【ゲーム】“投げハメ”に“待ちガイル” 対戦文化を根付かせた「スト2」の思い出 [ひぃぃ★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
『ストリートファイター6』の制作発表でゲーマーが沸いている。格闘ゲームの熱狂時代を生み出したゲームだけに世代を超えて盛り上がるのは当然。ここに格ゲーブームとキャラ萌えを生み出した歴史的作品『ストリートファイター2』の時代を思い出してみた。(文:昼間たかし)
■対戦文化はここから始まった
ストリートファイター6も楽しみだ(画像はプレスリリースより)
『ストリートファイター2』がゲームセンターで稼働を始めたのは1991年3月。今では当たり前になった「対戦格ゲー」の文化は、ここから始まったと言っていいだろう。ゲームセンターで見知らぬ他人と対戦するのは、当時の子供たちにとって、とんでもなく刺激的な体験だった。
『ストリートファイター2』の歴史的価値は、ゲームシステムだけでなく対戦する文化を根付かせたことにあった。勝てばプレイ続行、負ければ終了というルールのもと勝ち続けたい、うまくなりたいというプレイヤーが続出したのだ。
コンピューター相手の1人ではなく2人、それも見知らぬ同士の対戦が多い。画面にでてくる街角での殴り合いはまるで果たし合いだ。1人で遊んでいても途中から参加、いわゆる「乱入」できるため、多くのゲームセンターでは1人で遊びたい人のために「修業中」、自信がある人のために「対戦者募集中」の札をゲーム機に掲げている。(『朝日新聞』1992年9月18日付朝刊)
それまで、ゲームセンターとはプレイヤーが一人で画面に向かって遊ぶ暗いイメージ。対戦といっても直接対決ではなく、「ハイスコア競争」が流行っていたりした。
しかし『ストリートファイター2』が巻き起こした対戦ブーム以降、見知らぬ同士の対戦や複数参加前提のゲーム機が増えてきた。見知らぬ者同士が対戦して高みを目指す。そんな凄腕たちの真剣勝負を見物する。そんな明るい熱狂の場としてのゲームセンターは『ストリートファイター2』によって生まれたといえる。スーパーファミコン版が発売された時のキャッチコピーは「俺(おれ)より強いヤツに会いに行く」だったが、実際、強いプレイヤーと出会うため各地のゲーセンを渡り歩くものもいた。
当時はゲーセンに行くと、スト2に熱中した中高生たちが、しょっちゅうケンカや言い合いをしていたものである。「待ちガイル」にブチ切れて台を叩くヤツ、「投げハメ」を食らって絶叫するヤツ……。地元ゲーセンの紳士協定で「タブー」とされていたプレイなんかをしたり、連勝したあげくに挑発的なプレイをしたりすると、一触即発の雰囲気になったりしたものだ。
■「コマンド技」もスト2で定着
さて、今では当たり前すぎるが、「コマンド入力で必殺技が出るシステム」を定着させたのもスト2だった。絶妙なタイミングで技を繰り出すため、ゲーマーたちは必死の練習に明け暮れた。
翌1992年6月にスーパーファミコンに登場すると、放課後には勉強もなげうって必死に練習する風景が全国各地で見られるように。ブームは加熱し、1992年8月に両国国技館で開催された大会には、参加者が5000人も集まった。
『ストリートファイター2』のブームは日本の経済をも塗り替えた。1992年11月に発表された決算でカプコンは、売上高(393億円)は前期比約2.5倍、経常利益(約100億円)は同3.8倍と倍以上に飛躍している。
これを契機に、カプコンは大阪市中央区の現在の本社所在地を購入しているが、土地代は約80億円。建物の総工費35億5000万円を投入。さらに、まだ700人ほどだった会社に150人の大量採用を決定している(『朝日新聞』1992年11月25日付 大阪朝刊)。
その後『バイオハザード』のヒットなどで、現在は社員数3000人、海外でも多くのユーザーを持つ同社だが、その躍進のきっかけとして『ストリートファイター2』はもっとも重要な作品だったといえるだろう。
そして、この大ヒットによって日本経済に存在感を示したのが任天堂だ。1992年、任天堂の9月中間決算の売上高は前年同期比13.2%増の約2774億円、経常利益は5.5%増の約802億円に到達。初めて、松下電器産業を追い抜き企業の経常利益ランキングでトヨタ自動車、NTTに次ぐ第3位となっている。任天堂の売上の半分はスーパーファミコン。このことは、それまで日本経済を支えていた製造業が衰退しソフトパワーの時代がやってきていることを…
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
2022年2月21日 18時5分 キャリコネニュース
https://news.livedoor.com/article/detail/21714849/
画像
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/f/1/f1123_1591_bfc177b7_e65cac01.jpg
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/f/9/f948f_1591_e88d7a243f05bf1ce7b2105f4e819e94.jpg 投げハメって全然直らなかったよな
スパ2Xまでずーっと投げハメ出来たよな キーワードだけ切り取って全てを知ったかのように語る未プレイヤー勢きらい 周りが激弱すぎなのと
自分が格ゲー好きじゃないのとで
ろくに技なんか使わなくても勝ててた リアルファイトによく発展してた
当時は横並びの対戦だし 投げハメすると向こう側からよく灰皿飛んで来たわw筐体の電源切られたりな 意図しない投げはめが出たら、相手にわざと投げられる文化。 初代のストリートファイターはコマンドがシビア過ぎて大変だったもんな
スト2からだいぶ緩くなった 対戦で相手が負けて
両替にいくとき、どんな顔して両替してるか見るために
ついていって上から下まで凝視して煽ったよな >>12
懐かしい思い出だわな
あのガチで殺伐とした感じこそがゲーセン 対戦文化を根付かせたのは餓狼伝説スペシャルでしょ
元祖スト2の対戦台は記憶にない >>14
おい、お前ちょっと裏こいよぉ
ほんと嫌だった 田舎のゲーセンだと対面じゃなくて1台で横に並んで対戦だったからなw
今思い返してみると見知らぬ人とよくやってたと思うわ 昔 バーチャストライカー2で 勝った後のゴール演出をレインボーにしたら
リーマンに
「レインボーすんじゃねえ!」って
キレられたことあったわ 笑 溶岩ファイアだと思ったらヨガファイアだったおもひで 投げハメとか只のガードして待ってるだけの奴崩す手段でしょ
ハメ扱いすんな 格ゲーはスト2から入ったけど今ではKOFの方が好き
KOFはいまだに新作でたら買ってるわ 皆昇龍拳出せなかったもんな
原因は不慣れな入力の遅さ
昇るのに何で下やねんという戸惑い 外国の3D格闘ゲーと比べると露骨に技術レベルが低いカプコン
過去の遺産もジリ貧なのにまだやるしかない経営事情なんだろう >>35
初代餓狼伝説はまず2プレイヤー側と共闘のCPU戦で、その後に対戦なんだけどな? >>26
ダッシュの頃には向かい合わせの対戦台が普通にあった
それに餓狼伝説スペシャルは93年9月
餓狼2やサムスピが勢いづいてた一方でスーパーストIIが微妙だったからこの時点ではSNK優勢ではあったが 渋谷のいわゆるチーマーだったが、渋谷会館や中プラに溜まってスト2やりまくってた
対戦50人抜きとか本当に上手かったと思う
よく来てたオタクに教えてもらって色々やったわ
空中投げを頂点から落ちる時にかますと相手へのダメージが少なくなるから、春麗相手の時とかには隅っこを利用して空中投げを繰り返しまくって、尚且つノーダメージのフルゲージで勝つようにして最高得点狙ってたな
全国でも上位の得点取れてたと思うわ
他はガイルの真空投げを連続でやってハメてクリアとか
対戦だったら起き上がりメクリを教えてもらった
で、仲良くなったオタク達と自分達のチームが合同で後楽園のホールでやった大会に出た思い出がある
ちなみにその時に他のチーマー達も来てて東京ドームの外周広場で喧嘩したわ
で、ダッシュや改造したレインボー?
、ターボまでは通用してたが、ゲージ溜必殺技が出てきたスーパーやXあたりでボコられる事が多くなったので止めた >>26
渋谷会館にはあった
乱入対戦台って書いてあったと思う
というかどこにでもあった
俺の時はなかったけど、投げハメで倒されると相手が台蹴ってたりして喧嘩になってたりするのはよく見かけてた >>7
ゲームで使う人権ってそういう使い方しないよw 今だと待ちガイルはいわゆる塩プレイって言われるんだろな
ギャラリーがなんも面白くない魅せるプレイをしない戦法 百烈脚と百裂張り手とエレクトリックサンダーしか出したことない スト2の対戦初期は自分の真横の2p側に知らない奴が勝手に座る
今じゃ考えられない異常なシステムだったけどねw オーバーヘッドみたいな‘’強キックハメ‘’やってたの俺くらい?
対戦はともかくCPU相手だとどんだけ難易度高くてもほぼそれだけでノーダメでクリア出来た >>46
決勝戦がダルシム対ガイルで結局ガイルが勝ったんじゃなかったけ 対人のケンにスクリュー3発で瞬殺したのが格ゲー人生のピークだった
立ち→めくりボディプレスから→昇竜拳すかし 投げハメって言い方だよな
ガード崩すための攻撃方法が投げ技なんだから、ずっとガードしてる方に問題があるわ ダッシュでベガ使えるようになったんでサイコクラッシャーで往復して遊ぶ
リュウやケンにぶつかると昇竜拳で叩き落とされて後はボコボコ >>58
相手の起き上がりに攻撃をあわせて当たってもガードしても投げられる完璧なハメだったぞ
投げられる→起き上がりに攻撃される→投げ確定の脱出不能ハメ ザンギの立ち小キック防御した後によくスクリュー食らってたんだけど、防御した後にジャンプで回避できたのかな。 懐かしいな
スト2の対戦でハメられて負けた時はトイレとか連れてってボコボコにしてカツアゲしてたわ >>63
お前最低だなw
ちなみに昇竜拳は無敵だからリュウにハメはきかんぞ エンディングのスタッフロールの音楽を聴くと泣ける
ノスタルジックなメロディ キャラによって投げ間合いに差があって一方が絶対に勝てたり
今みたいにリバーサルで無敵技がなかったりリバーサルでは出せなかったり色々あったと思う 不本意に投げハメしちゃったら1発投げて貰う地元ルールあったわw
R1ガチ→R2勝利譲る→R3引き分け→R4ガチで目一杯遊び尽くすルールもあった スト2初期はゲーセンだけじゃなく駄菓子屋やレンタルビデオ屋とかにも置いてあったから
横の人に入っていいですかって聞いたりしてたなぁ
ちなみに外に置いてあったから立ってゲームする場所も多かった
その後はSNKのNEOGEOが最大4種類のゲーム選べて色んなところに溢れてた アニメのハイスコアガールを観ると無性に格ゲーがやりたくなる
久々にPS1を引っ張り出して闘神伝でもやるか 真空投げは流石に灰皿でもおかしくないけど、そもそも初代は対戦台あんまなかったやろ。
ダッシュから本格化してサイコ投げとダブルニーハメばっかになった。 赤点取った生徒の答案に
「戦士としての誇りがお前にはあるのか!?」
「悟りだ!悟りを開かなければ勝利は見えてこないぞ!」
などとダルシムのコメントを書いてたな >>36
俺もその入りだったけど未だに続けてるのか。すげーな。
俺は2002で終わったわ。 >>38
俺もできなくて周りからめちゃくちゃバカにされたなあ。
KOF95で上達したがその頃には周りは格ゲーやめてた。
クラスで俺含め3人くらいしか格ゲー話できるやつがいなかった。 >>62
どのシリーズまでだったか忘れたがジャンプ移行モーションには投げに対する無敵判定がないからジャンプで回避はできない
だから無敵技で返すしかないので無敵技がないキャラは投げハメで詰み いきなりとことこ歩いてこられて投げられる現象が流行ったわ
なぜが硬直してしまう 波動拳ジャンプしたらアッパーなんとか昇竜拳みたいなので一瞬でやられてほんとに泣いた 友達が知らない人との対戦で真空投げと固まっちゃうやつをやってて目の前で喧嘩が始まってビビった思い出 1プレイ50円のゲーセン遊んでた…たまに来る不良に怯えながら(´・ω・`) 小、中攻撃が鍵となるなんて
子供の頃は常に大攻撃でぶん回してたわ >>66
スト2初代は攻撃当てて相手がガード硬直中に投げられたのでハメ技
その後は対策されたので完全なハメ技じゃない 全く嵌まらなかったわ
横向きのゲームは奥行きがないので却下である ガイルの声が機械っぽいというか
無機質なところがまた軍人ぽくて良かったなあ。
当時の音声合成の技術ではあれが精いっぱいだったんだろうけど
それが逆に効果的だったと思う。
後には声優が喋りまくるゲームもバンバン出たけど
違う違うそうじゃない!って感じだったし。 スト4が15年くらい前だった気がするが・・・
これから6を作るの?
発売ですらないのに騒いでるのか?w 1をメチャクチャやったやつはほぼいないよなぁ
嘘付いてるのばっかりだろ。
台自体は色々有名になったのでみんな仕組みは知ってるが
やり込んだやつなんかいないレベルのクソゲー ダッシュ辺りがピークだな
インカム対策なだけだろうけど、すぐ終わるようになった
スパ2の頃はもう新規なんかゼロレベル 格闘言ってんのに飛び道具昇竜でひたすら待ってるのがな、そら廃れるわ ポケモンもそうだがもはやただのツールであってゲームではない
ストーリーとビジュアルが取り返しつかないくらいポンコツ過ぎる >>68
俺が格ゲーやめたのは
この糞ルールで馴れ合う馬鹿が多かったから >>38
前に出ながら波動拳!
、で練習してたなぁ〜
ナツカシス… (´∀`) サマーソルトキックを出そうと思ってタメてたのにザンギエフにスクリューパイルドライバー食らって何このクソゲーってなった
めちゃくちゃ体力減るし 相手に向かってジャンプして蹴りとか何も出さずに着地してすぐ投げるのって投げハメになるの?
それで喧嘩になった記憶あるわ スライディングで果敢に突っ込むもトルネードアッパーで殺された思い出 ダッシュのタイガーアッパーカットがホントに美しかった
目の覚めるようなカウンター技だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています