0001朝一から閉店までφ ★
2022/11/30(水) 21:13:14.43ID:maNC1JmL9筆者:國府田英之
たった今、息を引き取ったばかりの妻に、夫は大きな拍手を送った。「あっぱれや」。今年9月に、妻の鳥飼こづえさんを亡くした嘉門タツオさん(63)。交際前に悪性脳腫瘍をわずらい、自分の命が長くないことを悟っていたかもしれない妻と過ごした14年間には、夫婦だけの物語が詰まっていた。
* * *
2007年。食事仲間の先輩が宴席に連れてきたのが、こづえさんだった。その場は神妙なお見合いのような感じでもなく、かといって、どちらかがひとめぼれして猛アタックしたというわけでもない。初対面では、お互いにそんなに意識はしなかった。
結婚願望なしの49歳中年男。一方、こづえさんは医師という仕事ひと筋で、友人から「プラチナのよう」と形容されるほどのお堅い性格。年も6歳下だった。そんな2人をみこしに担ぎ上げたのは、嘉門さんの仲間たちだ。
こづえさんも連れられてやってきた、とあるイベントの打ち上げ。
「後から聞いたんですが、一緒に飲んでいた北野誠や桂雀々たちが、僕がトイレに行ったときなんかに『タツオを頼むわ』って彼女に言ってたそうなんですよ」
はしご酒したあと、こづえさんと一緒にタクシー乗り場まで行ったのに、彼女を一人で車に乗せて見送ろうとした嘉門さん。
「送っていけやー!」
鈍すぎる独身男の背中を押して、車に押し込んだのは北野誠さんだった。
「周りが、これが僕のラストチャンスやろうって勝手に思って雰囲気づくりをしてくれたんですよ。僕が自分から頑張らなくてもいい状況を作ってくれて。せっかくやから、乗っかろうと思ったんです」
眼科とアンチエイジングの分野で活躍していた「プラチナ」のエリート医師は、なぜか嘉門さんのことを面白がり、惹かれた。歌い手風情がと不信感を持たれたか、こづえさんの母親は交際に猛反対。
だが、意外にお似合いな2人に心変わりしたのか、何度か会ううちに「式はちゃんと挙げなさい」と言うようになった。交際から半年後にゴールインして、東京と大阪で2度、結婚披露宴を行った。
「わたし、2002年に悪性脳腫瘍の手術をしたけど、もう大丈夫だから」
こづえさんが、がん患者であることを打ち明けたのは付き合い始めて間もないころ。
いつ再発するかわからない悪性腫瘍。3カ月に1度、病院でMRI検査を受け状態を確認していた。それでも、「彼女は、自分の命に対する不安を表に出したことはなかったんですよ。本人が大丈夫って言うんやから、大丈夫なんやろうと僕も思っていました」
だが、病気の影響で、徐々に右半身の自由が効かなくなっていた。結婚して1年ほどたつと、歩くときにステッキが必要になった。利き手である右手でカルテを書くことが難しくなり、こづえさんは医師の仕事を断念した。
それ以降、こづえさんは嘉門さんの仕事場へも連れ立って来るようになった。嘉門さんの曲作りにもかかわり、積極的に自分の考えを伝えるようになった。
===== 後略 =====
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こづえさんとの最後の「21日間」
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嘉門さんが妻にささげた2曲の歌
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「いっつも、ここにおったなあ」
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