今のテレビと社会の動きを、宗教に限らず、潜在的に社会や何かの組織に対して不満を持つ人間が黙って見ている。言葉に無力感を感じ、誰も自分の言葉など聞いてくれない。言葉で訴えることでは何も変わらない。それでも今自分が置かれている状況を何らかの手段をもって変えたいと強く思っている人々が見ている。そういった人間達が、今回の社会の動きを見て、「実力行使は有効である」と考える可能性はある。そういう人達が、第二第三の山上容疑者にならないように、テレビは、「政治と宗教の関係」を追及すると同時に同じ熱を持って、「実力行使」は何の効果もないんだ。ということを、メッセージとして発信し続けなければならないと思う。

(略)

 今の過熱する報道を見ていると私にはそうは思えない。

 今回の凶行で、山上容疑者が自分達の思いを代わりに遂げてくれたと感じている、容疑者と境遇が似ている二世信者がもしいるとしたら、彼らにテレビは言わなければいけない。彼は英雄でもカリスマでもない。ただの「凡庸な殺人者」に過ぎないと。それは「言葉」を諦めたからだと。彼を英雄視するのは、今まで信じていたカリスマを別のカリスマに代えるだけの行為だと。

 言葉は簡単に人に届かない。社会は簡単に変えられない。幸福は簡単に得られない。簡単に天国へは行けない。たとえそれがどんなに残酷なことであっても。それが現実だ。それでも言葉を繰り返すしかないんだと。

 山上容疑者の供述が本当だとすれば、最初は教団の総裁を狙うはずだったが、諸事情が重なり叶わず、標的を安倍元首相に変えたそうだ。

 ここから私が推測するのは、容疑者は状況によって標的を変えられるということだ。

 仮に安倍元首相の警備が厳重でそこでも目的が果たせないと判断したら、容疑者はまた標的を変え、今度は「教団を許容する社会が悪い」として、何の関係もない街ゆく人々を無差別に殺していた可能性もあるのではないかということだ。あるいは安倍元首相と同じようにメッセージを出していたトランプ元大統領を暗殺した可能性もあるということだ。

 仮にそうなった時でも、テレビは今の報道と同じ方向に向かうだろうか。私はそうは思わない。今のテレビは何も自分の頭で考えていないからだ。

「政治と宗教」というテーマには向かわず、宗教に母親が洗脳され家庭を壊された少年が罪もない社会の人々に向けた自分勝手な逆恨み、あるいは、日本人がアメリカの元大統領を暗殺したことに対する国際的な問題、というようなことに向いたのではないだろうか。

 山上容疑者の動機は、全く変わらなくてもだ。

 我々に伝わってくる容疑者の動機はそれほど定まっていない、標的を変えられるほど、いい加減で、あやふやなものだ。

 彼の本当の恨みの矛先は何か?

 私は母親だろうと思っている。山上容疑者が向き合うべきは母親だった。彼はそれをごまかしている。

 容疑者が感じていたのも「言葉の無力」だ。

 言葉が通じなくなった母親。母親の言葉を理解出来なくなった自分。

 容疑者は、本当は母親の言葉を取り戻したかった。そして自分の言葉を母親に理解させたかった。心の奥まで届けたかった。そういう言葉を持ちたかった。しかしそれはどうしても叶わず、彼は言葉に失望し、諦め、絶望し、言葉を捨てたのだろう。あるいは初めから言葉など信じていなかったのかもしれない。


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