EARTHSHAKER 大阪のバハマで伊藤政則と運命的な出会い 3年後のレコードデビューにつながる
9/6(水) 17:00 夕刊フジ
https://news.yahoo.co.jp/articles/8162d5d4b3bf4cad4bb61b1f489f418e2dd49e28
ボーカルの西田昌史とギターの石原慎一郎(左)
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【EARTHSHAKER 走り抜けた日々の数だけ】

1980年、4人になったアースシェイカーにとって、運命の出会いが訪れた。

西田 僕らが演奏していた大阪心斎橋のライブハウス、バハマに、伊藤政則さんが来たんです。

石原 それも来日中だったGIRLのメンバーを引き連れて。本当に偶然だったんです。そこで伊藤さんに気に入ってもらえたことが、3年後のレコードデビューにつながっていきました。

イギリスで売り出し中だったグラム&ハードロックバンドのGIRLは1980年秋に来日。ちなみに前座は同年3月にデビューしたばかりのNOVELAだった。

西田 そのバハマでいきなり、フィル・コリン、フィリップ・ルイスと一緒に演奏したんです。こちらはアマチュアですから、驚き以外の何ものでもありません。そのあとコリンはデフ・レパードに入って、世界的なギタリストになるんですから。アイドル視もされていたルイスはガールの数年後にL.A.ガンズに加入し、2009年に来日したときには『アースシェイカーと演りたい』と言ってくれて共演できました。

石原 コリンとはのちのち、雑誌(『ロッキンf』)の対談で会うことができました。僕のことを覚えていてくれて、うれしかったですね。

80年に伊藤政則と知り合い、83年にデビューするまでの間、ジャパニーズ・ヘヴィメタルは徐々に熟成していった。

西田 デビューに合わせていくかのようにジャパメタのムーヴメントがわき起こってきました。アマチュアながら、大阪の郵便貯金ホールで演ったこともあります。82年の7月には、『ジャパン・ヘヴィ・メタル・フェスティバル』(大田区体育館)に出演。Y&Tが来日して、日本からはラウドネス、ピンク・クラウドというビッグネームが出演。そのなかで僕らはファーストアルバムに入る曲を演っていましたね。

石原 ライブ活動と並行して、伊藤さんにアドバイスしてもらいながらデモテープを作ったり、アルバム制作の作業を整えていきました。2年くらいで形になったと思います。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)