には少なからず「家康死んでから政権奪回に動いても遅くはない」って考えがあったと思う。 >>7
俺は原作の方を先に読んでたから読み切りを初めて観た時コレジャナイ誰やねんって思ったわ >>181
佐和山城を見殺しにできる覚悟があるかだね
秀忠軍が到着するし 大谷の膿が入ったお茶全部飲んだ話好きぐう聖
ドケチだから財産隠してるんでしょ?って家荒らされたけど何も出てこなかったのも確か三成だったよな >>181
ムリムリ
淀君は東軍だよ
家康に謀反鎮圧の要請をしている
三成の蜂起文には連署していない
もちろん寧々様も東軍
大阪に籠もったら内部崩壊は確実 >>185
一瞬で全方位への気遣いが出来るってのは凄いよな
吉継に対してはもちろん、自分の後に茶を飲む人に対しても、秀吉に対しても あの時点では惣無事を乱して群雄割拠に戻しかねない事してるのは石田の方だからな。
関ヶ原で勝つなり引き分けなりしてりゃ実際そうなってたはず。 三成の敗因は先に手を出してしまったこと。
挙兵しなけりゃ家康が覇権握る口実も与えなかった >>172
でもそのタイプって理解者からは凄いすかれたりするよな 秀忠の3万が中山道から進軍してる時点で予備兵力に差がありすぎだろ
あれ別に遅参してるわけじゃないし毛利は動かないし 関ヶ原の合戦でみんなはこいつが大将だと思ってるようだがそれは間違いな!大学入試控えてるやつはこれぐらいは知っといた方がいいぞよく引っ掛け問題として出るからな >>191
西軍には大津城攻撃部隊の15000もあったが… 全盛期の秀吉でさえ戦では勝てなかった家康を自分でどうにかできるって考えたあたり
三成は自己評価が高過ぎる人間だったんだろうな
豊臣家への忠誠心は高かったけど結果的には反家康陣営を一瞬で潰した >>21
まぁな。龍馬は商人。色々調べていくとわかった。 >>154
実は毛利がしかけて石田は働いただけ説がある 良くも悪くも私心がない人のイメージだな
ある人から見たら、とても高潔で素晴らしい人間だと感じ、
またある人から見たら、何考えてるのか分からない気味の悪い人間 >>197
自己評価というか真面目すぎた
気張りすぎて自分がやれる最大限の事をやり続けただけで、そこに自己評価なんて勘定は入って無かった
というか俺自身も劣等感の塊なのに人から自己評価が高いとよく言われるんで気持ちはよく分かる
必要なことを感情抜きで理屈にそって淡々と話してるだけなのに、人から見ると自信満々で大きな事言っているように感じるらしい
アスペだから、殆どの人は人間は人の話を論理で理解するんじゃなくて感覚で認識してるというのが分からないんだよ 文禄・慶長の役で主要な豊臣派が死んで秀吉存命中に徳川が野心露にして秀吉から後事を託されてれば孔明並の評価になってた可能性も 三成の評価が低い理由はたった一つ
「滋賀作だから」 >>186
高台院は東軍西軍どちらに与してるか確定してないぞ
関ヶ原の戦い直後、裸足で宮中に逃げ込んでるし 三成と家康の喧嘩をにこにこ眺めてる黒田官兵衛の恐ろしさよw 三成が融通きかない扱いなのがよく分からん
上杉、毛利、島津、佐竹なんかは三成に取りなしてもらったこと恩義に感じてたろう
融通きかない人間に調整役は無理だと思うんだが >>66
さらに覇王伝事典であれは言い過ぎと書かれててワロタ 人の扱いなら戦国1って秀吉に使えてたのに人心掌握が出来なかったのは非常に残念。
直江兼続や大谷吉継って優れた武将と親友関係にあったし領民から慕われてたんだから優れた人物だったってのは間違いない。
なにがかけてたのかねえ、回り絵のえの気配りが出来なかったんだろうけどそれだけじゃないだろなあ。 なんかこう三成を補佐する優秀な参謀がついてなかったんだろかねえ。 関ヶ原の合戦て家康勝確モードとか言われてるけど、結構、ヤバイ状況だったんだよな
福島正則は忠臣だったとか言うけど、恐らくそんな価値観は無く、利が大きい家康側に付いただけなんだろう
家康も豊臣を裏切った福島正則は信用せず、最後は減封させたからな 同じ五大老の1人でも前田家のクズっぷりが笑える。
利家存命なら家康も好き勝手出来なかっただろうし。
小早川秀秋は元々アホの子。
1番の原因は秀吉が秀次を切腹させた事。 秀吉の弟の豊臣秀長が早くして死去したのが痛かったよな。
天下人秀吉に唯一小言など言えて声を大にして政策を諌めれたのは秀長だけだったろうに。秀吉の暴走を止める人物がいなかったのは豊臣政権滅亡を早めた >>208
何が欠けてたか
そりゃやっぱり石高でしょ
自領の国力が19万国ではね
味方からも舐められる
ちなみに本能寺の変時点で秀吉の石高は60万石で織田家臣団の中では最大だった
もし秀吉の石高が19万国だったら味方する同僚はいなかったかも
そういう意味では名族でもないたった19万石の三成が西軍をまとめていたこと自体スゴイことだよ >>212
秀長が死んでなければ少なくとも藤堂高虎は裏切ってないし秀次も死ぬことはなかったし朝鮮出兵で無理もしなかっただろうし本当に惜しい >>211
利長がヘタレ扱いされるけど、利家と同じ日和を重大場面でやっただけなんだよなあ。 三成って家康が一番好きなタイプだよな
秀吉には直接文句言えない豊臣武断派たちの不満のはけ口にされるが甘んじて受ける
日本一の大富豪の豊臣家の金庫番だったのに清廉潔白
秀吉の親戚というコネで出世した加藤福島小早川などが裏切る中、実力でのし上がったのに最後まで忠義を尽くす 誰か輝元を再評価出来る奴はいないのか
輝元がいなきゃ反家康連合軍、西軍なんて結成出来なかったのに 関ヶ原の合戦がなければ徳川家康は幕府を開くことがなく
鎌倉幕府の執権みたいな形になったのだろうかと思う。
実際に勝った後も幕府を開くのに3年かかってるわけだし >>171
脱落者どころか、三河一向一揆で大半殺しまくってる
ごくごく少数の家臣だけが帰参を許された
代表格だと本多正信とかかな >>217
三成に担ぎ出されただけとは言え、
西軍総大将の毛利が一戦も交えずに撤収したのが最大の敗因
関ケ原での毛利は本当に不甲斐ない
268年後にリベンジ成し遂げたけど 毛利は大将なのに動かないし、島津は少人数だし。コントだよなあ。
毛利は動かなければ所領安堵の予定が家康の俺は聞いてないで実質取り潰しで
吉川広家の領地に天下っただけだし。間抜けだよなあ >>218
その辺りは俺も興味深いけれど大人しくそんなんで甘んじてたろうか
方広寺の無理矢理過ぎる因縁付けたり約束をすぐ平然と破り堀埋めたとか
家康のえぐい真似みると甚だ疑問 小早川が裏切ったと言うのも、江戸時代に入ってからの話だろ
問鉄砲がまさにそれな話
小早川は最初から東軍で、合戦前には家康側に誓紙を出してた >>221
そもそも島津は東軍に参戦予定だったって説もあるし本国からも手勢送られてこなかったのは事実だからなあ >>223
なら西軍はあんな所に布陣させないし先にされてたら他の場所に布陣するだろ
そも戦端ひらいた時点で攻撃してない時点で少なくとも完全な東軍ではなく
西軍には味方と思わせて日和見してるのは間違いない >>15
真田丸では石田が空気読めなくて接待の時干柿出して相手を激怒させてたような >>225
定説になってる布陣図は明治になって書かれたもの
確かに西軍側であった様に見せてたかもしれないが、小早川としては最初から東軍として働いていた
松尾山に布陣した時には東軍として布陣
松尾山には元々、西軍側の武将が布陣していたのを排除したから >>227
じゃあ今迄の研究で定説となってる布陣図じゃなく
それ以上の確実な布陣図ださないと秀吉が本能寺の黒幕だーとか騎馬隊は無かったんだー
ってのと変わらんぞ? >>16
司馬遼太郎はノンフィクション作家じゃないぞ
史実と勘違いしてるバカは口を開くな >>15
その場面はNHK大河の江守徹のバージョンが好きだ。 >>213
>ちなみに本能寺の変時点で秀吉の石高は60万石で織田家臣団の中では最大だった
さらに、信長の実子を養嗣子に迎えていて実質織田一門だったしな >>23
wikiを漁っただけで色々出てくるんだが
1、三好長慶と戦った教興寺の戦いに参加したが、敗北した
2、松永弾正に山田城を攻められて落城した
3、筒井家家臣として吐田城を接収するなど内政面で順慶を支えた
4、今井清右衛門尉に年貢を納めるよう伝えた
5、そして関が原の戦い >>187
行政でもそう言う気の回る人だったんだろうな
だからこそ、秀吉に重用されたんだろう
三成自身はほとんど問題も無い官僚だったけど、ただ家康にとってだけ都合が悪かった
政治だわ、政治 >>229
司馬は史実を書いてない!ドヤ
あのさあw
何十年も議論され尽くされた事案をドヤ顔で語るアホwww
司馬の本分は「面白いか否か」コレで議論は終わってんの
ド素人が能書き垂れるな
ボケぇwww エンターテイメントとしての司馬を理解出来ん無粋者は去れww まあ一方で、エンターテイメントとは言っても多くの人にとって司馬が歴史の入り口であり、同時にデフォルト認識になってるので、
小説と事実は違うと再認識する作業は意識的に行うほうがいい 輝元は無理だろ
自分の都合で引っ掻き回すだけとかいかにも長州らしい 司馬は史実を書いてない・・・よくわからん。
徳川が勝ったことも史実じゃないわけ? >>241
じゃあ教科書も徳川家康(影武者)が江戸幕府を開いたって
書き直さないといけないな。 >>242
既に少年ジャンプで連載されたから対応不要 >>243
なるほど・・少年ジャンプは教科書より上ですからね〜♪ >>245
はい、ありがとう。知らなくても生きていけますのでw >>204
宇喜多秀家の後押ししたのが高台院説があるな まあ毛利軍4万+大坂城+秀頼の身柄
は天下をひっくり返す力だったのは確かやな 正義を過信するものは負けるな
石田三成然り、江藤新平然り
結局勝つのは悪どいやつだ 正義 なんてあまり考えて無かったと思う
尾張派vs.近江派の抗争に、家康が上手く便乗した結果 関ヶ原で左近隊と激突した黒田隊の連中が
後になって当日の話をするんだけど
誰一人左近の格好を覚えてなかったんだよなw 大仏殿の裏っかわにひっそりと島左近さんのお墓があるんですがあれってどういう位置付けなの……?関ヶ原で死んだ人とは別の人……? >>254
実は逃げ落ちて生きてましたという俗説
全国に数ヶ所あるらしい
ちなみに秀頼も薩摩や琉球に逃げたという言い伝えがある >>235
中岡慎太郎「何でワイ功績全部坂本龍馬に取られるんか?」 石田三成って世界史でいえば誰に当たるんだろうなぁって考えていたんだけど、これがいないんだよなぁ。周恩来?ゲバラ?違うなぁ、と思ったら、あっ、いた!松平容保だ。彼は三成の生まれ変わりだったんだな。 三成ってアレだろ、家康&福島、加藤の武断派が上杉討伐に向かってる途中に
家康謀反人だから成敗したるわって喧嘩売った間抜けだろ?
こいつ自分が嫌いな奴を謀反人扱いして殺そうとするクズじゃん >>228
布陣図うんぬんの前に、小早川は勝手に松尾山に布陣した
西軍側の他武将追い出してな 家康に関する戦国関連は、江戸時代の徳川幕府の加筆、改竄が原因やわな >>204
いつもドラマの都合上淀派設定されるけど
淀君が増長したときお世継ぎを産んだとはいえ側室の分際で寧々様にあの態度は何事だ!とガチギレしてるから
実際はかなりの寧々様釜飯派なんだよな三成
加藤や福島は朝鮮出兵から急激に仲が悪くなったわけで元々仲悪かったわけじゃ無いし
山菜様だけは本当に犬猿の仲だったみたいだけど >>262
じゃあその時点で西軍だと思われていた裏切り者って事だろ
何で自分で言ってて気づかないんだろうか・・・ >>268
つまり松尾山に布陣した時は東軍側だって事だろ
だから合戦が始まった時点では東軍側、もちろん家康には内通してた
だからこそ論功行賞では、小早川家は大加増され、合戦中に裏切った脇坂などは改易 >>268
小早川に備えて大谷隊は松尾山方面に何人か武将を配置してたけど
その備えてた武将も土壇場で軒並み裏切ったので総崩れになった。
もともと兵力差が有りすぎて地形を利用して戦線を維持してたので一部が裏切るだけで崩壊。
その土壇場で裏切った連中は軒並み解易
裏切るならあらかじめ内通してないと相手にされない
最悪の選択だったな `滋賀すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. >>272
死なない程度に奮戦してたら忠義を称えられて扶持が与えられたかもな >>272
そら日和って寝返った奴等なんか
部が悪いとまた寝返るって事だからな >>269
俺はまだ日和見に徹してたと思うがそこら辺どう思うかは個人次第だろうな
だがその時点では怪しまれてたとしても西軍と思われていたと言う事だろうに
出なきゃ戦いもせず追い出されんよ >>268
奥平貞治が軍監として入っている小早川は最初から東軍だよ
西軍は彼を追撃して壊滅した 部下や領民には愛されていたんだよな三成って
結局はインテリが血を流さず出世してきたから脳筋大名に嫌われてただけだよね >>278
つ>>277
いい加減堂々巡りで疲れて来たな
余程小早川が裏切り者扱いが気に食わないのか
小早川本人の思いは誰にもわからんが例え最初から東軍だと本人が思っていようと
間違いなく西軍と行動を共にし味方の振りして裏切った事実は変わらんじゃろうに >>279
でも実際豊臣家の直轄領を勝手に自分の一族に与えてたから
三成も清廉潔白でもなく奸臣って武断派に言われてるのは正しいんだよね
結局西軍が勝っても三成の身勝手な振る舞いと大きくなりすぎる毛利と上杉、関東の徳川の残党でどの道豊臣の世は崩壊してた というか
李舜臣の最大のライバル
脇坂安治が改易されたことになってて草 >>280
上杉討伐の詔にしたがって東に行こうとした軍勢を西軍に勝手に組み込んだのに
それを味方扱いするのもおかしな話だけどな
同じ境遇の長宗我部も完全にやる気ないし >>280
?
