昭和47年頃の町田市について
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童謡100年の歩みを振り返る 町田で企画展 白秋と弟子・藪田を軸に
童謡が普及する歩みを、詩人の北原白秋(一八八五−一九四二年)と、弟子の藪田義雄(一九〇二−一九八四年)の足跡を軸にたどる
「童謡とわらべ唄」が、町田市の町田市民文学館(原町田四)で開かれている。十七日まで。
児童向け雑誌「赤い鳥」が一九一八(大正七)年に創刊されて百年になるのに合わせた企画。
日本の児童文学・児童音楽に多大な影響を及ぼした同誌で、白秋は「赤い鳥小鳥」「あわて床屋(とこや)」などの童謡を発表している。
神奈川県小田原市出身の藪田は十代のころ、同市の自宅で童謡づくりに励んでいた白秋と出会い、才能を認められて秘書にもなった。
白秋が亡くなった後は、師の遺志を継ぎ、各地に残るわらべ唄の収集、研究にも取り組んだ。
六九年に町田市に転居し、亡くなるまで暮らした。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201806/CK2018061502000129.html >>84
昭和47年だと、シズオカヤは大丸の地下二階だったような
さいか屋は「ジョルナ」になる前か
大正堂は今の「ラウンドワン」辺りかな(これは自信なし) >>109
「POPビル」って名前になってるけど
建物自体は「緑屋」時代のままだと思う まさかオッシュマンズが撤退するとはなぁ。。。いろいろ服とか買ったし、客も多かったのに。 外道のワッペン背中にはって
ビュンビュンビュンビュン 昭和47年の町田市といえば、黒坂巡査がとび職の男に刺殺され拳銃を奪われた事件。 20年前だけど町田から小田急の急行は息できないほど混んでたな。
あと痴漢が多かったイメージ 小1まで鶴川に住んでた
なんか坂が多かったイメージ 俺の人生も坂多い
こんなのダメですか?(′・_・`) >>102
1F入口にドムドムがあって、ばあちゃんによく買ってもらってた。 町田のラーメン戦争は
勝者と敗者の差が激しい
美味い店は僻地でもやっぱ行列すごいんだよね 町田は言われているほど大きく発展している街ではない。
駅前繁華街もゴチャゴチャしているだけで
範囲狭いし。 俺もそう思ってたけど、さづかから森野までって考えると結構広くね? 町田市は細長いからね。
https://i.imgur.com/ruxRopJ.jpg
てゆーか、やっぱり町田市は神奈川県に入った方がスッキリするだろ。
そーいや、昭和50年頃、町田の親戚の団地で迷子になったことあるの思い出したわ(´・ω・`)
なんとなーく部屋から出て下に降りたはいいけど、振り向くと全部同じ建物で何処から出てきたのか判らなくなって
超泣いた思い出(´・ω・`)
あれ以来、マンモス団地とかマジでアホかと思うようになったな。 >>143
地図上で見るとそうかもだけど
実際は、町田市と相模原市は「川を挟んだなだらかな坂」で隔てられてる
地域が違うのには、それなりの理由がある >>144
その時学ラン脱いで雪でスリップする車を脱出させたの俺な >>145
それと町田自体が下り坂の途中にあって
町田街道を境にさらに下って行くよね
君の書き込みで気がついたわ >>145
でも、地図で確認するとご覧の通り、
市境の点線は町田駅に侵入している。
https://i.imgur.com/JZpZjxv.png
しかも、町田駅と相模大野駅って、
僅か1500mほどしか離れていない。
https://i.imgur.com/T175I6Y.png >>124
NHKでリアルタイムで見た。大野南中3年だった。 >>4
この時代からもうステダン装備とかしてるんだな、
見かけによらず、走りにガチ勢なライダーの写真 >>150
Z2はハヤシのキャスト履いているし
マッハはリアショック替えているし
中々の走り屋だろうね アーリーキャッツ
ルート16
ロードスペクター
だっけ? >>151
釣りかもしれんが、それは別の墜落事故ではないかな? >>156
ど、どどどとのあたりにサンパチさんがおられるあるか?? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています