http://bunshun.jp/articles/-/6808
「ぼっち」でいじめられていた少女が“三浦瑠麗”になるまで
服装やメガネ、浮いていること自体がいじめの原因に

──「ぼっち飯」を苦痛なく食べられるように京都大学の学食に「ぼっち席」が導入されたとニュースになってから5年近くが経ちますが、
三浦さんも「ぼっち飯」だったんですか?

三浦 そうですね。だから人前で食べることがかえって苦しかった時代がありました。高校時代、学校の近くにモスバーガーがあって、陸上部の部活の帰りに部員同士で寄ることもあったんです。
でも、ハンバーガーの数センチの厚みまで口が開けられなかったですね。

──えっ。口が開かない?

三浦 小さい頃から外食をほとんどしなかったので、ハンバーガーの食べ方がよくわからない。人前で口を開くことすらいやでした。
小学校高学年からいじめも始まったので、給食などのタイミングで人と一緒にいる必然性がなかったですね。

──いじめというのは女子からですか? 男子からですか?

三浦 最初は女子ですね。服装やメガネや、あるいは浮いていること自体について……私は家の教育方針でテレビを見たことがほとんど
ありませんでしたから。両親は学生結婚をして、母は22歳のときに最初の子供を産んで、5人の子供を育てながらずっと専業主婦をしてきました。
世間知らずのまま親になったという感じだったんでしょうね。教育方針は割と極端だった。私は3番目なんですが、特に上の3人は本当に
厳しく育てられました。

洋服は、一言でいえば、今風ではなかった。キャラクター物も持っていませんでしたし、ちょっと時代錯誤的な洋服や、生活協同クラブで
共同購入した色違いの無地のTシャツ3枚組みたいなものを着ていました。