和歌山カレー事件「死刑囚の子どもたち」が生きた20年
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180725-00056653-gendaibiz-bus_all&;p=1
家族全員がそろった最後の日

 1998年10月4日。早朝5時前に自宅2階の自室で目を覚ました林家の次女(中2。学年は当時。以下同)が、ただならぬ予感に窓を開けると、おびただしい数のライトが自宅を照らしていた。

 すでに2ヵ月前から報道関係者が自宅を取り囲んでいたが、その日は脚立に乗ったカメラマンがぎっしりと横に並び、こちら側を向いていた。

 林夫妻逮捕の“Xデー”がこの日だと知った報道関係者が、逮捕の瞬間を待ち構えていたのである。その数500人、上空には10機を超えるヘリコプターが旋回していた。

 次女は慌てて長女(中3)を起こし、長女は階下で寝ていた真須美を起こした。真須美は2階から外の様子を確認すると、長女だけを一番端の部屋へ呼び、「もしかしたら捕まるかもしれんけど、パパもママも何もしてないから、すぐ帰ってくる」と伝えた。

 長女が「ほんまはどっちなん?」とカレー事件への関与について尋ねると、真須美は「おまえはアホか!  やってるわけないやろ」と叱った。

 その直後、「林さん、林さん」と玄関が叩かれた。真須美は「はーい」と返事をすると、財布から3万円を出して長女に渡し、階段を下りていった。

 入れ替わるようにして女性警察官が2階へ上ってきて、子どもたちに数日分の着替えを用意するようにと伝えた。つけっ放しにされていたテレビの画面には、両親が警察の車で連行される様子が映し出されていた。

 林宅に家族全員がそろっていたのは、この日が最後だった。

 4人の子どもたちは児童養護施設へと連れて行かれ、空き家となったあと落書きされるに任せた家は、2000年に放火され、全焼してしまう。

真須美は2002年6月まで子どもたちとの接見を禁止されたため、母子は弁護士を介して手紙を交換した。

 長女は真須美に心配をかけまいと、「施設のみんなは私たち4人がなんで施設に来たか知っています。でも、そんなことを言う子は一人もいません。みんな同じだからです」と書いたが、実際には“カレー事件の犯人の子ども”ということで、あからさまないじめに遭っていた。

 施設の子どもたちだけでなく、職員たちからも暴力を受け、入浴中も監視され、手紙もすべてコピーされた。食事にカレーライスが出たとき、職員に「ヒ素、入ってんと違うか?」と言われ、気丈な長女が泣いたこともあった。