【大河】鎌倉殿「顔そっくり!」頼朝&義経に爆笑、爆速トレンド「うわああん兄上!」 [湛然★]
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2022.03.06 デイリースポーツ
鎌倉殿「顔そっくり!」頼朝&義経に爆笑、爆速トレンド「うわああん兄上!」
https://www.daily.co.jp/gossip/2022/03/06/0015114657.shtml
菅田将暉
https://i.daily.jp/gossip/2022/03/06/Images/f_15114658.jpg
※以下、第9回の放送内容が含まれます。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は6日、第9回「決戦前夜」が放送され、終盤では平家討伐の兵を挙げた源頼朝(大泉洋)のもとに、奥州・平泉から弟の源義経(菅田将暉)が駆けつけた様子が描かれた。
天真爛漫で残虐な一面も持つ人物として描かれている義経は、頼朝が面会するか考えているところに「兄上!」と走り込んできた。
「すっとこの日を待ち焦がれておりました。兄上!兄上だあ!うわああん」と声をあげて泣き始めたが、頼朝は怪訝な顔をし、北条義時(小栗旬)が兄弟である証を示すよう求めると、義経は鼻水をふきながら「顔、顔!顔そっくり!」と叫んだ。
頼朝は「そうかな…」と、引きまくった。
結局、その後になってから義経が藤原秀衡の書状を差し出し、兄弟で抱き合い、わんわんと泣いて対面を喜び合った。
ネット上では、爆笑が広がり、猛烈な勢いで「顔そっくり」の関連コメントが投稿され、トレンド入りした。
(おわり)
2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
@nhk_kamakura13
https://pbs.twimg.com/media/FNKrcBCXMAMhGkH.jpg 頼朝本人の存在が敵に情けをかけるリスクの象徴として武士の意識を長年呪縛し続けたんだしな >>361-362
優等生でいい人過ぎて壇ノ浦で船の漕ぎ手を射させたのに凄い違和感があった
結局それに対する説明とか無いままだったし 那須与一のエピで踊りだした平家の爺さん殺させたり非戦闘員の水夫を討ったり
優等生義経にしちゃうと無理があるよね
今回の超合理的義経はわりと解釈が合う 弁慶役の佳久創って元中日郭源治の息子で元ラグビー選手
郭が日本に帰化して佳久って名氏になった >>368
まあ兄弟っていっても母親も違うから一緒に育った思い出もないわけで血縁のある他人だよな 実際異母兄弟ってどの程度の存在なんだろう?
みんな都落ちするまては京育ちだろ?
親父の義朝は源氏の棟梁とは言え、京都に屋敷をいくつも抱えるってことはないだろうし、兄弟同じ屋敷で育ってるんじゃないのかな。 あかん、如何しても銀八郎に見える
銀さん居る所為だな >>375
通い婚なんだろ
元服するまでは母方一族と暮らしてる
頼朝は伊豆配流になるまで上西門院(後白河法皇の同母姉)女房だった母方のおばたちの口添えで
上西門院側近の役職貰ってる 男子兄弟
長男 義平 母:橋本の遊女、または三浦義明の娘
次男 朝長 母:波多野義通の妹
三男 頼朝 母:由良御前
四男 義門 母:由良御前?
五男 希義 母:由良御前
六男 範頼 母:池田宿の遊女
七男 全成 母:常盤御前
八男 義円 母:常盤御前
九男 義経 母:常盤御前 >>379
木曽義仲の親父さんがいない
義経が九男になってる そういやナンバーズ源氏に頼朝入ってないのなんで?
鎮西八郎為朝の次が九郎判官義経だよね?
自分で戦ろくに指揮してないから? >>379
新納さんがやってる全成と義経は同母の兄弟だったんだなw
異母兄弟だとばかり思ってた。 当時の言葉そのままでやったら聞き取れる人はほとんどいない気がする YouTubeの鎌倉殿の13人追いかけているチャンネルに今回で殺られて退場した八重の旦那さん役の江間さんが出ているね。
結構実は男前だなw >>390
下ネタばっかりだったから低評価押して閉じたわ
役者の話より江間次郎の話しろっての >>384
今どきそんな誤字
知ってるくせに恥ずかしいアンチだな 歴史はほとんど覚えてないけど、面白いよ。
中川大志が演じてる畠山って、応仁の乱に出てくる畠山の先祖っていうことでいいのかな?
平清盛が中国と貿易してたってことは、元寇はまだだよね。 オンデマンド入ればいいだろ
プライムビデオ経由でも入れるのが便利 >>396
足利義純のwiki見たら何となく繋がりがわかる
諸説あってハッキリしないけど足利の世になったら重用される理由は納得できる >>371
今回の設定だと義経の一生は描きやすいな。天才過ぎて浮くし空気読まない人だからなw こないだの弓比べで騙し討ちの件とか、いわゆる判官贔屓されるかわいそうな義経というイメージを破壊しようという意図が見えるよね。
そういう意味では新しくていいんじゃね、 >>386
義経来たってのに最初から偽と決めて冷たかったしな。同腹の弟だったら、一応会ってみようかって普通なるわなw >>362記憶がおぼろげだけど最後はお堂にこもってペガサス(?)になって飛んでったよね >>394
それであれだけ売れた曲が多数あるとなると大衆に人気の俳優なんだな >>389
三郎は新羅三郎義光
頼朝は数字つきに入ってない >>396
畠山重忠が北条に滅ぼされて足利から養子が入って畠山の名跡を継いだ 八郎(阿野全成の弟、義経の兄)は杉本哲太に従って合戦で死んだ >>403
そうそう
お堂が爆発して天馬になって飛んでいくんや
五条の橋でこれでもかと桜が舞ったり八艘飛びで金粉が舞ったりな >>112
史実に忠実な大河なんて今まで無いしアホ丸出しやな >>379
この中で生き残ってるのが
頼朝以下
範頼、全成、義経か
全成が粛清されなかったのは何故なんだろう。
危険要素が少なかったってことだろうけど。
範頼、義経と比較する限り、有能ではなかったってことかな。 >>375
牛若丸は2歳から奈良で逃亡生活、11歳で鞍馬寺、その後奥州
同じ屋敷に居た可能性がかろうじてあるのは生まれて2年間となると
同じ屋敷で育ったってことは無いんじゃないかな >>413
政子の妹と結婚したからというのはあるかも
まあ結婚したからと言って北条家に都合の悪いやつはなんやかんや理由をつけて粛清されるだろうから、うまく立ち回ったんだろうな 義経にしても『平治物語』(下巻)によれば、騎射を行うのは鞍馬を出てからである。
つまり義経は下総を根拠とする坂東武者である陵助重頼を語らってその手引きで鞍馬を出る。
その重頼を誘う義経の言葉の中に「物射て遊ばん」というのがあるが、義経は鞍馬を出て近江の鏡宿で自分で元服した後、
重頼に弓箭と馬を用意させ、東国への道すがら、重頼に「馳挽、物射」(つまりは騎射、歩射)を習いながら下ったという。
その後、義経は下総で一年ほど過ごすが、そこで狩猟をしていたことが記されている。
いずれにしろ義経が騎射術を習得したのは、鞍馬を出てからと考えるのが妥当であろう。
とすれば『平治物語』にみえるように、奥州に向かう途中(諸国流浪中)や、また、名馬の産地である奥州に行ってからであろう。
義経の身体能力をもってすれば、騎射術の修得も早かったのではなかろうか。
それにしても、戦術的能力の向上には実戦経験が重要である。
自力救済(公権力に頼らず当事者相互で紛争を解決すること)の私戦を繰り返している東国武者とは違い、
義仲追討戦以前の義経に実戦経験があったかどうか疑問である。
あったとしても、鞍馬にいた時の辻冠者原との戦闘ぐらいであろうし、奥州では戦闘はなかったと考えられる。
そうした実戦経験という面では、義経が鞍馬から直接奥州へ赴かずに、諸国を流浪し、しかもその間、恵まれた生活はしておらず、
山賊や野盗まがいのことをしていたと考える方が、戦士能力の育成をという面では、筆者には説得力がある。
しかしその一方で、義経の戦士能力は、戦術的能力よりも戦略的能力にあることを第三章で指摘した。
その点では、戦術的能力が劣っているのは、実戦経験が少なかったからであるとも考えられる。
結局は類推の積み重ねで何とも言えないのだが、鞍馬を出てから義仲追討戦に向かうまでの義経の実戦経験の有無については気になるところである。
近藤好和『源義経』ミネルヴァ書房(2005年) >>409 これだねw
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(( .|| ||| || )) ドッカーン!!
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|| 田 ||
_||___||_ 室町幕府三管領の細川、斯波、畠山は、いずれも足利将軍家の一族 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています