東京新聞社会部記者の望月衣塑子と、自由党の参議院議員・森ゆうこがは初対談。
ジャーナリズムと野党の存在意義を問い直す。

森 菅さんが嫌な顔すると、記者クラブのほかの記者たちは難しい顔しない?
望月 いつもにらんでくるテレビ局の記者が一時期いました。どことは言いませんけど。
    その局は、加計学園の騒動が起こったときに、「第二の森友問題になりそうだから加計やります」と
    ある記者が潜入取材をしようとしたら、政治部が「そんなことやったらまた政治部の仕事が危なくなるから
    手を突っ込むな」って横やりを入れてきたそうです。それってジャーナリズムとしておかしいですよね。

森   政治部というのは、ジャーナリズムができないのかな。
望月 いまの記者クラブ制度では、なかなか難しいのかなと思います。権力に引き寄せられてしまうというか。

森  政治部のルールを知っちゃったら、権力監視ができないのかしら?
望月 いまの著名なジャーナリストの大半は、官邸とのパイプの太さを競っている感じですよね。
    情報力としては、権力者とつながっていたほうが政治部としてもいいはずなんです。
    でも、筑紫さんは政治と一体化したらいけないのだと肝に銘じていたんですね。そういうことってなかなかできないですよね。

森  それはすごいね。権力とメディアは一定の緊張感が絶対に必要。たとえ、親友同士だとしても、
    距離感をもって対峙しないと国民が不幸になってしまいますよ。
望月 いまの政治部はとにかく政治家に気に入られようと、伝書鳩のような役割になってしまっていると感じます。
    もし政治部記者なら、政治家ときっちり対峙して、おかしいことはおかしいと言えないといけない。
    それができないから、菅さんが官房長官会見で「問題ない」と言ったら、記事も「問題ない」となるし、
    質問も続いていかないんです。会見では菅さんのその一言で静かになってしまいますから。
    菅さん自身、政治部の記者はこの程度だと見くびっている面もあるのではと思えてしまう。

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