尼崎脱線事故現場、慰霊施設完成 遺族に複雑な思いも

兵庫県尼崎市で2005年4月、乗客106人と運転士が死亡したJR福知山線脱線事故で、列車が衝突した現場の
マンション周辺を慰霊の場とする整備工事が終わり、JR西日本が14日、遺族や負傷者に公開を始めた。
20日まで続け、21日からは一般公開とする。訪れた遺族らは「悲惨さが伝わらない」「見学者に事故を語り継いでほしい」
と複雑な心境を吐露した。

名称は「祈りの杜(もり) 福知山線列車事故現場」。事故後、JR西がマンションを含む一帯の約7500平方メートルを
買い取り、一部を保存して整備した。マンションは階段状に4階部分までを残し、アーチ状の屋根で覆った。
遺族らの心情に配慮し、事故の痕跡が残る柱などがある北側の一角は一般の見学者が立ち入ることはできない。

マンション東側の広場に慰霊碑や犠牲者の名碑などを設置。広場入り口の建物には、事故に関する資料や遺族らが
犠牲者に向けてつづった手紙などが展示されている。

次男の昌毅さん(当時18)を事故で亡くした上田弘志さん(64)は慰霊碑に献花後、「慰霊碑の前に立つだけでは
事故現場という感じがしなかった。悲惨さが伝わらないのでは」と話した。「事故のむごさをJR西の社員にも
はっきり感じてもらうために、映像などの形で本来のマンションの姿を示すよう働きかけていきたい」と言う。

長男の貴隆さん(当時33)を亡くした大前清人さん(76)は、当初は事故を思い出すつらさからマンションの全面撤去を
望んでいたという。「名碑に刻まれた息子に話しかけることができた。多くの人に訪れてもらい、事故を語り継いでほしい」
と施設の完成を前向きに受け止めた。

現場のマンションを巡っては、遺族から保存や撤去といった様々な意見が出る中、JR西が15年3月、遺族らの
アンケート結果などを基に一部を保存することを決定。16年から工事を進め、整備完了までには事故から13年を要した。

完成した施設を14日に訪れたJR西の来島達夫社長は「事故の事実を残しつつ、悲惨さを伝えるための保存のあり方として
一番良い選択肢をとった」と強調。「事故を風化させずに伝えていく施設のあり方を引き続き考えていく」と話した。

事故車両の保存や活用についてもJR西と遺族の間で話し合いが続いているが、結論は出ていない。来島社長は
「被害者の幅広い意見をくんで検討する」とした。

JR西は、事故が発生した4月25日に合わせて尼崎市の施設で毎年開いている追悼慰霊式を、19年から事故現場に
変更する方向で検討している。

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https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3537480014092018AC8000/