哲学の本など読まなくても己の中に哲学は無いか?
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ヘーゲルは読まなくても良いぜ?
あれを持ち上げるのはその継承者たる唯物史観に染まった文系学者
日本の文系大学には沢山いるけど 自分てわ何事にも疑問を持って自問自答していって導き出すのが真の哲学だろう。 >>65
社会批評としては面白いよ。
哲学と言い切るかは本人らの出自でしかないし。
でもあの頃のライターのテキストだったガタリは政治批評でしょ。
一般論化する軸がなかったから哲学という人もいるくらい。
時代が時代なら思想家と言われたかもしれない。 >>73
いつも思うけど日本語の学の使い方を間違えてる人が多いと思う。 >>69
ほらなw
おまえからレスして来てるのも頭に無いとはねぇ 哲学って大体が西洋哲学の話になるよね
諸子百家とかはあんまり出てこない >>80
学なんだから分類次第でしょ。
Phylosophyを考えるとヨーロッパの数理哲学が本流じゃないの。 ないな
すべての考えは
他人の哲学
自分オリジナルは存在しない 教養課程で哲学の講義履修したけど、「哲学者学」だったわ
自分の哲学ってより、過去の話ばっかりで最新の研究の話聞けなかったんだけど、院クラスだと聞けるの? >>1の記事は、半分賛成。半分反対。
アウトプットだけ学んで、なんででしょう?は、自分で考えればよい。
かえって哲学できる。
>>1のスレタイはアレだ。
お風呂のお湯って、また入れるときがくるにしても
捨てるだろw 哲学というのは抽象化である
物事をそれそのままに見るのではなく更に深く掘り下げてそれに対する問いを発する行為である
それは知能よりも性格に帰因するように思われる
哲学的な思考はできるというより「してしまう」ものであり
多くのそのように考えない人たちからは、ほとんど絶望的に理解してはもらえない
多くの人にとって哲学は、哲学者の本を読むことであったり人生論であったりノウハウ集であったりするが
それは哲学の成果物(というか搾りかす)であって、本来哲学は深く更に深くと考えていく行為の中にある 5.6歳ぐらいの子供こそ哲学している
私とは、なにか?
世界とは、なにか?
死とは、なにか?
盛んに問うている
だが、大人になるにつれ、多くの人は、その問いを捨てていく
浮世を生き抜くには、邪魔な問いであるから
その問いを取り戻すため
既存の哲学書が役立つこともある そもそもお前のやる事なす事自体が客観性を持ち得ないだろって元も子も無い考え方が好き >>61
日本(東洋)は学問体系が近代に西洋文明と衝突していびつになってる。
だから哲学が切り離されて精神分析論と混ざった感じの考えすぎるメンヘラが好む同好会みたいな扱いになってる。
リベラルアーツという西洋の文系理系という東洋の枠組みではない学問体系を理解すれば
哲学のハードルは下がるで。
さらに言えば、日本が、まあええわ。
続きはまた今度な。 オリジナルの哲学があるとしたら
生まれた瞬間
誰の教えもなく
いきるやつだけ
そういうやつはいない 哲学を勉強する理由は、巨人の肩の上に乗るためだよ。
哲学だけじゃなく、あらゆる学問がそういうものなんだ。 >>91
己の思考を弁論したり著述するのに言葉を使う時点で、言葉の制約を受けて純粋な形には発露できないと思うね
だから芸術があるんだろうけど、それはそれで受けての主観の物になってしまう >>67
前者の哲学の方が有名な気がするんだけどビジネス書のせいかね ニーチェを読んだけど、たいしこと言ってないなコイツ。ただの屁理屈。
時間の無駄だった。この程度のことしか言ってないのに持ち上げあれてるのか。 インド哲学とか東洋哲学を読むけど、西洋の哲学者のインド哲学にたいする知識は酷いな・・・・・。
ショーペンハウアー、ニーチェの言ってることはインド哲学や仏教の基本的なことすら理解出来てない。
インドの哲学者がブチキレそうなくらい酷い。 >>96
岩波文庫のツァラトゥストラを読んでみたが、日本語として読みづらい実に下手な翻訳だった 小説は好きだけどそれ以外の本とか退屈で読む気にならんw
まぁ中島らものエッセイはそこそこおもしろかったけど >>94
ややこしいことに著名な哲学者の名言集的なものもあって、彼らが残す名言的なものは自らの学問における哲学を端的に表すものとして機能してたりするから余計に哲学の何たるかを誤解されやすい
けどそれはシュレディンガーの猫の話は知ってるけど量子論のことは全く理解できない状態と変わらない ショーペンハウアーやニーチェのインド哲学や仏教の知識は、専門家ですらお粗末だって認めてるからなあ・・・・・。
ニーチェは、ニヒリズムとリアリズムの区別すら出来てないし。
専門家にハッキリとお粗末だと書かれてるレベル。しかも、欧米人にそう書かれてる。 あるよ「仏性」は誰にでもある
そこに気づくかどうか
己を見つめ知り尽くすと見えてくる >>102
メタサイエンスもあればメタ政治もある。
昔は数学が先でそれを現実に持ってくるのがフィロソフィーだった。
説はいろいろあれど一本化はよくない。 >>103
お粗末な物はお粗末なんだから仕方がないだろ。 ニーチェが人気が出たのは、
ワーグナー全盛の時代にそれに対抗する存在として特にフランスでの事なんだよな
いっそ詩人として読めば?衝撃あるかもよw 西田哲学は学ぶ必要ないで?
