明治の民衆「新政府の役人が女色にふけっている。なんとかしてくれ」 目安箱への投書を発見 [無断転載禁止]©2ch.net
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明治新政府の目安箱、投書発見「役人が女色にふける」
明治新政府が全国に先駆けて京都に設置した目安箱に、住民らが投書した訴状の原本34通が京都市内で
見つかった。幕末の動乱で荒廃した街の復興や、物価高騰を案じる民衆の声がつづられている。この時期の
訴状が見つかるのは極めて珍しいという。
34通の訴状は、慶応4・明治元(1868)年を示す「戊辰(ぼしん)歳」、目安箱への訴えを指す「箱訴(はこそ)」の
文字が書かれた冊子にとじられていた。投書には同年6月〜12月の日付があった。「九冊之内」という記述があり、
9冊あったうちの1冊とみられる。明治新政府は徳川幕府にならい同年2月、全国初となる目安箱を京都の
三条大橋西詰めに設置。その後、東京や大阪にも広がった。
訴状の内容は、荒れた街の復興を求める声や、新政府の紙幣・太政官札(だじょうかんさつ)の発行に伴う
物価高騰への苦情、学校・住宅建設の要望、「京都府」という呼称が良くないので「平安府」にしてはどうかという
提案など多岐にわたる。「僧侶のぜいたくを制限せよ」という訴えや「新政府の役人たちが酒や女色にふけっている」
といった告発もあった。
古文書研究で知られる国際日本文化研究センターの磯田道史(みちふみ)・准教授(46)=日本史学=が
5月下旬、京都市内の古書店で見つけた。磯田准教授は「明治維新という革命直後の民衆の肉声が聞こえてくるようだ。
これまで明治維新は志士や政治家の分析が目立ち、住民の視点からの研究が欠けていた面があった。
維新史の空白を埋める貴重な史料だ」と話している。(大村治郎)
http://www.asahi.com/articles/images/AS20170610000857_comm.jpg
役人の素行の悪さを告発する訴状=京都市中京区
http://www.asahi.com/articles/images/AS20170610000860_comm.jpg
物価高騰による窮状を訴える投書=京都市中京区
http://www.asahi.com/articles/images/AS20170610000863_comm.jpg
自ら見つけた目安箱の訴状を手にする磯田道史・国際日本文化研究センター准教授=京都市中京区
http://www.asahi.com/articles/ASK6952X7K69PLZB010.html 江戸時代じゃないんだから、禁欲なんかせんでええやろ これで金になったらたまらん仕事だな
うらやましいわ歴史学 俊輔(伊藤博文)のことかあぁあw?
英雄色を好む もんだよ 私生活をディスるのは野暮 ってもんだ そこいくと色情狂の天下り斡旋役人が反アベの聖人になる
平成ってすばらしいよな 平成の民衆「文科省の役人が女色にふけっている。なんとかしてくれ」 読売新聞の投書を発見 >「僧侶のぜいたくを制限せよ」という訴えや「新政府の役人たちが酒や女色にふけっている」といった告発も
今も昔も、か…
もういい加減、断ち切ろうぜ
宗教法人に課税して、腐敗汚職の役人や政治家などを死刑にするべき そもそも明治は一夫多妻制 だったからな
ちゃんと生活の面倒さえ見てさえいれば・・・・・・ 問題ないキリリ (裏山 宮武外骨も当時のタブロイド紙で
政治家や高官が妾だらけな状況をおちょっくていたな 昔から貧困調査をする聖人はいたのか
感動
貧困調査の火を絶やすな!みんなでできるところから貧困調査しよう! >>25
文科省に調査費請求すればいいの?
レポートとか提出する必要もないし 「僧侶のぜいたくを制限せよ」
「新政府の役人たちが酒や女色にふけっている」
今の時代の話だろこれ 自分の大叔父さんに当たる人も
戦後のドサクサで会社成功させたら妾囲ってたらしい
男ってそれしか考えてないんだな
「人生の3分の2 はいやらしいことを考えてきた」みうらじゅん 新しく立ち上げた新政府でさえこれかよ
長年続いた老害蔓延る現政府はもっと酷いのだろうな 女くらい好きに抱けばいい
詭弁を弄して重税を貸そうとしてる今の方が重症 明治天皇「女遊びが過ぎるのではないか」
伊藤博文「自分は堂々としているが、自分の事を非難する人間も陰で色々やっている。だから自分はこれからも好きにやっていく」
明治天皇「……」 男色は男同士を指すのに女色は女の子同士じゃないのか 磯田はあれだけ活躍してるのに教授すらなれないのかよ 当時、官職の妾囲いは社会福祉の一環だったんだけどね なぜこの時期に発見されたのか?
政府への忖度があったのではないだろうか? >>34
ところが、江戸期や明治期の日本の役人と、同時代の朝鮮や中国の役人、官僚なんかだと
ほとんど腐敗や汚職の類がないのが日本人だったそうだよ。
江戸期は教養の時代だから、中国の四書五経や儒学、朱子学などが支配階層である
武士たちの一般教養と、行動の規範になったが、儒学や朱子学などは要するに
「士(支配階層)は君主に忠義を尽くし、民に仁慈を施すべし」とか支配階層たるものは
どうすれば美しいかを説いているが、中国や朝鮮では「まあそうは書いてあるけど、それはそれでほどほどに」
とされるのが実情だったが、日本の武士の場合、それら儒学や朱子学を真に受けちゃったから
クソ真面目になって腐敗が進まなかったというよ。今で言うなら日本で発行された
「一般常識テキスト」みたいな本が、アフリカかどっかの国に渡って、その国の人間たちが
「そうか、この本の通りにしなければいけないかあ!」と国中で実践しちゃったようなもんだよ 明治は役人だけじゃなくて全体的にはっちゃけてた気がする >>48
大久保は清貧の鑑みたいな人だった
のは知ってるけど
西郷や江藤らがぶちギレた
井上聞多率いる長州閥の皆さんは? >>10
重婚禁止の法律作ろうとしたが政府の元老がそもそも愛人囲いすぎててそいつら死ぬまで作れなかった話すこ 薩長土肥に倫理観を求める方が間違っている
連中は私利私欲にまみれた逆賊なんだから
大阪人や朝鮮人に犬を食べるのをやめろと言うくらい無理な話し テロ等準備罪法案の審議については、資金洗浄対策に特化する為に、継続審議に出来ないか。 長州人は今のIS以上の残虐集団で、会津攻撃で、会津の男は殺した上、チンコを切断して口に放り込み、女は8歳以上は全員集団レイプ。
会津が今でも山口県人を許さないのはこういう歴史があるから。
明治新政府の山口県人が女に目が無いなんて当たり前のこと。
徳川の役人が引き続き官僚職を受けていなかったら、明治政府はアフリカ並みの腐敗組織になっていただろう。 >>51
西郷は重農主義の人だから、井上のような商人と密着するタイプの男を
「三井の番頭さん」と呼んで蔑んでいたようだけど、例えば、井上馨というのは
公私のカネの見境がなかったようで、公的のカネを私的にも使うが、公のカネがなければ
私のカネも惜しみなく蕩尽するタイプだったそうだよ。
もちろん、新政府の小役人などに、小銭の蓄財に走る人間もいたが、さすがに
重臣になると、井上のようなのが多かったみたいだよ。 現在とほとんど一緒だな。役人の不正行為なんかは幹部以上の話だろうけど、僧侶っつうか坊主と殴りあいのケンカした俺からしたら坊主なんぞ所詮は修行など形だけの俗ものだと思うわ。
社長会なんか行くと腐った年寄り坊主も良く見かけるわ。 俺も17歳の嫁をもらうために嫁の実家にはるばる行ったら、その兄貴が酒に女に悪魔の好みそうなあらゆるもので連日宴会してくれたから、すっかり地元に帰る気がなくなったことがある ただ、明治期は時代の変動期で身分の没落やら急上昇があったみたいで
俺の曾祖父さんは幕末の生まれで大正に死んでいるが、千葉の貧農の次男坊で
なんの動機があったのか、明治初期に東京に出て、商売を始めたが、それが当たって
一財産を築いて、当時没落していた元旗本だか、旧大名家につながるだかのお姫様を
嫁にしたという。要するに明治期は貧農の出といえども努力と運があれば、
江戸期なら顔を見ることさえできなかった旧武家貴族のお姫様を得ることさえできた時代だったようだよ。 >>10
女遊びが酷すぎて、明治天皇直々にお叱りを受けた位だしな ┌──────┐
│貧困調査だぞ│
└∩───∩─┘
ヽ(`・ω・)ノ 総理官邸も伊東博文が女遊びで破産してホームレス総理大臣になったから流石に家無し総理とかあり得ないってことで建てられたからな これが西南戦争のほんとの原因だと聞いた
西郷があいつらに任せてたんじゃしょーがないとか >>77
西郷の場合は、後の毛沢東に似ているんだよ。どちらも軍事の天才だが
政治能力は低い。西郷は明治維新後に征韓論に敗れて軍の実権を失った上で故郷に隠棲。
対日本戦、対国民党戦を勝利した毛沢東も「大躍進政策」や諸々の政策の大失敗により失脚。
要するに「政府軍」の指揮権をうしなったあと私兵(西郷は私学校の連中、毛沢東は紅衛兵)
を集めてそれを後ろ盾にクーデターを起こすという。西郷は九州から出る事なく敗れたが
もし、政府軍を破って東京を占領して「西郷政府」を樹立した場合、大久保ら明治政府の重臣たちは
斬刑にあうか、追放にあっただろうし、西郷政府が日本を近代化できたとは思えないから
文化大革命のような大混乱を引き起こしただろうね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています