米国人「バターン死の行進?」 ( ゜ω ゜?)ナニソレ
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「バターン死の行進」から76年。アメリカでも危惧される「歴史の風化」
2018年04月19日
(中略)
日本のネット上では「よりよい環境に移送するため仕方なかった」
「日本軍は投降すること恥としていたので、捕虜の扱いに関する教育が
足りていなかった」という意見や、「これぐらいの距離は飲まず食わずでも歩ける」
というものまで、事件を疑問視するようなコメントが多く見られる。
一方で、義務教育などで詳しく教えられることもなく、知らないという人も多いだろう。
(中略)
しかし、76年という年月が経った今、アメリカでも
「事件を認識している」人の数が次第に減りつつあるのが問題になっている。
「Santa Fe New Mexican」は「ニューメキシコの生還者、『バターン死の行進』が
忘れられてしまうことを懸念」という記事を掲載。
バターンでの戦闘は日本軍のオーストラリア侵攻を食い止めたが、
第二次世界大戦初期のもっとも悪名高く残虐な出来事「死の行進」に
繋がってしまったと事件の重大性を伝えつつも、現在生き残っている元捕虜がいなくなれば、
忘れ去られてしまうのではないかという懸念を示している。
同記事では98歳になる元捕虜の妻が、3月に行われた式典にやってきた孫たちの
エピソードを挙げて、「(死の行進が)忘れられることになるだろう」と指摘している。
というのも、孫たちが周囲に式典と死の行進の話をすると
「教師も同級生も何の話をしているのか、事件についてサッパリ知らなかった」そうだ。
https://hbol.jp/164018 >>42
朝鮮と台湾が日本だったことなんか、もっと知らないしな >>54
そこに至るまで、喧々諤々の歴史論争があったらしい
「真珠湾は日本のだまし討ちだ!USA!USA!」てのが意外にもリベラル派で
「ちょっと待て。日本にもアメリカにもアカのスパイが紛れ込んでね?
ヴェノナ文書とかミトロヒン文書とかちゃんと精査しようぜ」てのが保守派の中でも少数派の変わり者
歴史戦で後者の方がすこーしだけ押してきたんだとさ 新宿古着屋ワタナベなどここに新宿古着屋と書くだけでワンパ自殺発狂しちゃいますんでねダイバクショウ 元々アレはアメリカがやらかした日系人収容を誤魔化すためにやった大袈裟な宣伝話だからな
日本兵も一緒に歩いていたし車や鉄道でも移動してるというかあんな伝染病危険地帯に逃げ込ませた米軍首脳部が鬼畜だったのも誤魔化したかった
大量の捕虜を出したのにその処理についての交渉も米軍はちゃんとやらなかった
食料もないし助けも来ない伝染病を媒介する蚊や飛沫感染する伝染病がどんどん広まる日本軍が放置してたら絶滅してた
大体、人数多すぎて日本人医師じゃ足りないから米軍の医療関係者に米兵の治療を許可したから虐待って頭がおかしい 戦争中に起きたことなんか全部終わったことにせえよアホくさ |l| | |l| |
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⌒) (⌒ ビターン
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`''ー---‐'''''" それはそれは余りにも過酷で
体力を失った者が次々に
バターンバターンと倒れてゆく
死の行進の事なのだよ >>61
それは初耳だ。アメリカのそういう自浄作用こそ素晴らしかったのに、今はなんか残念な流れが低着しつつある。 ニダアル工作機関による
新手のディスカウントジャパン臭いな うちの爺ちゃんもそうだったけど、帝国陸軍の歩兵は足腰の強い百姓出身が多くて、
完全武装60キロの荷物背負って毎日徒歩行軍休憩なしで40キロは当たり前だったそうだ。
大戦末期の中国大陸打通作戦の成功も、歩兵の強脚力の賜物 インパールでトラックバラして担いで山越えしたってテレビでやってて凄えと思いました。 チャーチルとルーズベルトにあからさま騙されてんのにいつ気づくの
日本なんか割食っただけやで 19世紀アメリカ先住民のチェロキー族を米国政府が強制移住させた
「涙の踏み分け道」(一万五千人のうちの四千人が命を落とした)を
知ってる米国人は何人いるんだよ、あ? >>15
硫黄島の上陸作戦の実写記録の、
妙に不思議な、
どこか間延びした空気感を思い出した
その癖、日本軍の必死の物凄い銃撃の音でピョーンとか鳴り止まない
ジワジワ変な汗をかいてくる
米兵は塹壕に横になるだけなんだが、っていう 日本は積極的捕虜虐待目的でやった訳じゃない
米国のプロパガンダで大事にされただけ なぜか下朝鮮では報道されない話題
● 国民防衛軍事件
中国義勇軍の参戦による戦局の悪化を打開するべく韓.国政府は国民防衛軍を組織した。
1951年初頭、韓.国は北朝鮮・中国両軍の攻勢を受け、前線からの後退を決定し、およそ50万の
将兵が大邱や釜山へと撤退することとなった。この撤退の際に、国民防衛軍司令部の幹部達が国民防衛軍に供給された
軍事物資や兵糧米などを不正に処分・着服。その結果、極寒の中を徒歩で撤退する将兵達に対する補給物資が不足し、9万名余りの韓.国軍兵士が餓死・凍死する「死の行進」となった。 戦争に負けるってそういうことなのよ、あることないことでっち上がって歴史になってしまうの ジャップ兵も一緒に歩いてたんだけどな
酷い目に遭ったと感じるなら強いて言えば金持ち喧嘩せずを守らなかったからとする他無い オランダ人には牛蒡食べさせたら木の根っこ喰わせられたとかキレられたしな 小学校の頃は本当にバターンと倒れて死んだから問題のなったんだと思ってた
みんな同じなんだな 行程の半分は列車だろうが。
しかも大量に投降してきたから、捕虜にメシ食わせなあかんからそうなったんやろ。 >>61,>>72
対日参戦を強行したのが当時ソ連の工作員に乗っ取られていたリベラルの米民主党。
保守の共和党は対日参戦に反対していた。
この時のヴェノナ文書は既に公開済み。
ハルノートを書いたハリー・ホワイトもソ連からコードネームを与えられたソ連の工作員だった。
(ハルノートはダグラス・マッカーサーにも知らされていなかった。)
戦後は自国を正当化する為に原爆投下を肯定していたが、支那の膨張主義に連合軍の作り出した東京裁判史観が足枷になってきた。
そこで共和党の重鎮クラスからも東京裁判史観の見直しを求める声が出始めてきた。
これは過去の民主党の政策を批判する材料にもなり得るし、個人的にも対米戦争は『同士討ち』だと思っている。
(原爆投下や大都市空襲という戦時国際法違反を肯定するわけではないが。) >>32
そうは言うけど、日本だって地上戦に持ち込んだ箇所は米軍に馬鹿みたいな被害与えてるからな
本当に本土決戦までやってたら今のような関係さえなかったかもしれない >>85
そうそうw
日本兵も隣を一緒に歩いてたんだよなw
これ知った時、腹抱えて笑ったな〜w 原爆や大空襲の言い訳が必要だからな〜
南京とかもそうだよな 捕虜の為に車とステーキと食後のアイスクリーム用意しなかった日本が悪い 自国兵士でさえ死因の大半が餓死・病死な日本にどうしろっていうんだ
日本兵の死体ステーキとウジご飯ならいくらでもあるけどさ 日本兵は同じ状況で装備まで持って問題ないのに
自分達の貧弱ぶりを猛アピール二しかなってないだろこれ >>15
その欧州の最前線でドイツを蹴散らしていたのは日本人。正確には日系米国人。
指揮官以外は日系人だけで構成された第442連隊戦闘団は米国陸軍史上最強の部隊とまで言われた。
この事実は60年代まで封印されていた。 >>103の訂正。
日系人部隊がダッハウ収容所を解放したのが公開されたのは1992年でした。 >>100
そこが考え方の違いで、自軍がそこまでボロボロだと降伏するのが当然と考えてるんじゃないの?
それを無理して行進して国際法で決められた捕虜の扱いを守らなかったのは頭オカシイてきな >>105
逆だろ。国際法に合わせて捕虜にメシ喰わせる為にそうなったんだろ。
日本軍がコレヒドール島に上陸するとマッカーサーは敵前逃亡、日本軍2万5000名に対し米軍7万6000人が白旗を揚げて投降してきた。
こいつらを捕虜としてメシ喰わせなきゃならない。
『割りに合わぬ話なり。』by高松宮
全行程143km。そのうち48kmは鉄道輸送、53kmは一部米軍のトラックで輸送。
米軍が日本軍に鹵獲されないようにとトラックを破壊してなけりゃ、もっとトラックで移動できたんだよ。
ある意味自業自得。 しかし、日本軍が攻めてくると兵を置き去りにして指揮官が敵前逃亡って、まんま国民党の蒋介石ソックリだなw
南京の戦闘でも蒋介石は兵を塹壕に鎖で縛り付けておいて自分は敵前逃亡した。
マッカーサーが白い支那人なら、蒋介石は黄色いアメリカ人ってかw
まぁ、戦後は名誉白人的に国連入りしたが、国共内戦で中共に追い出され、国連も追い出されて今はあのザマだけどな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています