織田信長が中国地方を支配する毛利輝元を攻めた「中国攻め」で、
羽柴(豊臣)秀吉が播磨(兵庫県)の有力武士に宛てた書状が見つかった。

秀吉が播磨を制圧するため、敵を味方に引き入れる調略を行っていたことを示す内容。
この調略は「信長公記」などに記され、その成功で信長は中国攻めの足場を固めたと
いわれるが、証明する古文書が見つかったのは初めて。

以下そ〜す


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180315-00050120-yom-ent