小早川は鳥居が籠る伏見城にも1万5千の大軍で入城し西軍と敵対しようとしてただろう
叶わなかったから家康の西上に合わせて軍を東へ向かわせて関ケ原での決戦となった >>284
まあそこら辺思惑が複雑な戦だったからな徳川が優勢だったから雪崩起こしただけで
逆だったら全く別だった
だからこそ状況の事実だけで判断するべきじゃないのかの >>279
領民から慕われてたのは石田父の尽力が大きい
というか石田父は息子が持ってる知の部分を徳に極振りという出世の見込めない人(内政が出来ないわけではない)
父に似た兄も西国大名の殆ど味方につけるという徳の人だったが弟みたいな知が無いので小大名止まり
親父と三成の才能が逆だったら
…東軍に付きそうだな >>213
兄や父の所領、さらに豊臣家直轄領の代官を兼任していた所領を合わせると大体30万石くらいという話だね>石田家の実力
だから関ケ原では島左近含めて8000の兵を動員していた。 武断派がアホすぎる
領土は切り取るだけじゃなくてどうやって治めるかが肝心なのに
会社で言うと三成は総務と経理で清正や正則は営業
営業マンだけで仕事できるか 影武者の続編と思ってSAKON読んだら能力バトルになってた >>286
徳川は優勢でもないよ
先鋒の福島隊は壊滅してるし黒田や細川も押されて徳川本隊が前に出ざるおえない状態に追い込まれてた
秀秋が攻めたタイミングで戦況は完全に決まったから単に秀秋が上手いこと攻めただけ
朝鮮の役でも秀秋は無敗の猛者だしね >>247
なのに堺屋太一は自分の小説「大いなる野望」でも三成の側室として「初芽」を登場させているというw
ただ「初芽」の結末は
司馬 三成斬首後は髪を下ろして仏門に入る
堺谷 三成は捕縛後、佐和山城落城と初芽の死を聞く
と異なっている >>290
清正がなまじっか総務・経理がかなり出来る人だったのが災いだな
福島も経理は駄目だが総務として部下を的確に使う才能は持ち合わせてたし >>290
正則はともかく清正は佐々成政が治めきれなかった肥後を上手いこと治めたけど 最近の研究だと関ヶ原は西軍の戦略が崩壊した後の追撃戦と見做す向きもあるんよね >>293
そうか?まともに戦ってるのは石田と宇喜多位でジリ貧でしょ上から見てれば 家康は自分の兵士が到着してない
片手間で西軍は片づけられた、もともと西軍は大義なき烏合の衆 >>290
現場主義を忘れた会社は将来危ういうのもまた真理 今の日本だな >>290
治めるのはどっちも上手くやってるだろ
むしろ三成の方が人望の無さで佐和山に隠遁させられた方が無能でしょうに
おまけに関ヶ原起こしたせいで豊臣の直轄地を管理することができず諸大名に分割統治せざるおえなくなったし >>9
主語が足りなくて何を言っているのかイマイチ分からん 正論しかいわない人間は嫌われる、今も昔も同じ。
まあ嫌う方が狭量なんだけど、世の中狭量な人間ばっかりだという。 >>259
武士の時代でありながら、武力による政権
交代を認めなかったという珍しい役割だよね
世界史にはなかなかいないかもしれない >>302
実は正則も内政は実績を残してるんだよな。
治水灌漑方面で。
清正正則は政治感覚がなかった言えるかもしれんが、それも・・・
「自分の家臣団を路頭に迷わないようにするためには石田か徳川のどちらにつくべきか」
という視点なら正しい訳だ。 >>306
てか豊臣に忠義尽くすにしても徳川一択なんだよね
徳川は信長の時代から落ち目の信雄をずっと支えてた律儀者の実績があるし
おまけに秀吉の妹を嫁にもらってるから秀吉の身内、そして官位も政権下では一番高い
これで徳川に付いたら不忠は酷だわ 毛利や上杉のが余程信用ならん 家康以外にも強大な外様がゴロゴロしてんのに
秀吉の死後も武断派と和睦しようとしないのは理解出来ん
正義感はともかく本当に豊臣家の忠臣と言えるのか? >>308
武断派が主流になり利だけで人が動く時代に義のみを旗印に戦った最後の戦いだからね・・ >>309
三成も義じゃなくて利だよ
三成の不出来を咎められて大阪から追い出され蟄居させられたのを返り咲くための政争に過ぎない >>311
だからこそ三成、義継、左近、幸村などが義の旗のもとに集ったともいえるよね >>312
戦国無双のやり過ぎ
信長の野望でももっとマシな言い方するだろw だいたい政治の表舞台から消えていた石田なんて小者だろう
西軍総大将毛利輝元のスケープゴートを過大評価しすぎだ >>270
三成ってふたなりなの?
一気に嫌いになったわ
俺はピクシブでフォローしてる人が
ふたなりのイラストを描いてきたら、
フォローを外すくらいふたなり嫌い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています