忍者、平和な江戸時代で苦労していた。 「学問が盛んになり、秘術が信用されない」
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「70歳前後より若い者は役に立たない」「学問が盛んになり、秘術が信用されない」。
滋賀県甲賀市がこのほど刊行した資料集から、
甲賀忍者が江戸時代の平和な世の中で自身の立場の衰退を嘆いたり、将来を不安視する姿が浮き彫りになった。
編集した市教育委員会は「忍者が重んじられない状況への危惧など、ここまで切実な肉声を記した記録は珍しい。
甲賀に限らず、当時の忍者全体に通じる問題ではないか」としている。
尾張藩に仕官した甲賀忍者に関する古文書の訳文や解説を載せた資料集「甲賀者忍術伝書−尾張藩甲賀者関係史料U−」で、
昨年刊行した資料集の第2弾。同藩に伝わる文書を紹介し、市内の民家で発見された文書の現代語訳も併載した。
尾張藩の史料は、甲賀の地で暮らしながら「忍び」として同藩に仕えた
「甲賀五人」の頭(かしら)である初代木村奥之助(1600年代半ば〜1723年)が弟子に口述して書き取らせた
「無窮会所蔵史料 甲賀忍之伝未来記」など7点。全て楷書体に直し、解説を載せた。
「未来記」には、昔は甲賀の忍術が一つの流派として世間に浸透していたが、
現在70歳前後より若い者は役に立たない−などと、忍者の技術や立場の衰退を不安視する内容が並ぶ。
問題点として、平和な世で業績がなく重宝されない
▽技術を試みる機会がなく、研鑽(けんさん)する気持ちがない
▽学問が盛んになり道理が重んじられ、秘術が信用されない
▽秘密性が高いため間違って伝えられることが多い−など13箇条を挙げている。
太平の江戸、忍者つらかった 甲賀の頭「秘術信用されない」
https://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20180921000031 自衛隊に実戦経験を積ませるために
定期的に戦争しないといけないよ >>81
戦死者が出るようになると志願者いなくなる 山田風太郎作の忍者でさえ鉄砲相手では何も出来ず撃ち殺されるしかないからな 鮮やかに恋してにんじゃりばんばん、なんだかにんじゃりばんばんブンブンブン花びらも舞う♪ >500部限定で、A4判172ページ、2千円。問い合わせは市観光協会0748(60)2690。
コミケかよ >>82
そうなる前に一方的に攻撃し続けられる兵器がいるね
死体になる相手とその家族に配慮して旧式兵器持っていって自衛隊に死者が出たら目も当てられないよ >>71
いない
ただの工作員
そもそもそんな優れた技や身体能力持ってたら普通に戦場で働く
それが出来なかったのは相応の理由がある >忍術の伝授に関する文書は多く残るが
え?残ってんの?俺も分身とか体験したいんだけど ただ、、時代劇の忍者の設定って結構こんな感じの多いで。。w 大奥がドッヂボールやるときの人間柵が主な任務だったと何かの本で読んだ 古代エジプト壁画にもピラミッドにもシュメール人の石版にも神殿にもバビロンにもヒエログラフにもポンペイにも
「最近の若者は」なんて書いてないんだが、誰が探しても見つからないんだが、
どうしてもあると言うならエジプトのどこのなんと言う壁画なのか明示してくれ
そんなに有名なら写真がネットに1枚くらい上がっててもいいはずだ
『これが「最近の若者は」と書いてある部分です』ってのを見せてくれ
世界のジョーク集に出てくる「現地ガイドの持ちネタ」以外の、できれば学術資料が信憑性は高い
考古学者にも知らせよう
本当に見つかったら 大ニュースになるぞ
大ニュースだぞ 戦闘も出来るくノ一もいたのかな?
前にNHKで忍者のことやってたけど島原の乱の頃にはあっちの方の方言が聞き取れずスパイ活動が出来なくなってたみたい
戦いが無くなったから忍者ネットワークがもう崩壊してた ゲームのメタルギアでは
スネークが活躍できる場を作るためにソリッドやオセロットが戦争を起こしてたとか言い出してしらけたわ 分身の術は人件費掛かるんでやりたくないっす・・・(´・ω・`) >>36
これ… 美人さんな部類だと思うよ?
化粧しなけりゃ見られたモンじゃないのゴロゴロ居るし。 貧乏旗本の三男坊徳田進之介には、お庭番が付いている。 「身代わりの術」で、剣術道場を名乗りつつ忍術を教えてカネを取ればよかった >>112
でも江戸時代は道場剣術が大繁栄の時代である >>47
まだまだ元気です。(o^−^o)
また新しいDVD出してる。
無刀捕りナンチャラシリーズだとよ!(笑) >>1
衰退する伝統産業に携わるジーちゃんたちのコメントみたいでリアル 忍者龍剣伝で忍者は何千年も邪神と闘ってるイイ人達だって、魔人みたいなおっさんに解説されてた 島原の乱で既に戦を経験したことのない武士が多くて幕府軍は苦戦したんだから幕末なんてそら旗本は役に立たんの当たり前だよな
維新の志士たちはみんな殺伐とした京で切ったはったの世界にいたから平和な江戸暮らしの旗本なんざ弱カスもいいとこ >>115
剣術じゃ黒船追っ払うこともできなかった
やっぱり意味無いんだよ >>121
1824年に水戸藩に来たイギリス船の大砲見て作り始めたけどね
乗船して精度の高い大砲を見た会沢が新論と云う書物を書き尊皇攘夷運動が始まった
吉田松陰も会沢に会いに行きその考えを長州へ広めた
松陰の外国船に乗るエピソードは会沢のパクり
ペリーが来たとき水戸から大砲を持ってきて江戸っ子は「水戸のご隠居が大砲持ってきた」と大喝采、水戸黄門のモチーフになった 各地の有名な丸薬や保存食は元忍者系だろ?
そういうコンテンツとして産業化できなかったんだろう >>9
公儀隠密とか御庭番なんてのは将軍や老中直属で名門の世襲だから、
甲賀伊賀なんかの傭兵忍者はその下請けか、元々強いコネのある大名専属になってそのまま一般武士化していった。
森蘭丸の母と弟を本能寺の変から助けた甲賀忍者の伴家は、そのまま森家の正式な家臣になっていったのがその典型。
他にもやはり甲賀忍者の名門・多羅尾家も本能寺の変の際に徳川家康の伊賀越えを助けた縁で旗本に取り立てられた。
但し、多羅尾家は信長→秀吉→養子の豊臣秀次→秀次切腹で没落→家康という回りくどいルートで仕えている。
ちなみ風魔忍者は北条家滅亡後、北条の領地を貰った徳川統治下の江戸で盗賊となったが、
仲間から裏切り者が出て滅んだ。この時裏切った仲間が褒美として経営が許された売春街が吉原。
裏切り者の情報で風魔を逮捕したのが柳生新陰流の柳生但馬。 >>8
くのいちは居なかったた説もあるよ
薬草の知識で医者になればよかったのに。 昭和60年頃かな、忍者のオッサンが学校に来て、手刀で石割ったり並ばせた生徒を氣で倒したりしてた
もうしてないんかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています