3歳のときに、養子縁組として施設から川嶋家に引き取られた川嶋あいさん。3歳から歌のレッスンを始め、精力的に取り組んでいました。しかし、川嶋さんが10歳のころに父が亡くなり、母も入退院を繰り返していきます。借金をしてまで、音楽活動を続けさせてくれたのはなぜか。

■1軒家の大きな家から小さなアパートに

── 3歳から音楽教室に通われたとのこと。歌を始めたきっかけは、何だったのでしょうか。

川嶋さん:人見知りが激しかった私を心配して、母が私を音楽教室に連れていったんです。何か心が開くきっかけになったら…って思ったみたいですね。

音楽教室の体験レッスンでは、私が歌を歌うと、いつもの泣き顔からすごく笑顔になったみたいなんです。母が、そのときの笑顔が忘れられないって、そこから音楽人生が始まりました。

── 川嶋さんのお母さまが、川嶋さんの歌にかける情熱も凄かったそうですね。

川嶋さん: 私が子どものころ、演歌を歌っていた時期もありましたが、どさ回りって言うんですか?母も一緒に、福岡の中洲の街を回ってくれたこともありました。

また、将来は歌の道に進むことを考えていたんです。母とは、小学校低学くらいから、中学校を卒業したら東京に行って、堀越高校の芸能コースに入ろうと話していましたね。

── 歌のレッスンが順調に進む中、川嶋さんが10歳のころ、お父様が亡くなってしまったとのこと。川嶋さんの生活は、どんな影響がありましたか?

川嶋さん:母はもともと病弱ではあったんですけど。父が亡くなって落ち込んだのか。さらに入退院を繰り返すようになりました。

父は会社を経営していましたが、母が会社を受け継いだんです。でも、会社の経営も段々と悪化してしまって…、経済的にもかなり厳しくなっていったのは、子どもながらに感じました。

私が3歳で川嶋家に来たときは、1軒家の大きな家に住んでいたんです。しかし、父が亡くなった後は家を売り払い、いくつか住まいを転々としながら、最終的には小さなアパートで母と2人で暮らすことになりました。家もだんだん小さくなるし、母も弱っていくし…。

■中学時代から28歳まで毎日カップラーメン生活

── お母様が入退院を繰り返す中、川嶋さんの生活はどうされていましたか?

川嶋さん:私が中学2年生になったあたりから、母はほとんど入院していました。私は兄弟もいませんし、中学生にしてひとり暮らしに近い感じでしたね。

当時は、食生活もひどかったんですよ。今思えば、自炊した方が安いし健康的だったと思いますが、食事はほぼ毎食カップラーメン…。100円でお腹いっぱいになれるし、そもそもカップラーメンは大好きなので、苦痛ではなかったんですけど。

デビュー以降はまた別の話だとしても、カップラーメン生活は中学生から28歳くらいまで続きました。中学生のころは、昼は給食があったけれど、夜は毎日カップラーメンでしたね。

まぁ、今でも好きなんですけど(笑)(以下ソースで)


1/30(月) 11:31配信 CHANTO WEB
https://news.yahoo.co.jp/articles/3e66c626d9031c6a2cd6d8b5ee0a19bf93c94cf1?page=1
川嶋あいさん
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