80年5月光州事件時
1980年5月、韓国南西部の光州市で起きた民衆デモとこれを鎮圧しようとした軍の衝突で多数の犠牲者を出した光州事件の際、北朝鮮の金正日氏が「特攻隊」という名称の特殊工作隊を同市に潜入させクーデターを起こすよう命令を下していたことが分かった。
「特攻隊」は業務処理上の行き違いですでに解散されていたため実行されなかったが、改めて編成し韓国に送り込む機会をうかがっていたという。
当時、朝鮮労働党の工作部署にいた関係者が21日、本紙に明らかにした。(編集委員・上田勇実)
クーデター画策、解散直後で実行されず
「特攻隊」は74年に金日成主席の後継者に「推戴」された金正日氏が対韓国部署を統括したことを契機に編成された。
党作戦部に所属する金星政治軍事大学(現、金正日政治軍事大学)から約150人が選抜され、平安南道陽徳郡で約1年間特殊訓練を受けた後、海外沿いに位置する海州、南浦、元山、清津などにある連絡所に分散して配属され、命令が下るのを待っていたという。
金正日氏は光州事件の混乱に乗じ「特攻隊」に韓国潜入を命じ、韓国社会に暴動を引き起こしてクーデターを画策しようとしたが、管理・運営上の問題などを理由にすでに「特攻隊」が解散された後だったため、実行に移されないまま終わった。
ただ、金正日氏は82年ごろ、「特攻隊」の代わりに対韓国政策を統括する党の統一戦線部の傘下に新たに「武装宣伝扇動隊」を編成させ、要員養成のため金星政治軍事大学に別途50人を入学させた。同隊は約5年間活動を続けたという。
北朝鮮は当時、韓国潜入で「目的達成のためなら100人送り込んで10人生き残れればいいくらいの覚悟」(同関係者)だったようだ。
韓国では長年、光州事件をめぐり北朝鮮関与説が出回ってきたが、未確認情報として現在に至っている。
金正日氏の韓国潜入命令は事件介入まで至らなかったものの、北朝鮮が実際に周到な準備の上、介入直前まで事態が進行していたことを裏付けるものだ。
http://vpoint.jp/world/korea/88322.html
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