こいつの問題意識はもうどうでもいい >>108
ぶっちゃけ、量子力学とAIがそれ以前の哲学を完全破壊した。
20世紀前半以前の哲学なんて、もう古典だ。 エロ画像は高画質であればあるほど抜ける
ただし動画はその通りではない 大昔の働かなくていい暇持て余したアホが時間つぶしにやってたのが哲学なんの意味もないよ
考える葦であるとか wwwwwww いきなりサルトルだのニーチェだのは難解すぎるだろw
その前提となる哲学の流れを知らないと何言ってるか判らない
古代ギリシャのソクラテスなどソフィスト達の原始哲学、アウグスティヌスに始まる神学論争、近代の無神論的モダニズム
この3つは別物として分けないといけないw
特に真ん中の宗教論争は完全に無視してもいいw 学生の頃は夢中で哲学の本読んだり哲学的な事を考えたりしてたけど、おっさんになって働き出すととどうでもよくなってくるんだよなあ >>113
逆だろ。
もはや完全論破された砂上の楼閣のほうが覚えるだけ無駄で
宗教哲学のほうこそ、「無知の状態では人間はこう考えがちである」、という意味で
歴史的に意味がある。 ウパニシャッド、ヴェーダ、とかインド哲学も読んだ。それと、シャンカラ、タゴールの本も持ってる。
西洋哲学は、理屈っぽい印象を受けるね。 哲学は袋小路なんだよな
答えが無いし、自分が納得できないものは理解できても腑に落ちない 正直、哲学は、科学に論破される歴史だからなぁ。
今わかっていることを基にして考えるとこうなる、というだけであって、
それをひっくり返すような事実が判明するとぶち壊される。 >>115
宗教哲学はアウグスティヌス以降は無駄でいいんじゃないか
人効を棄てて、教会にその役割を振り分けた時点であまりにも無意味だよ
かと言ってそれ以前のも情報としては混迷し過ぎてるけどね カトリックの神父、カトリックの宣教師、プロテスタントの牧師。コイツらが、軽く論破されてるのを見るとこの程度かって感じだな。
神学を学んでも、新井白石を軽く論破されてるくらいだし。プロテスタントの神父も、スリランカの僧侶に論破されてるしな。
パーナドゥラ論争の話だけどね。 >>101
ニーチェは単にショーペンハウアーの受け売りじゃろ
ショーペンハウアーはフランシスブキャナンがビルマ仏教を翻訳の翻訳で紹介した無いようの受け売り カトリックが神父、
プロテスタントは牧師、
イギリス国教会は主教、
ではロシア協会の聖職者は何と呼ばれている?
ぐぐらずに答えられれば、ちょっと尊敬する。 問題意識が同じで自分よりはるかに頭が良くて
深く掘り下げてくれる人を見つけると楽しい 関連した実用書が多いということはそういう学問なのか、というイメージを持たざるを得ない 哲学論理は意味がないものだ
各自の使う語句の概念が統一されていないから
哲学の全体像が世界の象徴のようだ >>121
プロテスタントは神父じゃなくて牧師だったな。 >>112
アリストテレスは教師したらアレクサンドロスみたいな化物やエジプトプトレマイオス朝の初代王を育て上げたんやで?
哲学最強だわ 思考の体系を知るのにはいいと思うけどな フィクションだと思って読むくらいがちょうどいい 欧米のコンピューターサイエンスの本読んでるとたまにプラトンやアリストテレスの話が出てくる >>132
枢機卿はカトリックの上級職だよ
デュマの三銃士にも出てたでそ?
俺はアニメで覚えたけど
神品っていうんだよ 六師外道の教えを知ると面白い。これね。自分では気が付いていないけど、現代人は知らず知らずのうちに六師外道の考えをしてることがある。 よく、死ねば無になるって言うだろ。これはアジタ・ケーサカンバリンの考え。
死ねば無になるって考えは、現代人多い考えだが2500年も前にこういった考えがあったのが興味深い。 現象学→ゴミ
実存主義→ゴミ
構造主義→ゴミ
ポストモダン→ソーカル
これでええで?
一方、分析哲学は今も学ぶ価値がある 哲学は必要としてない人には全く無意味
しかし求める人には金銭以上の価値がある
そんなもの >>143
いいね、バカからカネを巻き上げる「付け込む隙」ってやつだな >>136
パラダイム論とかやる科学哲学はメタ哲学にして哲学じゃろな お前らに一番合ってるのは「それから」の長井代助だろ >>143
価値観の問題意識に直面しないと哲学は生まれないからな
3.11でこれまでの己の生き方を見直した人はみなプチ哲学してる筈 ないよ?
あってもそれは哲学者では無い
ただの詭弁 西洋哲学があるから宗教は必要ないって人がいるけど、キリスト教を抜きにして
欧米の文化、芸術、哲学、学問を語るのは無理。 ニーチェはワーグナーとショーペンハウエルとエマソンの融合体 >>148
シュレーディンガーとかはショーペンハウアーの影響を強く受けてるんだよな 陳腐だけど色々あって人間関係の本質は、ギブ&テークに尽きるという事に至った
親子、兄弟、友人、夫婦・・・
相手に何を貰うか期待するのは、人それぞれで現金払いか出世払いかも人それぞれ
話も合わない、将来自分の助けにもなりそうにない相手と誰も友達にならないだろ >>157
それもう行動経済学として20世紀中盤から提唱されてまふー
おばかちゃんは車輪の再発名が大好きすー >>157
日本だと二宮尊徳がそれを理論化してるな 生活していくには科学で充分なわけやろ
せやけどそれでも「何故なんだ?」と問わずにはいられない変人が過去にはいたわけや
結局切実に「何故?」という問いをもたない人間に問いを持てということ自体、無理なこと
考えなくても生活していけるのにそれでも問いを持ってしまい考えてしまう、一種の癖みたいなもんよ
だから問いが切実でない人間には難解だったり意味不明だったりするわけやろ 西洋哲学を理解するには、まずキリスト教を勉強しなきゃ駄目。聖書に書いてある神とか悪魔とか、比喩でも何でもなくそのまんまの意味だから。
なぜか、欧米では仏教を哲学だと見てるけど、これは間違い。原始仏典に神とか悪魔とかでてくるけど、比喩じゃなくてそのままの意味。なぜか、欧米では神とか悪魔の部分を切り捨てて哲学ってことにしたけど。
釈迦は、神とか悪魔とか霊魂と言った非科学的、非合理的なことは説いていないという誤解は
欧米が理想化した仏教解釈から始まった。
近代になるまで、神とか悪魔、霊魂は身近な存在だったから。近代化に伴ってそういった物を否定してしまった。 >>161
リア充で現世を楽しく生きてる間は哲学的はいらないよな
リア充を妬ましく見つめ疎外真っ只中にいる者こそ哲学する
トーマスマン的な世界 >>162
あと哲学やるなら日本語はダメだよな
論理的思考には日本語はてんで向いてない
情感を伝えるのには豊かな言語ではあるけど
厳密性と論理性と構造供述が不得手 十代くらいには哲学の本も読んだ方がいいと思う
二十歳すぎて読んでたらちょっとアレだけど
二十歳越えたら自分の哲学を持たないとね >>162
キリスト教がなかったら中近世の哲学はもっと違う方向にいってたのかなとは思う
中近世のヨーロッパの哲学者はどいつもこいつも神や魂は実在するとか人間と動物は全く違うとか述べてやがる >>22
哲学は死んだ。これが最新
実証科学の時代に思弁哲学に回顧する人間は
神学的時代の考えに固執する人間と同様アナクロ
大学の教養科目にも、成績は良いが精神疾患としか思えない
病的なのがゴロゴロ居て、半年間苦痛だった
教員も社会性を持たない人で、他の職業は無理だろう
その程度の範囲しか知らないが、哲学には二度と関わりたくない >>164
そういうことを言ってる奴に限って数学が苦手という経験則があるが、
君は純粋な理論で微分方程式を解けるかね? >>164
訳書だと細かなニュアンスが伝わらないしな
哲学書読んでると、誤訳じゃないんだろうけど何かもう少し違う表現あるんじゃないのかって場面がよくある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています