項羽「あいつに取って代わってやるわ!」劉邦「大丈夫はああでなくてはならんな」
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中国の武将で戦中道に迷って餓死か懲罰で処刑される冴えない人だけど
兵卒と一緒に食事したりと部下からの人気は絶大で
平民の息子が徴兵された時母親が「うちの主人は戦で怪我した時
将軍が膿をぬぐってくれたおかげで将軍のために人一倍頑張り戦死した。
うちの子もきっと将軍様のために死んでしまうだろう」と泣いたという逸話があった人いなかったっけ?
いつの時代の人か名前は忘れた >>46
むしろ泣いて馬謖を切って人材不足を加速させ、結果、蜀を滅亡させた >>10
張良と蕭何はわかってたんじゃないかな。漢成立後もうまいことかわしてる
陳平もうまいことやってる
張良はもともと韓王のために成り行きで劉邦と同行してたが、その主君を項羽に殺されたんだっけ >>65
武将じゃなくて楚の荘王だな
「鳴かず飛ばず」の語源になった人 >>65
あーごめん勘違いしてた
荘王じゃなくて呉起だ >>71
トンクス
荘王の逸話も調べたら面白いね
教えてくれてありがとう >>62
武帝の時の衛青と霍去病
衛青は貧乏出身で下々の兵士の気持ちがよくわかる存在
霍去病は傲慢なところがあったけど、人気があったのは霍去病って聞いたことがある 天下取った後も粛清しなかった光武帝がいかにすごいかってことか ここ数年はキングダムで喜んでるのおおいよね
よっぽど面白いのかな お前らほんと中国史に詳しすぎだろ
一般人なんて三傑すら知らんというのに
日本に邪馬台国すら無い時代の言葉が未だに遺ってるんだからすげえよな >>61
晩年の劉邦はおかしいよね
韓信とかもとばっちりっぽいし 中国では三国志って日本ほど人気ないんだっけ?
中国で人気ある歴史や人物って何だ?
光武帝とか岳飛岳翼親子と秦檜あたり? >>60
李広は成蹊なんて言われて司馬遷評では人格者扱いされてるけど
平民に落とされた時期に法に従って李広の夜間通行を許さなかっただけの守備隊長を逆恨んで
復権後に職権濫用して処刑した逸話見ると人格破綻者としか思えん
捕虜虐殺もやらかしてるし >>78
いや韓信は反乱起こそうとしてたし
勢力も大きいし、そりゃあ粛清されますよ。
国が成っだ後に大事なのは功臣ではなく、
安定した政権運営ができる体制なんだし
王族や部下を野放しにした国家はその後に反乱の嵐になったことが多いし、
天下人は良い人だけではダメなんだろうね。 >>82
足利尊氏は功労者へ気前良すぎるくらいに高い役職と広い領地与えてしまい
コントロールできなくなったから確かにそれは言える >>83
最近の研究だと、尊氏にそれほどまで出世欲がないのに、直義が暴走したみたいな感じになってたよね、確か。 >>73
霍去病が人気あったってのは下々ではなく宮廷内での話で
戦績が衛青より華々しく武帝に寵愛されていたため
宮廷人たちがみんな衛青から離れて霍去病にすり寄っていった
ただし当の2人は自分たちの人気取りなど気にもしていなかったという記述だったと思うが >>14
項羽ってのは自分に恭順してくる相手には異常に優しいんだよ。
ただ戦いの激しさと、自分に敵対するものに対する悪魔のような苛烈さが後世の項羽のイメージを作った。
なので鴻門の会を何回やり直したとしても結果は同じだった。 >>85
研究って最近だと亀田さんの観応の擾乱の本あたりかしら?
直義は武家が勝ち得た領土を公家に返したりしてたので
武士政権の中では煙たい存在だったのかも
ただでさえぶとうはの右筆の高師直(ただし女癖悪い)がいたし >>78
てっぺん行くと人間不信の塊になる典型的なタイプ
秀吉も没落したしおかしくなるんだろうね >>89
ほぼ空手の状態からそこまで上がったから、失うのが怖かったのでしょう
いつ殺られるかわからん時代だし… >>86
私が読んだ本だと、兵士からも人気があったと書かれてたと記憶してる
どの本か忘れたが陳舜臣の本だったかもしれない >>65
戦争でも政治でも傑出していた呉起が冴えない…だと…
中国史を見渡しても比肩する者がいないぐらいの傑人じゃないか >>92
少なくとも史記の衛将軍驃騎列伝で宮廷内での人気のことしか書いてなかったな
陳舜臣の本は知らんが >>95
漢書の衛青霍去病列伝ではどう書いてあった? >>93
すまん
迷った話とか多分いろんな武将がのがごっちゃになってると思う 項羽は白羽陣って技があるけど、劉邦って怪力だけの只の木偶の坊だよな 項羽は、楚人であるアイデンティティ持ってたみたいだけど
前漢が終わるころには、そんな意識なくなってたのかな? >>98
呂布と董卓
不倫してて手柄欲しさに曹操暗殺を告発してたやつ(しかし曹操に処刑される)
とかぐらいだなぁ >>48
まあ乏しい人材から選ばなきゃだからな
神がかった諸葛亮否定派の俺でも同情するとこ >>89
頂点這い上がるのに必死だったけど、頂点に立ったら今まで必死に自分を上にあげようと頑張ってた下にいる部下が、自分を追い落そうとしてるようにしか見えなかったんだろう >>97
漢書もこの部分はまんま史記の引き写しっぽい >>10
かみさんが呂ふいの一族でかなりの実力持ちやったんやで >>89
功労者を各地の王にしたら、戦国回帰派に担ぎ上げられそうになったから粛清せざる得なかっただけや。 >>95
史記を読んでみみたが
>一方大将軍(衛青)の人柄は仁慈、善良、謙譲であり、柔和で自ら天使に媚びるようなとろがあった
しかし天下の人々で代将軍を称揚するものはなかった
(中国文学大系12 史記下 p183)
この「天下の人々で〜」のくだりから、宮廷から兵士に至るまであまり人気がなかったという解釈になってるのかもしれない 霍去病は匈奴征伐で大活躍したのに23歳で早死してしまったのがなあ >>79
何故に秦檜w売国奴、姦臣として後世で批判されまくりなのに
文化大革命でも各地にある諸葛亮を祀る武侯祠は殆ど破壊されなかったんだよね
抗金の英雄南宋の岳飛、宋の時代の話からの京劇だと水滸伝や楊家の登場人物は人気あるようだね >>111
野獣のような水滸伝がずっと人気あるのも土民中国だなぁと思ってたけど
2000年過ぎてまだ龍が如くが売れてる日本も大概だよな、と一人納得 呂后は権力を脅かされる危険性が無いとなると優しかったり
握った権力で無茶をするわけでもないから
史記にも重臣は大変だったがその他は極平和だったって書かれるんだよな >>5
呂布は軍の統率力なかったからな。最後は裏切りで敗れたし。項羽は統率力抜群にあったし一騎打ちしても呂布が負ける。 >>78
劉邦は旗揚げした頃に故郷の豊邑の民や馴染みの雍歯に裏切られてるし、コウ門の会の時には左司馬な曹無傷に裏切られ、漢中へ左遷された時には配下の多くに見限られ逃亡されたし、人間不信になる土台は多くあるんだよね
まあ寝所に出入りが出来て、兄弟同然といわれた盧綰すら疑うほどになったのはさすがにおかしくなってる >>69
陳平は漢建国のあと処刑されてなかったっけ? >>14
ハチャトゥリアンの「剣の舞」を聴くと
此の時の情景を想像します。 >>33
「三國志」を題材にした「天地を喰らう」は、
創作部分が過剰で、未完に終わったので、
反省して史実に沿って描いたのでしょう。 >>89
秀吉は最初から家康に政権譲るつもりだったから特におかしくはないぞ。 >>46
日頃から諸葛亮が馬謖を溺愛して居たのを
知って居た劉備は白帝城で
「謙虚な兄の馬良と比べ、
馬謖は力量以上に気取る所が有るから
気を付けて遣われよ。」と
諸葛亮に言い遺しました。 >>10
狡兎死して走狗烹らる
なんて言葉があるくらい天下統一後皇帝が有能な配下の粛清を行うのは中国ではよくあること
劉邦だけではない >>113
蜀目線で書かれてるから忠義ものって日本人好きなんだなって思うわwヤクザ映画だって忠義もの人気あったし実録路線の仁義無きか戦いが出てきて日本はおかしくなったんじゃなかろうかw >>79
中国の自動車会社に
曹操の小字を名付けた
「吉利自動車」が有った筈です。 >>48
これよく言われるけど、馬謖だけで語ってるだろ >>23
でも、呂氏の力が絶大だったときは
治世はよかったみたいらしいね >>14
項羽の優しさが五臓六腑に染み渡るエピソードだな >>118
当然呂氏に警戒されたが酒色に溺れたふりをしてごまかしつつ
裏で反呂氏派閥を形成。
巧みに呂氏から兵権奪ったり内部不安を煽ったりして
呂産に帝位簒奪クーデターを起させて計算通りに鎮圧。
その後呂一族皆殺しにして文帝擁立。
引退するつもりだったけど周りに止められて
丞相に再就任して数年後病死 >>114
呂后をはじめ悪女と言われてる皇后の特徴は「内の権力」を脅かす対象を徹底的に排除して
我が子(次代皇帝)と自らの保身に務めるので地方行政官や庶民には余り見向きしない。
なので、愛妾や王として各地に封じられた庶子に警戒心と敵対心が剥き出しになる >>8
うむ。
だが小物同士の小競合いほど面白いのも事実。
日本の戦国時代なんてその典型。
オタに成ってハマって、田舎の細かい戦いの面白いコト面白いコト。
それに比べて小牧長久手や小田原城のつまらなさと言ったら。 >>89
山口組の六代目もそんな感じだろう。
古今東西、ありがちな話だと思う。>トップになった途端、冷酷になる >>121
生きてた頃からすでに神と崇められてたらしいな >>137
言っとくけど、本当の漢民族は今のあいつらとは別物だから。
南方系だから。 劉邦が勝ったから、物語になったけど。項羽が圧勝するパターンもあった。
そうなったら、皇帝になって、新たな帝国を築いていただろう。
歴史はそれほど変わらなかったか。
劉邦の凄いところは、役人(小役人だけど)のくせに任侠が好きでその筋に顔が効き、親分肌で人の本質を見抜く能力に長けていたところ。
「陳平独り成り難し」と「我が家を守るのは勃(周勃)であろう」と見抜いたことでも驚愕に値する
劉邦の死後、この二人は密かに共謀して兵権の半数を握り、呂一族を誅殺して劉一族の血縁を守ることに成功する。
「陳平独り成り難し」とは、陳平は知恵が有りすぎて何事も独りで解決しようとするから、誰かが進んで手助けしててくれることはない。
助けを得られない者が成功するわけがないと劉邦は見抜いていた。
周勃の協力なしには事は成功しなかっただろう。 蕭何←ヤベーのはこいつ
劉邦に使える家老で韓信の才能を見抜いて「韓信を採用しないなら俺も辞める」と劉邦に迫る
劉邦は韓信なんかどうでも良かったが家老に辞められても困るので言う事を聞いた
その後韓信のバックアップをしながらうまく劉邦を操り項羽をかき回した
項羽を倒した後は韓信はじめ功臣の粛清を取り仕切る >>118
劉邦の三傑は、簫何、張良、韓信。
漢王朝の功臣は、陳平。
>>124
そう言う意味で、光武帝は凄いな。 >>60
キングダムの飛信隊とかは李広から引用してるよな
李陵が蛮族に降ったから細いながらも
現在まで血筋は続いてる
曹操劉備孫権辺りの人種の子孫は
五胡十六国時代の晋で滅亡してて存在しないからな
現在の中国人は蛮族の子孫で
勝手に曹操やら劉備の子孫を名乗ってる >>144
ダムダム弾
ぶち込んだろか
我ー(´∀`=) >>146
曹操は後々まで残ってたような。
と思ったけど荀ケと勘違いしてるかもしれん。 >>148
最近見つかった曹操の遺体のDNAが
曹操直系子孫と合致したとか
ついでに自称扱いされてた
曹モウの子孫の曹覇(唐代の詩人)の子孫は
間違いなく曹操の子孫であると
判明したそうな >>149
最近見つかったやつは信憑性ゼロになってるし
中国人の捏造に決まってるだろ 一部の李以外は完全に全部自称
明の時代に
劉邦大好き、漢大好きの朱元璋が
憧れの漢の文化や方策を取り入れたり
漢に倣った名前の改名等を行ってる
李陵が降った匈奴の多くは人気の劉姓に改名しちゃったりもしてる
中国人の姓が昔より少ないのは
人気の姓ばかりになったから
曹も人気で五胡の多くが改名してるから
でっち上げた墓なら蛮族のどれかは当たる >>121
関羽は潮の密売組織に崇め奉られただけの神様だな
それは
関羽が元々潮の密売人だからさ。 >>10
人を見る目があったとしか言いようがない
適材適所に配置して活躍したやつには論功行賞
味方でも後に自分を脅かす有能な存在がいたらと
後に失脚するように仕向けて殺す事も忘れてない >>10
項羽っていう圧倒的暴力が世の中を席巻して居ながらそれに忖度せずにひたすら天下を目指すのは凄い
実際何度もピンチになって死にかけて味方の兵士が全員死んで部下が居なくなるほど追いつめられても
物乞いの姿に化けてネズミの如く逃げ出してまた諦めずに天下を目指す姿勢に反項羽みたいな同盟が集まったんだろう
項羽という全員共通の強大な敵が逆に劉邦を利した >>159
項羽はブレーンをうまく使えなくて、政治が下手で、人身掌握がカスだったからな
重要な人材がどんどん劉邦に流れていく >>124
韓進が劉邦に処刑されるときに言った台詞じゃねえか >>161
元は越の范蠡が同僚の文種(大夫種)に宛てた手紙の言葉。
越王に粛清される前に越から出国した范蠡がこの言葉を引き合いに出して暗に亡命を勧めたところ、文種も范蠡の意図を理解して、
病気と称して屋敷に籠っていたが、結局、自殺に追い込まれた。 >>137
三国時代は停滞期で演義のせいで史実との乖離が酷いから好きでは無い。
正史の蜀書は好きだし、季漢輔臣賛を陳寿が蜀書の最後に引用したのは、陳寿による蜀漢への最大限の敬意と賛辞の現れだと思う。
蜀書に関して言えば演義よりも感動する。 何で劉邦が人を見る目があるみたいに言われとるんだ
韓信の才能を見抜いたのは蕭何やら夏侯嬰やら張良やらとちゃうのか 項羽:俺が強いから勝った
劉邦:みんなが勝たせてくれた
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