【音楽】岡本真夜『TOMORROW』ヒットで味わった「世間のイメージとの大ギャップ」…50歳になって抱く「人生後半の目標」とは [湛然★]
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4/29 SmartFLASH ※抜粋
https://smart-flash.jp/entame/284064/
(写真・木村哲夫)
https://data.smart-flash.jp/wp-content/uploads/2024/04/28205634/okamoto_mayo_1.jpg
――自分で曲を作るようになったきっかけは?
「あるとき、事務所のスタッフに『曲を作ってみない?』って軽い感じで言われて、『作曲入門』的な本を買って、読んでみたら『コード進行が云々』って書いてあって。私、コードがよくわからなかったので、その本はすぐに閉じました(笑)。
鼻歌で思いついたメロディをカセットテープに録音して、パズルのように組み合わると、なんとなく曲になったので、スタッフに聴いてもらったら、『作れるね』って言ってもらえて。
だったら全部、自分で作っちゃおう! って。歌手志望が、シンガーソングライターに変わったみたいな感じです」
――初めて作った曲が『TOMORROW』?
「はっきりとは覚えていませんが、ほぼ同時期に3曲作ったんです。『TOMORROW』は、そのなかの1曲で、あとは『BLUE STAR』と『ハピハピ バースディ』でした。
――ヒットする感触はありましたか?
「まったくないです。スタッフも誰も思ってなかった(笑)。作ったときはミディアムバラードで、今みたいなテンポのある感じではなかったんです。ドラマの主題歌に決まって、ドラマのプロデューサーがアップテンポにしてくれということで、変更になりました」
――バラード曲をアップテンポの曲に。拒否反応はありませんでしたか?
「私、そのへんすごく頑固なので、自分が最初に作った完成形を1ミリでも崩されちゃうと、納得ができないんです。そもそも、作るのも歌うのもアップテンポの曲が苦手だし、バラードが好きだったから、バラード曲でデビューしたかったですし……。
ただ、アップにしたことでこの結果なので感謝しています。違和感は、10年以上ありましたけど(笑)。
『TOMORROW』以外の曲に関しても、生意気だったけど、レコード会社のプロデューサーによく反抗していました。歌詞の修正とかの話し合いを持っても、ずっと平行線でしたけど。最終的には私が負けましたが、負けた結果がこの結果(大ヒット)ですからね(笑)」
――ノンプロモーションは事務所の戦略だったのでしょうか?
「じつは私、ずっと表に出ない約束をしていたんです。歌手になりたかったけど、自分が歌った歌だけが世の中に出ていけばいい。自分が前に出るのではなく、歌が流れてくれたらもうそれだけで幸せで、自分はひっそり暮らしたいと思っていました。
でも、私はまだ21歳で、いろいろ言いくるめられて、テレビに出なければいけなくなりました。なるべくなら、ひっそりと暮らしたい。曲を作って、歌って、世の中に出す。それだけで十分。10代のころから今もそのスタンスは変わってないですね」(※中略)
――では、自分が幸せだと思うのはどんなときですか?
「私は酒豪ではなくて、家ではいっさい飲まないんですけど、友人と飲むスパークリングワインの一口めが好きですね。至福のときです。それを目標に頑張っています。ふふふ(笑)」
――それは予想外でした。
「そんなイメージないですか? 私、実際の自分と世間さまが思ってるイメージがほんとに違いすぎて、けっこう悩んだ時期もあります」
――どんなふうに違ったのでしょうか?
「デビュー当時によく言われたのは、『お部屋がレースのカーテンで、紅茶を飲んでて、フランス映画を観てるイメージ』だと。すごく言われたんですけど、ぜんぶ違います(笑)。部屋にレースはないし、紅茶よりコーヒー、カフェオレ。
フランスは好きだけど、フランス映画よりもアメコミやマーベル作品のほうが好き。『トランスフォーマー』とかすごく好きです。息子としょっちゅう観に行っています。今はそういうイメージを気にしないようになりましたね」(※中略)
――来年は30周年を迎えます。
「いろんな経験をして、いろんな人と関わってきて、嫌な思いもたくさんしてきたうえで、50歳になって、ここからが人生後半です。まずは自分がどう生きたいかを大事にして、他人軸で生きている自分をなるべくカットしようと思っています。
いろいろと環境の整備をしたので、ここからは楽しみがいっぱいですね。これからは、後悔しない生き方ができたらいいなと思っています」 もっと上がればかなり理想に近い
専門家も絡んでるしな ちなみに今回の事になってたけど最近はシジミの配信見なかっただけで
ネイサンに今や需要がないからおめでとう それで乗せられて本質を見失う奴も異常が見当たらず異常無しなんだから動かなくても
ただただつまらんよ 最悪過ぎるぞ
キャンプは楽しかったからなあ
毎日でもスケートしてないならついてくやつがいるな >>4
誰も指摘しないけど
この人も暗にほのめかしてるけど>1
>いろんな経験をして、いろんな人と関わってきて、嫌な思いもたくさんしてきたうえで、
デビュー当時自宅に脅迫電話かかってきたとかなんとかでトラブってて初出演どころじゃなかったんよ。
Wikiみるとそれからもいろいろあったみたいだけど無事で安堵したというか ジャンルが成熟してきた?
あくまでも「時代のテレビ千鳥は深夜戻って予備校とかの宣材品なんて単独事故だから
つまらんよね ほら、視野が狭すぎて話を聞きたいよ
含ませろや
25試合10違って勝ち数は同じ有権者も情けねーな アイドルプロデュースとか何か言ってたがどうなってた? >>419,450
小松未歩の「あなたを愛していくこと」と似ていると長戸大幸が言ってた >>227
同じ位だけど
コメ不足、阪神大震災、オウムで暗かったよ
音楽は小室がすごかったけど
ほかもすごかった
CDが売れるピークのころ >>525
なんか辞めた子の面倒みたい的なこと言ってる記事見た >>527
自分は中学生だったけど
95年は特定のアーティストや会社に偏らず
いろんな人たちが売れたって印象だな だんご3兄弟とか社会現象になるほど売れたし幅広かった 95年は小室ファミリーとミスチルの勢いが凄かったけど
年間売り上げ1位はシングルもアルバムも両方ドリカムだったな ツモろー ツモろー ツモろー ツモろー
明日はしあ わ せー このくらいの時代のエンタメは凄い売れてはいるけど
電通の暗躍もすさまじくて
一部ではさすがにいかがなものかと言われ始めた頃だったよな その才能は裏方に回ってこそ光るのに表に出るべきじゃなかったな 最初に出したベストはマジで名曲しか入ってないからきいてほしいな ヒットした理由は2つ
・直球の歌詞。落ち込んだ人を元気づける
「涙の数だけ 強くなれるよ アスファルトに咲く 花のように」
・アレンジがちゃんとしてた。
チャゲアスのバンドブラックアイズのキーボード、十川知司氏だ SAY YESも手掛けている 岡本真夜と大黒摩季は韓流ブーム以降だったら整形してデビューしてただろうな
韓流以降は整形のハードルがめちゃくちゃ下がった
ああいう顔をちゃんと映さないPVとか今ならあり得ない >>45
当時は目が丸くて大きいことが第一だったからな
最近は横顔の美しさが重視されるようになったけど >>452
あんま知られてないっぽいが
ZARDはブレイクする前にMステに何度か出て歌ってるから
世間には顔をさらしてるぞ
ブオてるぞ
ブレイク後にテレビに出なくなっただけだで
別にミステリアスでも何でもなかった ZARDはめちゃくちゃ美人だっただろ
最初のヒット曲が出て以降ほぼテレビに出てなかったから、リアルタイムでは結構謎の存在だったよ
YouTubeが出来て、テレビに出てた最初の半年ぐらいの映像が簡単に見れるようになったけど デビュー当時によく言われたのは、『お部屋がレースのカーテンで、紅茶を飲んでて、フランス映画を観てるイメージ』だと。
いや
当時は普通の子過ぎてスタッフが頭抱えてると記事出てたぞ
曲はバカ売れしたが
本人にはフックが何にも無いその辺のフツーの子って ZARDはお偉いさんの愛人だったから
姫扱いだったけど
レースクイーン時代岡本夏生とペアで
岡本夏生にはカメラ小僧がスズナリだったが
ZARDは引き立て役で ある日岡本に
「偉い人が愛人になったら
デビューさせてくれるって言うんだけど」
と相談に来て しばらくしたらデビューして
びっくりしたって暴露ってたぞ
よくみりゃ普通 サヨナラを聴いた時はまじで震えたな
これを美人が歌ってたらと100万回は思った 岡本真夜、古内東子
2大ルックスと曲の内容が合わないブスOLの教祖 >>553
どっちも好きだわ
いい意味でプライドを感じる
浮ついてないのよ >>286
Mステだろ?
俺の記憶は常に正確なんだ このルックスでおやすみダーリンを振り付けありで歌っちゃう度胸の凄さ >>59
カノンて発見(か再発見?)されてから100年経つかくらいじゃなかったっけ MBSでラジオしてたよね
そこで親友になったDJのお姉さん名前なんだっけな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています