<無知の知 「てんかん」という現実>第1章 車社会とのはざまで(1) 「なぜ事故」消えぬ自責
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180212-00010000-at_sc-l22
発作による重大交通事故の発生を契機に社会から厳しい目を向けられているてんかん。
被害者や遺族の心情に理解を示した上で、専門医らは臆測で危険性が強調される風潮に警鐘を鳴らす。
車社会が浸透した現在、私たちはこの疾患とどう向き合い、悲惨な事故の再発防止策を講じるべきか。静岡県内で発生した一つの事故を中心に取材した。
信じられない光景が広がっていた。割れたガラス片。車に突き破られ、粉々になった建物の壁。人のうめき声も聞こえる。「本当に俺がやってしまったのか」。男性はその場にぼうぜんと立ちすくむしかなかった。
傍らでは、すさまじい衝突音に駆け付けた近所の医師が、ぐったりと倒れた女性に必死に心肺蘇生を繰り返していた。だが意識は戻らない。われに返った男性は、自身が起こした事故の重大さに気付いた。「何とか助かって。どうか、どうか…」。悲鳴に似た願いは届かなかった。
2016年2月2日。元警備員の男性(66)=焼津市=は藤枝市で乗用車を運転中、猛スピードで薬局に突っ込み、従業員の女性1人が死亡、3人に重軽傷を負わせたとして、自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで現行犯逮捕された。
仕事帰りの慣れた道。薬局前の丁字路も、いつものように右折するはずだった。しかし、ブレーキを踏んでいるはずなのに、車は加速するばかりだった。ハンドルも効かない。「あれ、あれ?」。なすすべなく、車は薬局に突っ込んだ。何が起きたのか理解できなかった。
事故後、半年近くに及んだ鑑定留置で、男性は意外な病名を告げられた。「てんかん」。事故の2年前にくも膜下出血で倒れたことはあった。だが、てんかんとは病院でも聞いていない。「夫がおかしいと感じたことはなかった」。男性の妻(64)もいぶかしがった。
静岡地検は17年4月、事故はてんかん発作ではなく、自ら制御できない動きを生じさせる神経症状「ジスキネジア」によって引き起こされたと断定し、男性を不起訴処分にした。
ジスキネジアは、患者本人が自覚していないケースが多く、発症を抑える特効薬もないとされる。重大事故だからこそ、地検は慎重な捜査を重ね、男性の刑事責任を問えないと判断した。
ただ、この処分は根拠なき糾弾を生んだ。全国各地で当時、相次いでいたてんかん患者による事故。
今回もてんかん発作が原因に違いないとの見解が独り歩きしていた。インターネット上でも心ない書き込みがあった。「不起訴はないだろ」「また、てんかん患者か」
事故から2年。男性は不起訴処分後に脳梗塞も患った。ハンドルは握っていない。
事故直前に自身の身に起きた症状もてんかんだったのか、本当にジスキネジアだったのか、真相は今も分からない。ただ、他人の命を奪ってしまった事実が消えることはない。自分を責め続ける日々。
脳梗塞の後遺症で不自由になった手で、男性は被害者への謝罪文を書き続けている。
<メモ>無知の知 真理の追究は無知を認めることから始まるという、自身もてんかんの持病を抱えていたとされる古代ギリシャ哲学の祖・ソクラテスの言葉