東日本の被差別部落について本が刊行される 東北で皮革業は普通の農民の仕事だった
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
東日本部落解放研究所 初の東北県別部落史発掘
関東、甲信越も 5年半の成果3冊に
https://mainichi.jp/articles/20180313/dde/018/040/048000c
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/03/13/20180313dde001010009000p/9.jpg
東北や関東・甲信越の被差別部落史の研究成果を江戸時代中心にまとめた
『東日本の部落史』全3巻(東日本部落解放研究所編、現代書館、
3564〜4104円)が刊行された。
東日本は、西日本と比べて被差別部落が少ないとされ、
部落史研究も遅く始まった。特に第2巻は初めて、東北の部落史を県別にまとめた。
藤沢靖介・同研究所副理事長と吉田勉・同事務局長に聞いた。(中略)
1993年の「同和関係人口」で、関東は約8万3000人と全国の9・3%だけ、
東北は数字がない。ダントツの関西(37万3000人、41・8%)などと比べて圧倒的に少ない。
「この数字がイコール部落民人口ではないが、実数も関東と東北を合わせて
せいぜい1割超でしょう」と吉田さん。
人数の少なさは、部落解放運動や歴史研究の少なさにもつながってきた。
特に東北の被差別民については、従来の論集は言及がないか、
全体で1章だけといったものしかなかった。
「県別の論文を並べられるほどに、ようやく研究が進んできた」(藤沢さん) じゃあ自然発生的なものなのかね?
風俗とか売春婦みたいなもんかな。風紀が乱れるので良くないと言いつつ、需要はあるから、あの手この手でやる人、やらされる人が増えるという。
東北はヤリマン歓迎の緩い土地だったから、ことさら風俗や売春婦が流行らなかったみたいな。 自然発生的なら全国に点在してるでしょ
愛知や東京も部落は少ないの 部落は、朝鮮半島から人を連れてきたときに、朝鮮半島由来の差別や階層が影響してるのではないか? 単に新しいからだろ!
東北人はほとんどが平安末期から鎌倉時代、南北朝時代に移り住んだの人々の末裔だろ?
多いのが、藤原摂関家や執権北条の土地だったところに、武士が移住して来て、例えば、南北朝で南朝方で戦って敗れて、その後に帰農したり・・・ >>592
東北は縄文時代から人が暮らしてるよね。蝦夷もいたし。
ちなみに蝦夷って、蝦夷という大勢力がいたというよりは、大和朝廷に恭順しない集団を指した呼称らしいね。蛮族って単語みたいな。
ちなみに、弘前あたりでは紀元前1世紀から水田が行われていたらしい。朝鮮半島と近いから交流があったんだろうね。
ただ、歴史としては大和朝廷が編纂した正史しか残ってないので良く分からないという。 部落が差別用語なのって
人種差別があるから人種って言葉を差別用語にした感じなのかな? >>590
だね。
エタ階級は職業だって言う人いるけど
部落にもいろいろ種類があって、
税を納めない人(納めれない貧しい地域)も藩がエタ認定してた所もある。
少数の集まりで自活してて政治的に合わないとか、一揆起こしたとか、
流刑地だったとか多種多様で藩が勝手に決めたりもしてたんだよね。
愛知はわからないけど、江戸は意図的に作らなかったしね(代わりに埼玉・群馬に作った)
蝦夷は部落は無かったけど、
技術者として皮革職人を呼び寄せた地域があり結果非差別部落って事になってる http://www.hijirizaka.jp/jinken/hokoku/hokoku01.html
黒田長政が関ヶ原合戦後、福岡の地名をもって入国したのが慶長5年。
播磨より皮革職人を移らせ、被差別部落を形成させる。
http://imano.comm.fukuoka-u.ac.jp/shiryoken/meeting/20140628nakamura.pdf
対馬本島には、寛政元年(1789)まで「穢多」「皮(革)多」などと呼ばれる被差別民は存在せず、皮革生産も行われなかった。
皮革はもっぱら日本本土や朝鮮から輸入し、履物類等の皮革製品も島外から購入した。
18世紀以降、朝鮮貿易の衰退に伴い、財政状況が悪化、対馬藩は産業構造改革をめざし、島内で諸産品を製造できるよう、
島外から紙漉職人・陶工など多種多様の職人を招致、殖産興業策を推進した。
その一環として飛び地の肥前国田代から皮革業者である穢多身分の人びとを呼び寄せ、皮革および履物類の国産化を図った。 http://blhrri.org/old/jiten/index.php?%A1%F6%CA%A1%B2%AC%B8%A9
小倉藩では延宝期(1673-81)、この地を襲った大暴風雨による甚大な被害を引き金として、農村が窮乏化の一途をたどった。
さらに享保大飢饉や、その前後の連年の凶作がそれに拍車をかけ、潰れ・逃散が相次いだ。
こうして発生した散田の復旧や新田開発に投入されたのが穢多新百姓である。
福岡藩の場合と軌を一にするが、小倉藩の穢多村分出はそれより著しく、幕末には190カ村余りを数えた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%92%8C%E5%AF%BE%E7%AD%96%E4%BA%8B%E6%A5%AD
福岡県内の自治体に固有の同和対策事業。
この地域は、農耕者が不在となった耕地に対し、その維持を目的として被差別民を投入するという、
穢多新百姓取立などと呼ばれる農業政策が藩政期から特に見られ、その結果膨大な数の農村型被差別部落を抱えることとなった。 肉屋のことをあれこれ言うなら、人を斬っても平気な武士だってある意味Bみたいなもんだよね >>576
いえ、ジョブチェンジはできていません
それは許されなかった
明治維新後に看守や巡査になったのは士族(特に薩摩藩の士族が多かった マッポとかオイコラという言葉はその名残)
そもそも身分と差別は違う
例えば軍隊とか会社組織にはいろいろな身分階級があるがそれは差別とは違う
奴隷制も本来差別ではない
奴隷はそもそも奴隷として価値のある者しかなれないだから
奴隷はヒエラルキー内の人間であり文化・教養・民族的に同等となり昇進もありえた
(秀吉、マルムーク、石勒、朱元璋他世界には奴隷的身分から王になった人は多数存在した)
しかし差別はそれとは違う、ヒエラルキー外の人間に対するもの(アメリカとか白人社会だけは何故?か違うが) http://archive.fo/408PO
先述したように京都の近世に於ける封建支配機構の末端組織である四座雑色は、
その下に穢多非人を統率し、洛外の行政、洛中洛外の司法・検察を担った半官半民の役人組織である。
この頭4人を上雑色と呼び、上雑色の仕事を補佐する下雑色が8人、見座2人、中座12人、さらに定遺5人が所属し、
上雑色から定遺までを雑色仲間、雑色衆と呼んでいた。
この雑色衆の下に穢多年寄りと非人年寄りが統率され、司法・検察の最末端の仕事に携わっていた。
http://d.hatena.ne.jp/ituki/20070615/
カワタも非人も、ともに下級役人としてさまざまな仕事に従事していました。
基本的には、町奉行所の下にある四座雑色の下にあるみたいです。
カワタ身分については「役人村」、非人については「悲田院」が統括をしていたみたいです。
つまり、奉行所にしたにあるというところで、ともに「(国家)公務員」としての役をしていたということになるのでしょうか。 >>595
人種差別というのはハリウッド映画が造ったものじゃねぇの
アジアやイスラムに元々人種差別は無く、ヨーロッパにはおそらく有色人種のタタール系貴族とか居るのになんか変 >>605
もし役人に属し役人であったとしても
