富岡八幡宮斬殺 賽銭泥棒、ホスト、不敬事件…放蕩の裏側

東京都江東区の富岡八幡宮で惨劇が起きたのが、12月7日の夜8時半頃だった。

帰宅した宮司の富岡長子さん(享年58)に、弟で元宮司の富岡茂永容疑者(享年56)と、
妻の真里子容疑者(享年49)が日本刀で襲いかかった。茂永容疑者は長子さんを殺害、運転手も真里子容疑者に斬りつけられた。
そして、茂永容疑者は真里子容疑者を殺し、自らも自殺。
その後、9日に茂永容疑者が長子さんへの恨みを綴った手紙が関係先に届いた。

父である興永さんの後を継いで茂永容疑者は1995年に神社の代表者にあたる「宮司」に就任した。
しかし、金遣いや女性関係が派手だったこともあってか、怪文書をばらまかれ2001年に退任した。
そして、茂永容疑者の後任となった長子さんへ《今年中に決着をつける、覚悟しておけ。
積年の恨み、地獄へ送る》とのはがきを送り、2006年には脅迫罪で逮捕されている。

激しい憎悪で結ばれた一族は数奇な運命を歩んできた。そもそも、長子さんと茂永容疑者の祖父・盛彦氏は、
宮司を務めながら神社本庁の事務総長となり、戦後の神社界の発展に貢献した大物だった。

「その息子が興永さん。でも、実は興永さんは次男で、将来を嘱望された優秀なお兄さんがいたんです。
ただ、比較的若い頃に境内で自殺してしまった。そうして、宮司のイスが興永さんに回ってきたんです」(神社関係者)

興永さんと京都の神社の令嬢の間に生まれたのが、長子さんと茂永容疑者だった。

「興永さんは宮司の仕事にはあまり熱心ではなくて、むしろ神社のお金を骨董品の収集なんかに充てていたといいます。
本来なら許されることではありませんが、代々続く名家に生まれたことがそうさせてしまったのかもしれません」(前出・神社関係者)


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