在日ヤクザの柳川次郎が初代を率いた柳川組は山口組の直系組の1つで、2次団体でありながら、警察庁により全国広域5大暴力団の1つに指定され、昭和40年代、集中的な取り締まりを受けて解散した。

 倉本はその後、宅見組に拾われ、副組長に抜擢され、五代目山口組では若頭補佐の1人になった。

 織田は倉本の下で「織田興業」を結成し、倉本組の幹部へと昇進していった。が、1990年、山口組と波谷組が抗争した「山波抗争」が起きると、組員2人をして波谷組系平澤組幹部を銃撃させ、

事件の首謀者として逮捕、懲役12年の刑で徳島刑務所に服役、そこで山健組の井上邦雄組長と知り合うわけだ。

 織田は在日3世として典型的なヤクザの道をたどる。彼はギクシャクしている日韓関係をどう考えているのか。

 「自分も壁に突き当たったとき、自分は一体何者だと思いました。刑務所にいるとき、本を差し入れしてもらい、勉強したんです。と同時に、自分の記憶をたどって、じいさん、

ばあさん、両親のこと、時系列で合わせて考えていく。と、なるほどなと見えてきたものがあります。

 戦前の強制連行、密入国、慰安婦。ヘイトスピーチが今、拡散させてますが、あそこには嘘、ねつ造もあるし、過大にこう大きくして見せたりしてますけども、自分なりになんぼか調べました。

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