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静かに暮らす権利はありません

2017年12月25日 21:15

園児が遊ぶ声「うるさい」 訴えた男性、敗訴確定

 「園庭で遊んでいる園児の声がうるさい」として、神戸市の男性が近隣の保育園を相手取り、慰謝料100万円と防音設備の設置を求めた訴訟の上告審で、男性の敗訴が確定した。
最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)が19日付の決定で、男性の上告を退けた。

 一、二審判決によると、保育園(定員約120人)は2006年4月、神戸市東灘区の住宅街に開園。高さ約3メートルの防音壁が設けられたが、
約10メートル離れた場所で暮らす男性は「園児の声や太鼓、スピーカーの音などの騒音で、平穏な生活が送れなくなった」と提訴した。

 今年2月の一審・神戸地裁判決は、園周辺の騒音を測定した結果、園児が園庭で遊んでいる時間帯は国の環境基準を上回ったが、昼間の平均では下回ったとして、
「耐えられる限度を超えた騒音とは認められない」と結論づけた。

 7月の二審・大阪高裁判決は、園児が遊ぶ声は「一般に不規則かつ大幅に変動し、衝撃性が高いうえに高音だが、不愉快と感じる人もいれば、健全な発育を感じてほほえましいと言う人もいる」と指摘。
公共性の高い施設の騒音は、反社会性が低いと判断し、一審判決を支持した。(岡本玄)

 何とも非道な判決が出たものです。まぁ、人権意識の希薄な裁判官なんて珍しくもありません。裁く側の思想信条次第で結果が左右されるのは今になって始まったことではないのでしょう。
元より、我々の社会において騒音問題は自力救済が鉄則です。静かに暮らす権利を現行憲法は保障してくれませんし、最高裁もその権利の無効をここに判例法として確定させたわけです。
静かに暮らす権利は、住民自身の不断の努力によって、これを保持しなければならないと言えます。

 今回の判決によって「公共性」を口実とした人権の制約が公的に認められたことは、今後に何をもたらすでしょうか。例えば米軍/自衛隊基地なり風力発電施設なり騒音源は色々とあります。
これらはいずれも、「公共性」があることになっています(私は幾分か疑問ですけれど)。そして近隣住民との間で少なからぬトラブルもあるのですが、
「公共性の高い施設の騒音は、反社会性が低い」との理由で住民の訴えを退けることが正当であると、最高裁の判例として積み上げられたわけです。

 まぁ、沖縄の米軍基地を巡る問題と今回の訴訟を合わせて考えると、ある意味で一貫性はあるのかも知れません。軍事基地からの騒音も不愉快と感じる人もいれば、
反対に好感を抱く人は間違いなくいます。不快と感じる人がいたとしても、快く思う人もいるのなら騒音源への対策を取る必要はない、住民の訴えを退けても問題ないと、
そうした判断は一貫しており、これが保育園と原告男性に対しても適用されたと言えるでしょう。