一般庶民に対する上下主従関係が解からなくなるよな
つまり
役人であろうが無かろうが
どっちにしろ一般庶民に対する上下主従関係では無いことでエタは身分・階級ではないという事が判る >>607
農村部においても本村と枝郷(エタ村)という主従関係はあった。 >>605
これから察するに、公家・天皇が直接エタヒニンと繋がり、かつ、エタヒニンと庶民の接点を断つことにより、エタヒニンの職の特権性を公家と天皇が確保できるという政治的な作戦もあったのかも。
江戸時代も公家・天皇お抱えの諜報部隊とかあったと聞くし、それはエタヒニンとかが担ってたりしてね。
その名残があるから今でも権力が強いとか。 >>594
縄文時代には日本人の大半は東日本に住んでたんじゃなかったかな
植物の植生が東と西で違っていてドングリなどを採取して食する
狩猟採取文明に東北あたりの方が適していた
一方で稲作が弥生時代に到来したとの通説も違ってきたようで >>608
それは主従関係というより金銭的な問題から生じた契約関係だろうな
弾座衛門がそうであるように主従関係が逆の場合もあった >>600
武士はBみたいなものじゃなく、もともとBそのものだからね
戦という人の血と死の穢れに触れるケガレ的にもっとも忌み嫌われる職業だし
権力を持ったので武士に対する差別が難しくなっただけ
それでも江戸時代は犯罪という穢れに触れる同心や与力が同じ武士から差別の対象となり
世襲が当たり前の時代に同心と与力は一代限りの採用で幕府の正式な家臣ではなかった
さらにケガレに触れる首切り役の山田浅右衛門(世襲名)は一代限り採用どころか外注扱いにされた >>604
法務省矯正局刑務官に被差別階級出身者って多いでしょ国家公務員だが官舎に住み世襲みたいに代々看守やってる >>592
東北にやたらと多い佐藤姓はそのクチらしい
京都近畿から移住してきた藤原系の武士で身分上大きな土地を所有できて
分家分家を繰り返し人口が増えたという >>611
http://id.nii.ac.jp/1350/00001960/
赤穂藩では寛政11年(1799)と同13年、 立て続けに皮多の言動を規制する法令が出された。
そこで命じられたのは、@領内の皮多は近隣の町場や村々の「小見せ」「小酒屋」などへ出向くとき、
履いていた草履や草鞋を店の門の外で脱ぎ、地面に這いつくばるような姿勢で店内に入ること、
A同じく大庄屋や庄屋などの村役人宅に用事があるときも、門外で履き物を脱ぎ、
土下座をして待ちかまえ用件を済ませること、という行動要請であった。
Aについては、これより以前(おそらくは安永7年〔1778〕の直後)にも藩から指示されていたようで、
そのときにはAとあわせて、B村役人と道で出くわしたら、
やはり履き物を脱ぎ「手を拱き平伏」(土下座)するよう命じられたという。
皮多に対し、相当屈辱的な行動が強要されたわけである。 >>605
えた身分が長吏(下級公務員の長)とも言われてたのはその名残だろうな
ケガレを清める職だから公務員的な性格が多分にあるし
矢野(浅草)弾左衛門も幕府は穢多頭と呼んでいたが
本人は正式には長吏頭だと名乗っていたそうだ >>613
>国家公務員だが官舎に住み世襲みたいに
それは江戸や明治時代ではなく昭和に入ってからの事でしょ >>615
江戸時代にはそういう屈辱的な農民の要求が結構あったそうだな
獣同然だから履物を履くななんていう酷い農民の要求もあったそうだ
地域によっては逆に差別がゆるくなって幕府がわざわざ被差別民と平民との結婚を
禁止したりしてた場合もあったそうだ
特にヒニン身分の歌舞伎役者は人気により差別がほぼ消えてたりして
武士がそのことを嘆く日記を書いていたりしてる >>615
ああ、その昔から問題行動が多かったってことだな
日頃の行いに対する懲罰みたいなもんか
刺青入浴禁止とか暴力団関係者の入店お断りみたいな
それが上下身分・主従関係を示すものではないな >>612
現代に置き換えると
Bというより暴力団だから
犬食べてたし >>621
正しくはそう表現すべきかもな
でも元々はエタヒニン身分と同じ被差別民だったことは確かだ
サムライという言葉が差別語由来だそうだし
(人に雇われて暗殺や代理戦争などの仕事をする穢れた下人(召使い)というような意味だったと聞いた) >>615
まあ、そうゆうこともありえることじゃないの
日頃奴隷的境遇だった農民や下級武士が
それとは違いヒエラルキー外にあり自由な存在であったエタを疎ましく思うことが
ヨーロッパにおけるロマがそうであったように なんだかんだいっても
差別なんかよりも共同体社会の一員・仲間として受け入れられたヒエラルキーの方がキツいと思うがな
地位や身分はあるものの共同体の柵・ヒエラルキー故に上から全ての罪を背負い込まれるキャリア官僚佐川なんか相当キツいと思うが 在日朝鮮人を在日と呼ぶせいで他国の在日外国人が迷惑してるみたいな話だな トウホグ自体が蝦夷≒エタヒニンだったんだよ
蝦夷というのは関東以北に住む土人のことを指したが
東北にも段々と中央政府の勢力が及んでいって蝦夷は北へと逃げたり殺されたり取り込まれて
蝦夷=北海道の原住民を指すようになった 被差別部落でそういう意味だったのが部落って単語だけでそっちのイメージになっちゃったんだよな 被差別っていえばいいんだよな
部落って訳すから関係ない俺たちの言葉刈りになってもうた まず切り分けたいんだけど
エタ=身分的又は職業的に虐げられた歴人々。
ヒニン=犯罪者。
と言う認識でいいの? >>604
江戸時代に警察業務に携わってた被差別民が
維新後に邏卒に移行した例はあったようだよ
具体的な士族との比率とか詳しいことは分かってないけど
>>616
>えた身分が長吏(下級公務員の長)とも言われてたのはその名残だろうな
これ俺は異論あり
エタを長吏と呼ぶのは関東だけ
近世の大阪とか奈良では非人頭の呼称なんだよ
元々は中世非人の頭に対して長吏と呼んでいた
中世非人ってのは、コアの部分にライ者を含んでいた
その管理者のことを長吏と呼んでいたわけだ
近世にエタを長吏と呼んでいた地域では
エタの配下にライ者がいて、エタは皮剥ぎの権利を持っているだけで
実際の作業はライ者にやらせていたことが分かっている
逆に畿内などではエタとライ者の関係は確認できない
それと、関東で長吏が本拠地にしていた地域は
中世には他の雑多な被差別民、例えば鉦叩きとか
梓巫女とかが集住していた例が多くあり
いわゆる非人宿みたいな地域だったらしい
こういうことからすると、関東のエタ(長吏)は畿内の
中世非人頭としての長吏とほぼ同一の存在なんじゃないかと思う
つまり、関東には畿内のエタみたいな皮剥ぎ専門の集団が
元々はいなかったんじゃないかという気がする ちょとっと訂正というか付け足し
エタを長吏と呼んでた地域では
ライ者だけでなく、近世非人もエタの配下
番非人の派遣もエタを通じてやってたし
皮剥ぎもライ者だけでなく、非人も小銭もらって
やってた
畿内では、エタと非人は上下なく
別個独立の関係だった
同じエタでも地域によって、成立過程が
丸っきり違うんじゃないかと思う 奉行所から与えられた排他的権利が違うだけで穢多頭も非人頭もほぼ同じ。
創業当時の末端の労働者は犯罪者とか病人、野非人とかだったけど奉行所の手から離れて一本立ちすると立派な職業になる。 あのー・・・俺の父親は実家の場所(秋田県)を普通に○○部落と呼称している
しかし、何度か遊びに行ったが、山に囲まれた田んぼの中の農村だぞ
そこでは、普通に「部落」という言葉が差別用語でもなく使われていた
ちなみに、米と大豆と野菜を作っている農家です
革作業は行われいません
思うに、東日本、特に東北では部落差別とかなかったじゃんないのか わざわざ汚れ仕事専用の階層まで作るくらい穢れが嫌いな民族性の国が、
安倍総理が言うところの「普通の国」になれるわけが無いじゃん、と思うが
ネトウヨはそのあたりどうよ?
中国は言うに及ばず英米なんかその手はもう血塗れで穢れまくりだぞ? 同和だか部落だかしらんが
いまだにそんなもんでいざこざ起きてる地域が異常なんだよ
さっさと滅びちまえ >>612
武士の躍進の始まりは
罪や殺しのケガレに触れる検非違使を
武装農民にやらせたことからだからな。
麻呂はケガレは嫌いじゃ。 昔ならともかくこの現代社会で
猟師だの革職人だの屠場で働く人が差別されるとかアホかと思うわな
レストランで美味しくお肉食ってピッカピカの一年生にカラフルなランドセル背負わせて
それらを供給する人間はエタヒニンだってどこの未開の部族だよ 部落というのは、昭和50年代以前は
普通に集落を表す言葉で使われていた。
それが大きく変化したのはこの20年程度だと思う。
ただし「部落民」という言葉はそれとは別の使われ方
をされていた。 >>1は買う価値あるかね?
近年いいのでてないから買ってもいいのかね?
ちなみにこれはどこで買えるの?
本屋やアマゾンでも? >>630
もし警察官が居た、だとしたら一般庶民との主従関係が逆転する事になるわな
その事からもエタが階級とか身分ではなかったことが伺える
世界で見ると軍務や警察業務を異民族が請け負う場合も多かったし
(傭兵 スイス歩兵 匈奴 俘囚・隼人司 アスト・キプチャク親衛隊 コサック イエニチェリ マサイ族他)
エタも身分とか階級ではなく日本における異民族の一つという事になるな 東北はマタギが一つの仕事だったろうし
さらにマタギ自体が農家の副業や食料獲得手段の一つだった。
取ってきた獲物の皮が自分たちの衣服他に普通に使われて
きたんだとおもうよ。 東と西(近畿)での同和問題の大きな違いは、
東では1960年代以降は同和問題を教育であえて取り上げる
こともほとんどないに等しくなった。70年代以降はまるきりない。
あえて前面に出すことをしないことで、新たな年代はその地域の
存在や違いすら自覚することがなくなったが、
大阪や京都などでは、教育として残してきたことで、ずっと
それが現存する形で問題にされ続けてきた。
2000年ころに、大阪で同和教育していると聞いて
おどろいたの覚えてるよ。
これは教育現場がそうしたいというより、そういう運動をする
外部の人達からの影響が大きいんだと思う。 面白いな
絶対に無くしたくないものなんだろうな
意地でも掘り起こしてきて無理にでも部落を作りたいのがヒシヒシと伝わってくる 消防士が活躍したいために放火するみたいなもんだなw 近畿地方の場合
現在、部落と称しているが
実態は様々で芸能であったり
皮革関連であったり特別な権利を
独占したりしている
農工商以外の被支配階級民
独占やら特別扱いやらアンタッチャブル
やら今と似通った状況の存在
素養があった
また姻戚関係でネットワークが
広域で非常に密接であったため
結びつきの強い集団となっている
長く飢饉に見舞われ貧しかった
東北にはそう言う独占権やら
専業などという余裕のある部分は
なくこういう集団は発生しなかった 孤独であることが最大の自由であって心の解放であるのに
何なんだろうなあいつ等の同調圧力、同族意識は ファシズムかよってぐらい >>61
糾弾ってよく分からなかったが。非常にわかりやすいw
めんどくさい人達だなぁ >>629
全くよくない
エタとヒニンは地域によって役割や他の被差別民との関係が違うことが多い
関西と関東ではエタとヒニンの関係が大きく違う
本場の関西ではエタとヒニンはそれぞれ独立した関係だが関東ではヒニンはエタの手下となっている
関東では犯罪者がヒニン身分に落とされることもあったが
極貧村が自らヒニン頭に願い出てヒニン身分になりヒニンの仕事も受けて食いつなぎ、ヒニンになる場合もあった
犯罪者が入ってる場合もあったからヒニン=犯罪者という理屈なら
サムライ=犯罪者という理屈も成り立ってしまう
武士も、その成立過程で盗賊や暗殺集団やその他の犯罪者なども多く流入してる >>629
エタ=何かしらの理由で差別されるに至った日本における一民族集団
非人=獄卒など元罪人囚人がやる職業的性質・それを生業とした人々 足を洗うという言葉が示すように一般庶民に戻る事ができた ふむ、なかなか面白いスレだ
2chも捨てたものではないな
ってか何で、こういう系の話にやたら詳しいんだ??
日常ではまず出てこない類いの話(少なくとも東京では)だけど ダウンタウンの豆みたいなのが日常行われてたから、部落民は嫌われるんだよな。
同和立法が切れて、なんか必死に人権擁護法通そうとしてる。
自民も民主時代でも廃案になってる物の何度も保護法を通そうとしてる
人権ばかり言ってる共産党でも、
部落民の過剰保護や特権を公的に支援するのは、
暴力や恫喝を含む糾弾を助長すると反対の立場なんだよね
>>652
勝てば官軍で敗走して隠れ住んでる奴もエタ認定されてると思ったけどね。
>>653
戻る事が出来るっても、よほどコネがあるか能力が無いなら
一般人として生活するのは難しかったけどね
良くても寺男か火消しくらいだっただろうし >>655
戻るのも容易だったんだろう
江戸時代の町人って定職持ってる人のほうが少なかったらしいし
非人にはなりえない存在だが下級武士や浪人なんか定職があったのかどうやら >>652
西日本と東日本は違うとか意味不明だし、
某団体の受け売りで思考回路ゼロですな。
エタ頭とヒニン頭は独立的、縦割りだったが故に後ろ盾ての管轄争いが起きて東日本ではお奉行の判断によりヒニン頭の受け持つ業務がエタ頭の傘下に編入されただけで西も東もない。
今でも納税の義務あるよ。脱税は犯罪者、経済的破産者は一定の制約を受ける。当時は経済的破綻者も非人身分になる。年貢が納められなくて村の戸籍を失えばのほぼ非人の村八分か野非人。
当時の身分階級上位の武士や神職、僧侶は平人より厳しい法で縛られてた。代表的なものは
神職や僧侶の婚姻禁止。
怪童の受け売りは失笑。
帰化人を含む日本国籍である日本人の為の組織なら支援するけど違うよね?
最終的な目標は在日参政権でしょ。そりゃ、呆れる。 もういっその事言うけど、今の時代にそんなどうでもいい事でコチャコチャ罵りあってるお前らこそシナチョンと何らかわりない癌細胞だよ >>653
ヒニンが一般庶民に戻るには一般庶民の親族の申し出がないとダメだそうだ
今で言う身元引受人が必要ということなんだろう
だから、犯罪でヒニン身分に落とされたのではなく、もともとのヒニンは簡単には一般庶民になれない
ただ、エタ身分の医師(エタ医と呼ばれてた)が村にとって非常に便利だからという理由で村の願い出が幕府に出され
平民身分への引き上げが検討されたがエタ頭の浅草弾左衛門がエタ小頭やヒニン頭と協議した結果
ヒニンの身分引き上げは出来るがエタは出来ないしきたりになっているので反対だと諮問した幕府に答申してエタ医の身分引き上げはなしとなった
よって、その医師がエタ身分ではなくヒニン身分だったら平民身分への引き上げはあった可能性がある >>655
そういう出自のエタもいただろうね
平家の落ち武者伝説のある被差別部落もあるし
>>657
解同じゃなく学者の受け売り
解同がそんなこと言ってるのは聞いたことないね
解同の主張は終始一貫、実質的には自分たちは不当な差別で損してきたのだから優遇しろだろ
解同にとって都合が悪いからしらんが、レッテル張って誤魔化してもしょうがないぞ
すでに被差別部落の実態の研究は進んでいるし本も出てる
これからさらに新事実なども出てくるだろう >>659
>一般庶民の親族の申し出
そうだったとしても、及びだったとしたら
超縁故主義のユダヤ人や中国人でなくとも
「親族」これよりも絶対的な味方は無い
だから割と容易だったって事じゃん >>661
割と容易だった可能性が高いと思う
但し、犯罪の罰としてヒニンになった人たちについては
もちろん、罰だからヒニンとなっている年数も関係あるだろうな >>661
それはどうかな?
元々のヒニンは養子縁組みたいな事しないとだめだったはずだし
ヒニンになるような奴は縁切りされてたのが殆どだった。
まともな職業では、元ヒニンを使う所は多くはなったから
サンカになったり汚わい屋や雲助など過酷な労働が多かった
だから、一般的な平民とはかけ離れた生活してたと思うよ
額に犬って書かれる時代では商人は無理だっただろうし
ヒニンの親族を出さない為に
親戚の子供を預かったりすることも多々あったみたいだし 四国のは憑き物筋とかのタカリ屋というか、霊感商法みたいなのが多いんじゃ無いの? >>660
本当に思考回路ゼロ。
当時は怪童の意に反する事は糾弾対象。
学者が糾弾覚悟でたいした金にならない学説を唱えると思う子?
学者はそんなに純粋じゃない原発村の御用学者のように計算高く腹黒いよ。 >>664
やたら人権運動してるイメージはあるよ
徳島や香川は水が無くて土地も痩せてたる貧乏地帯だったから
藍とか楮を育てたりするのが多かったみたいだね。
年貢不払い系のエタヒニン認定だったんだろうか?
高知は技術者朝鮮人を大量に住まわせた事で、なんか差別されてるイメージがあるわ
愛媛は落ち人部落が滅茶苦茶多い感じがある。 >>666
歴史的資料を精査して一次資料を元に被差別部落の実態を研究・発表するのを
解放同盟は何を理由に糾弾するの?
実は被差別民は経済的には豊かでしたとか言われると被差別利権が侵害されると
糾弾するわけにもいかんだろう
被差別部落は歴史的に一定の役割を果たしてきた仲間だし
サムライだって元は同じく被差別身分だったしで、もう
そろそろ正しい知識を持って差別が無意味なことを知ろうと言いたいだけ
「思考回路ゼロ」とかレッテル張りしてないで君の考える被差別部落の実態を語ったらどうだ >>663
今も昔も風俗街取り仕切ってるから、ずっとヤのつく職業の事かと思ってた。 >実は被差別民は経済的には豊かでしたとか言われると被差別利権が侵害されると
糾弾するわけにもいかんだろう
私は実際、
「被差別部落はそれなりに裕福な所も職業もあった」
と言うと
部落民(なぜか朝鮮系も大量に混じってる)に囲まれて糾弾された事があるんだけど? >>668
差別が無いより主従関係が無い方が楽だし自由だし良いだろ
下手に安倍友・忖度民とかなるとたまったもんじゃないんだし
人によっては・考えようによっては
兵役不可、奴隷労働の採用不可で差別されるのも幸せな事だし
異民族が如く
日本人或いは日本社会のヒエラルキーからは無関係な独立した存在であったという事で良いのでは
調べてみると実際そうだった様なんだし >>670
それ、解放同盟による正式な糾弾じゃないじゃん
さすがに研究してる学者を正式な糾弾会に呼び出してそのことで
糾弾した例はないでしょ
末端の解放同盟員が暴走するのはよくあることらしいけど
朝鮮系が大量に混じってたとすると解放同盟員じゃなく似非同和団体じゃないの?
昔と違って今は解放同盟も簡単には糾弾会を開けないらしいよ
俺が参考にしてるのは最近の学者の研究
さすがに君の言う通り2,30年以上前なら解放同盟に憚って研究発表などしにくかったろうけど
そのせいで被差別部落の実態の解明はやっと始まったばかり
これから新事実が多数出てくれば、さらに被差別部落の認識が変わっていくだろう >>671
まあ、そうだね、そういう考え方は十分成り立つと思う
被差別部落はアジール(逃避地)的要素も多分に含んでいたようだし
(但し、江戸幕府は浅草弾左衛門の被差別民支配にたびたび介入してきたようだが)
差別による農民からの言いがかりなど大変なこともあったそうだが
ヒエラルキーから独立した存在という利点もあったし、経済的には農民より上だったようだし
必ずしも悪いことばかりではなかったとは俺も思うね >>672
そう似非同和団体
正式じゃないっていうか、
部落系と朝鮮部落の混在チンピラ集団。
「こんな事していいの?君らの名前しらべて水平社に問い合わせるぞ」
って言うと「生きていけると思うなよ」的ななんか捨て台詞はいて居なくなったよ
>>673
あったけど、中央の人間は”貧しい地域認定”してたから、平民の怒りや不満の矛先を強く向ける人必要がなかったし
決まりはあるものの、皮革職人も少なく住民は率先して従いもしなかったから現在は無い物になってる。 >>654
日本の歴史が好きで趣味でいろいろ調べてると
どうしても被差別部落の謎にぶち当たる
そこで学者の書いた最新研究の本を買って読んだりしてる 要は
一般の人が何で部落に忖度せなアカンねんって話
人の好き嫌いや陰口や差別はどんな社会、どんな人間関係においてもつき物
誰もが経験するそんなことぐらいでいちいち糾弾すんな
被差別部落だけ特別扱いするのは不公平 >>676
怖いなそれ、しかし、上手い追っ払い方だな
ありがたく参考にさせてもらうわ 昔あったのは、糾弾って言うか吊るしあげと恐喝だよ
今もその恐怖を使って金儲けや優遇しろと言ってる奴が多々いるが
恫喝したらyoutubeで晒されるから、金儲けできなくなってるし
ごく少数だと思う 小学生の時、ホテル聚楽のCMの真似で「部落よ♪」ってやったら先生にビンタで吹っ飛ばされた。 子消しの意味もまともにしみたいだから
情報統制が徹底してるんだろうな、とは思う
南京大虐殺とか従軍慰安婦みたいに
地元の人達はそれが正しいと信じてそう 小学校の時に人権とか言う授業で部落の女の人が結婚出来なくて死んだとかそういう本読まされた記憶がある 解放同盟がなかったらとっくに風化してたろうな
差別がなくなるとおいしい思い出来なくなっちゃうからな
真面目な部落民の敵は解放同盟 >>683
その人は東大阪市の市議会議員で、たいした大物じゃない
松嶋晃
松嶋 晃(まつしま あきら、1965年10月2日 - )は日本の政治家、部落解放運動家。東大阪市市議会議員、
部落解放同盟執行委員。まつしま晃とも表記する。
経歴
大阪府東大阪市長瀬町に生まれ育つ。1994年、東大阪市議会議員選挙で初当選し、2006年現在、3期目を務める。
2002年9月、第38代東大阪市議会副議長に就任。
部落解放同盟大阪府連合会蛇草支部特別執行委員、東大阪食肉連合会顧問、東大阪市人権長瀬地域協議会相談役。
タレントの松嶋尚美は従妹。
リベラル東大阪のウェブサイトより 「いとこのオセロ松嶋尚美ちゃんと」(web archive)
http://web.archive.org/web/20080620023603/http://www.slnet.gr.jp/liberal/a-matsu/index.htm >>680
日本人の敵、竹中平蔵さんを忘れてもらっては困ります。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています