八重山日報 視点

米軍基地問題を全国に発信した功績は大きい。だが、普天間飛行場の辺野古移設を進める安倍政権と対峙し「不屈を貫いた」という評価は妥当なのか。
翁長雄志知事の死という感情を揺さぶられる出来事の直後だからこそ、翁長県政の3年8カ月を冷静に振り返ることも大切だ。

辺野古移設阻止を公約に掲げる翁長知事の就任後、安倍政権は沖縄振興予算を減額し、上京した翁長知事と首相の面会を拒否するなど、翁長氏を「冷遇」したと一部で批判されている。翁長氏の「不屈」という評価は、そうした安倍政権との関係性から導き出されたようだ。

しかし沖縄振興予算をめぐっては2013年、安倍首相が仲井真弘多前知事に対し、翌年度から8年間、3千億円台を維持することを約束した。
翁長氏の就任後も、その約束は守られている。翁長県政になって予算が減額されたのは、自由度の高い「一括交付金」の執行率が低かったことなどが理由とされており、翁長氏への個人的な報復ではない。

現在の沖縄を見ると観光が絶好調で、求人倍率も復帰後最高を記録するなど、好景気に沸いている。
安倍政権は、仲井真前知事時代に要請を受けた那覇空港の第二滑走路建設をはじめ、石垣島の港湾整備など、観光インフラの整備を着実に進めている。こうした事実は、県政がどうあれ政権として沖縄振興を重視している姿勢の表れだ。

首相が翁長知事の就任当初、面会を拒んだとされる件に関しては、そもそも知事と首相が頻繁に会合を重ねること自体が異例だという事実を指摘すれば足りるのではないか。
実際にはさまざまな場で、両者の会談は何度が行われている。沖縄担当相や外相らは来県するたびに知事を訪問、意見交換しており、政権として翁長氏を無視したということもない。

国策である辺野古移設に反対することが、翁長氏にとって大きなプレッシャーであったことは容易に想像できる。公約のために「命を削った」と形容されるのはそのためだ。
だが翁長氏が「不屈さ」を賞賛されるほど、政権から耐え難い圧力を受け続けたということがあるのだろうか。
埋め立て承認取り消しをめぐる訴訟で勝訴し、司法判断を得た政権が移設作業を粛々と進めることは、いじめでも圧力でもないだろう。

https://www.yaeyama-nippo.com/2018/08/15/知事は-不屈-だったのか/
続きます