【TBS】伝説の40%超え『ザ・ベストテン』 ランキングが公正だったからこその功績★2 [征夷大将軍★]
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さかのぼること40年。驚異の視聴率「41.9%」を記録したのが、1981年9月17日に放送された『ザ・ベストテン』(TBS系)だ。同番組の第189回となったこの回は、コアなファンたちの間で「神回」と呼ばれている──。
「現在のTBSの最高視聴率番組がドラマ『日本沈没 ─希望のひと─』(2021年)の約16%ですから、41.9%は目を疑うような数字。平均視聴率20〜30%でしたから、いかにおばけ番組だったかがわかります」と話すのは、元TBSアナウンサーで、1986年から約2年半、同番組の司会を務めた松下賢次さん(68才)だ。こんな裏話がある。
「実は『ザ・ベストテン』の第1回放送では、当時絶大な人気だった山口百恵さんが集計の結果11位で選外となった。それを知った局の上層部は、『歌番組、しかも新番組で山口百恵を登場させないなんてことがあるか。ほかの歌手と入れ替えろ』とプロデューサーの故・山田修爾さんに迫った。
しかし山田さんは頑なに『それはできません』と譲らなかった。厳正なランキング方式を貫く山田さんの姿勢に、司会の黒柳徹子さん(88才)は信頼を厚くし、『何かの都合で本当の1位じゃない人を、私に1位と紹介させないでくださいね』と微笑んだそうです」(松下さん)
こうしたランキング形式の歌番組は従来にない試みで、それゆえ難儀したと語るのは、同番組で美術デザイナーを務めた三原康博さん(84才)だ。三原さんが述懐する。
「『ザ・ベストテン』以前に『TBS歌のグランプリ』という番組があって、それにぼくも多少かかわっていました。そもそも昔の音楽番組は、所属レコード会社が異なる歌手が一緒に出演することはありませんでした。それを変えようとしたのがTBSの音楽班で作曲家でもあった故鈴木道明さん。鈴木さんの働きかけによって、レコード会社も他社の歌手との共演を徐々に承諾するようになっていきました。そうした素地が整った後、『ザ・ベストテン』が企画されたのです。
ところが、そうした流れにあっても、歌手の間で順位がつくとなるとまた大変で、出演交渉の段階からかなり難航したようです。制作陣の苦労は相当なものでした」
同番組元ディレクターの宇都宮荘太郎さん(68才)が語る。
「ランクインが予想される20〜30人の歌手のスケジュールを約2か月先まで調べ、所属プロダクションや歌手の移動先に前もって連絡や根回しをしました。ランキングは流動的で不確定ですから、かなりの激務でした」
紆余曲折を経て出演許諾を得た歌手たちの魅力を、番組は最大限引き出そうとした。
スタジオで歌う歌手には凝った美術セットを全力で提供する一方、スタジオ出演できない歌手のためにもバンドや音響などの環境を整えた。中継を担った地方局スタッフと綿密な連携をとりながら、10組の歌手を生放送でつないだ。
「追いかけます。お出かけならばどこまでも」というキャッチフレーズが生まれた陰には、全国の系列局の協力があった。芸能ジャーナリストの渡邉裕二さんが言う。
「黒柳徹子と久米宏(77才)による漫才のような早口で軽妙な司会もよかった。トークにたくさんの情報が入っていて、歌手の近況がリアルタイムでわかる“音楽情報ドキュメンタリー番組”でした。
また、公正なランキング形式というスタイルは、音楽番組になかなか呼ばれなかった弱小プロダクション所属の歌手にも等しく光を当てた。それも『ザ・ベストテン』の功績だと思います」
取材・文/北武司
※女性セブン2022年1月20・27日号
ポストセブン2022.01.08 07:00
女性セブン
https://www.news-postseven.com/archives/20220108_1718449.html?DETAIL
前スレ
【TBS】伝説の40%超え『ザ・ベストテン』 ランキングが公正だったからこその功績
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1641599155/ ミュージックステーションはモーニング娘。がオリコン1位なってるのに絶対に呼ばないからな
変な力が働いてるのか?どうなってんだ? >>3
それは追っかけマンの松宮さん
松下はとんねるずと喧嘩してたやつ >>2
価値のない1位だからだろ
ファンが一番わかってるだろ そういえばどんな基準で
ランク付けてたのかなw
誰も知らないのでは 歌番組の生バンド奏者でもハネケンさんと同じピアノ演奏は出来ないからテレビ用には簡易バージョンの編曲に変えてたらしい 聖子&明菜の貢献度は高かったと思う
現にこの二人と番組の失速期は見事に被ってる としちゃんから聖子へのリレーで相合傘は物議をかもしたな これ例えばロングヒットを飛ばしたら毎週出るハメになるのかw >>8
レコード売上・ラジオへのリクエスト・有線放送・番組へのリクエストを「独自の方法」で集計 ニューミュージック、と呼び慣らされたアーティストたちが、揃って
「出演拒否」
という行動に打って出たムーブメントがありました
詳しくご存じのネラーの解説を希望します。 順位はなんか番組独自調査の4つの指数の合計だった記憶
レコード売上、有線リクエスト数、・・・・
いくらでも操作出るやろ テレビしか家での娯楽が無かった時代だから視聴率が高かっただけ まあ、、
集計がどんなに公平かとか言われても、お茶の間にとっては永遠にうかがい知れない裏事情だしなあ。。
それらしいエピソードを創作してアレコレ今だから言える話なんだろう。
夢がないよホント、芸能界ってw 山口百恵 最後の出演時に黒柳さんが
「百恵さんもたくさん一位をとられて」というと
「そうでもないです笑」と答えてた 「昔はよかった」を言い出したね、もうそろそろか?早く逝け ぶっちゃけベストテン潰したのは光GENJIだと思う。 >>8
どういう集計方法だったかは公表されてる
確か毎回オープニングで久米さんがそんなようなこと早口でまくし立ててたはず
しかし早口すぎて聞き取れなかったw ド演歌が上位にランクインしだして番組は急降下していったな
長良川艶歌とか、さざんかの宿とか勘弁してほしかった
着物着て歌う演歌歌手で本当の大スターは
美空ひばり、北島三郎、石川さゆり、細川たかし、全盛期の都はるみ くらいまでだろうな?
ほそか >>17
当時小中だったが「本当のシンガソングライターの
人たちこそ本当の音楽家なんだあ、やっぱり
「飾りじゃないのよ涙は」中森明菜ではなく井上陽水が
歌う方が通である」
と本気で思っていました。実際浜省とか佐野元春の
ようなアーティストはベストテンでは歌ってないので
フリフリの衣装着て歌うだけの歌手を通ぶって
嘲けていました。でも今は人それぞれと思ってますがね。 >>17
ムーブメントというほど記憶が定かではないが
若き日の松山千春が何度ランクインしても出演しなくて
1位になったとき1回だけ出演したことがあったな。
「ファンのいないカメラに向かって歌うのは寂しい」と
出演しない理由を1分くらいとうとうと語って、「歌います」と
寂しそうに言ってから一曲だけ歌ったのをよく覚えてる 今なら簡単に操作出来るな
レコード売れなくても有線リクエストとはがきリクエストで桁違いの大砲ぶっ込めばいい >>12
聖子の結婚休業のころから下降期に入り
明菜の自殺未遂休業の後に終了した 大川栄策の箪笥担ぎ&アゴ鳴らし
アルフィーの星型のディス箪笥
山本譲二のシロふんどし >>24
確かにそれほど取ってない
リクエストの多い男性歌手が有利だった この生番組で「透明人間」を歌ってたピンクレディが本当に消えた時は衝撃を受けたな 出演NG歌手でベスト10埋まったら番組的にはどうしてたのか >>29
上がりたい上がれない
気持ちウラドラ
戸惑いはテンパイね
そろそろリーチ
麻雀しながらよく聴いてたなw 良かったのは10位以下でも急上昇中の歌手も出していた事。
こういうところから、次のヒット歌手が生まれていた。 ザ・ベストテン有ってのレコード大賞だったんだけどな。 凄かったのは年間ベストテンで小林幸子の「おもいで酒」が1位になったことだな
演歌恐るべしって感じが見事だったわ。まあ歌謡曲の黄金時代だよね >>43
番組終了近くは数組しか出演せず
トークを長くしたり変な企画したりして
苦肉の策だった >>46
初期のサザンがまさにそうだった
初出演は衝撃的だった レコードやCDの売上枚数だけだと
AKBみたいに握手券商法で正確な人気がわからない
有線ハガキラジオとたくさんの指標を混ぜることで
楽曲そのものの人気が少しは公平に出せる >>48
リアタイで観てて
いとしのエリーが2位だったので
誰が1位なのか予想がつかず
小林幸子でびっくりした
そして幸子が涙ポロポロ流して登場
レコード大賞獲ったような喜びの涙だった
番組の価値が上がった あーラジオとかテレビとか余った年賀ハガキ使って書いて出してたなあ。
ラジオで名前呼ばれた時は感動した。 >>36
レコード以外の組織票は判別しやすいから
ベストテンの時代でも既に組織票除外されてたよ >>52
番組初期はレコードデッキが一家一台で
若者は貧しくて簡単にレコードは買えなかったから
聴くためにはハガキや電話リクエストに頼らざるをえなかった >>35
あれは松山千春が国民のカリスマになったシーンだよ
めちゃくちゃカッコよかったね
ただ、それまでの千春のラジオリスナーからは
「普段着のままの」朴とつだが気さくなチー様ではないとブーイングだったんだよな 事務所がファンにお願いして有線にリクエストさせまくるとかハガキ出させまくるとかの組織票はあったよ 全ての得点を集計した総合1位は五木ひろしの「長良川艶歌」だったかな
それとも山本譲二の「みちのくひとり旅」だったかな
総得点集計した場合は息の長い演歌が有利だよな おニャン子、フジとの軋轢後、最後はあの時間帯でとんねるずぶつけられて終了って感じだったか 日本の良き時代
もう日本に良心はない
YouTuberが何百万もする物を買って見せびらかすのを見るだけの国にまで落ちぶれてしまった
もう糞です、この国は >>59
その数年後に「長い夜」で再出演
そのパフォーマンスがモノマネの題材になる >>1
テレ朝の「ベスト30歌謡曲」はなかったことにしてるな 80年代のシングル盤には歌詞カードの隅っこに「ラジオやザベストテンにリクエストして○○ちゃんを応援しよう!」みたいなこと書いてあるな >>60
たしかハガキの比重がダントツで一番高かったんだよね
それにあのころの演歌歌手の事務所は有線のリクエストバイトたくさん雇ってたんだよ
喫茶店ハシゴして優先リクエストの電話しまくる要因
俺の友人は都はるみの弟子の女性歌手担当してたわ >>63
初期に番組作ってた秋元康が
フジに移って結果的に番組を潰してしまった >>35
でもその翌年か翌々年に「長い夜」がヒットした時には普通に出ていたようなw >>48
演歌というのは一度ヒットを飛ばした曲があれば
ジジババが聞いてくれるのでその曲だけで食える
ヒット曲が多数あれば御殿が建つそうな
だが若い人向けのポップス系の曲は流行り廃りが
激しくてファンも飽きやすいためヒット曲を
続けざまに出さないと生活できないそうだ バブルの華やかな歌番組また見たい
完全生中継、海外あり、衣装もセットも超豪華、金の使い方が凄まじかった >>69
みんなソレやってたから
結果的に公平は保たれてたなw >>53
去年だか、小林幸子がラジオで当時のことを喋っていたが、スタッフからは「残念ですが「おもいで酒」、年間ベストテン圏外でしたが、せめて番組の打ち上げには参加してください」と騙されて呼ばれたらしい。 演歌がランクインしたらチャンネル変えるか
トイレタイムだったが何故か「よせばいいのに」
だけはそのまま見てた ランキングったってなんか出所不明な係数とか入ってるからマジで公正かとか言い出すとどうかなとしか思えんわ >>76
それで泣きながら崩れ落ちての入場だったのね まあ自分はアーチストと名乗っただけで激怒するような業界だったからな 公正かどうかは関係なくて
アメリカはビルボード、日本はオリコンなのよ >>74
今でも四半期ごとに各局で何時間も長々とやっとるだろ モラルのない売り方してたからだろうよ
誰もマジメにやらないに決まってんじゃん カックラキン大放送収録後の調布グリーンホール〜調布駅前の光景が懐かしい。
松宮さんには生きてて欲しかったよ。 全然公正じゃなかったぞ
堀ちえ●のファンクラブのやつがホリプ●に呼ばれて、ベストテンへのリクエストハガキ何千枚とタダ働きで書いていた
お礼は生写真一枚w 久米と黒柳徹子の司会者としての華やかさでこの番組の成功は約束されてたと思う
久米は長身でスマートでタキシードが良く似合う
だから黒柳徹子のお洒落が更に引き立つ >>81
オリコンも結局信頼なくして
配信やSNSトレンド等々を加味したビルボードが日本でも主流になりつつあるね 俺が今でもすぐ思い出せるのは
・サザン「勝手にシンドバット」初登場
・松山千春の季節の中で初登場でファンにメッセージ(その後長渕も真似?)
・甲斐バンド、酒飲みながら登場
・ジュリー「TOKIO」パラシュート(ジュリーの暴走で井上大輔バンドが匙なげた)
・南野歌詞忘れて号泣
・松田聖子ウソ泣き 紅白歌のベストテンってマチャアキ司会でやってなかったか? 前週には20位以内にすら入ってない状態で、本当に初登場1位だったのは菊池桃子セイイエスだけ? 全然流行ってないが
売れてるものを前に出しすぎた
ソシャゲみたいなもんでしょうよ
アレはゲームとはいえ
変わり種だもん >>14
五木ひろしの長良川艶歌も結構長くなかったっけ? ビルボードは90年台前半に集計方法見直しでガラリと変わっちゃってからチャートへの興味薄れちゃったとこあったなあ 集計方法は今でも可能。
レコード、有線、ラジオ、はがき。
各30位まで出す。
1位は30点、2位は29点・・・30位は1点と点数付け。
それに比率を掛ける。
番組スタート時は、はがき4、ラジオ3、レコード2、有線1。
末期はレコード6、はがき1.5、ラジオ1.5、有線1。
最後に点数を合計して番組の演出上33.3倍して完成。 毎週ルビーの指輪とか歌うグラサンのおっさんが不快で堪らなかったよね 雪国の夜を 汽笛は低く鳴る 今帰りゆく ふるさとに
あ〜 あ〜 ねむるあなたは *小さな胸に〜
待ちわびただろ 春が来るのを もう一度 笑顔見たかった
野(々)村どうでもいいから 笑い 複合チャートの走りだったんだよな
最初はハガキリクエスト主体だったのが、オリコンの売り上げ至上主義が
もてはやされ失速(ほかの放送局から疎まれたんだろうな)
でオリコンは秋元さんのランキングハッキングが行き過ぎて疑問視もたれてるなか
複合チャートのビルボードにポジションとられた
(去年の紅白の感想いくとランキングそのものが無意味で、昔の曲ながせ
新しいものなんていらねーってことまできた) >>70
ベストテンに出ていた頃のとんねるずは好きだったがベストテンを潰して以来、嫌いになった。
結局、ベストテンは番組の寿命だったと許せるようになったのは野猿あたりかな。
今の枯れたとんねるずは結構好きだ。 ハガキや手紙を出すっていう文化すごく良かったよな
お金かかるから重みが違う 少数の人が大量に購入するAKB商法と変わらないのでは?
(ハガキ応募) >>99
そのずっと前からラジオの「全国歌謡ベストテン」で
複合チャートをやってた
電話、ハガキ、レコード、審査委員会だったっけ 黒柳って、50代ぐらいのときに立花理佐に、「70歳ぐらいですか?」とか言われて
失笑してたな
まあ、若者からすると、おばあちゃんでしか無いからな >>40
ラッツ&スターの前の歌手が歌ってる時にスタッフが回転ドアをいじってるのが映ってた
おそらくヤラセ企画だと思う 1978年1月19日第一回週間ランキング
1位 UFO ピンクレディ
2位 わな キャンディーズ
3位 いあわせ芝居 桜田淳子
4位 わかれうた 中島みゆき
5位 禁猟区 郷ひろみ
6位 憎みきれないろくでなし 沢田研二
7位 ブーツをぬいで朝食を 西城秀樹
8位 若き旅人 狩人
9位 泣き虫 清水健太郎
10位 風の駅 野口五郎 >>87
お亡くなりになられたら徹子の部屋の時間帯はなくなるのかな
それとも誰か違う人を立てて同じようなことをするのかな
徹子みたいにきちんとゲストの話引き出せる逸材が下の代にはいない気がする
有働は他局のレギュラーやってるし阿川ももう歳だし >>107
番組開始時は40代だったのにすでにババア扱い
その後徹子より年上の歌手はランクインされなかった
(バックメンバーはわからんので除外)
それから40年以上たった今も現役という・・・ >>82
なんか違う
毎日のように各局生放送してたからね。ベストテンやトップテンは地方や海外から歌ってたし、ヘリコプターは飛ばす、新幹線で歌う、成田空港で帰国直後に歌わせるなど演出が凄い >>99
>(去年の紅白の感想いくとランキングそのものが無意味で、昔の曲ながせ
>新しいものなんていらねーってことまできた)
昭和の昔から年配はこういうこと言ってたよ
日本もそういう声が大きくなりすぎてきたということだろうね
もっとも若者中年に人気ある歌手も去年の紅白は呼べていなかった >>97
何や偉そうに
あんたの個人的意見を他人に押し付けるなw >>112
全盛期のピンクレディーはTBSで歌い終わったらタクシーで
フジに向かいそこで歌い終わったら日テレに
向かい歌い終わったらテレ朝へ、その間2時間の
出来事だったとか >>109
「わかれうた」は中島みゆき最初の大ヒット曲だろ
(「時代」もすごい名曲だが後年、評価がうなぎ上りになった曲)
その時期に桜田淳子に名曲「しあわせ芝居」提供してたって
今考えたらすごいことだと思う >>102
だろうね。
同じ筆跡のリクエストハガキを没にしたって話がある。
中期はレコード3、ハガキ3、ラジオ3、有線1に変わった時期もある。 >>116
その前に研ナオコの「あばよ」が大ヒットして
作詞作曲者として先に名前が売れた >>116
中島みゆきに番組に出てもらいたくてザ・ベストテン始めたのだが、結果出てはもらえなかった。
ザ・ベストテン以前にもベストテンの名前のつく番組はあったがランキングは曖昧に紹介(はっきりと順位を言わず、この10曲が上位をしめていますという言い方)で、キャスティングのベースにしている程度だったみたいだね。 >>85-86
筆跡とかで判断して、そういうのは1票としてしかカウントしてなかったって聞いたが。 公正なランキング(笑)
嘘つけ
事務所の力でどうにでもなるって
トシちゃんのバックダンサーが暴露してたでw ゴリ押し枠は「もうすぐランクイン」みたいなコーナーで消化してなかったっけ? 昔はランクイン歌手ほぼ出てた時とか久米黒柳が序盤から早口で凄いスピードで進行してたな
正味50分ない番組で凄いことだよ >>123
今週のスポットライトってコーナーだったな。
11〜15位くらいに入っている曲の紹介で >>21
予告編やろ
オリコンは12位
二枚目は40位代
三枚目のキテレツの主題歌は100位圏外 矢沢永吉の時間よ止まれが売れてた頃
ベストテンに入っても出なかったね
だからどういう人かわからなかった
世良公則とか甲斐バンドは出てた
他にニューミュージックは出ない人もいた IKZOが初登場で歌い直したのは子供心に衝撃だった >>127
サザン、アリスは積極的に出演して知名度を大いに上げた
松山千春は数少ない出演でプレミア感を出すことに成功した
矢沢永吉や中島みゆきは全く出ないことで大物感を出した
ベストテン以外には出演したけどな >>1
伝説の聖子トシの相合傘の場面が最高視聴率の神回 >>130
久米スキャンダル明けの復帰回。
相合傘演出もそれを吹っ飛ばす為に山田Dが仕掛た。 松任谷を「まつとうや」と読むのを知ったのがこの番組 番組放送期間中男性アイドルは初期の新御三家とジャニーズ以外ほぼ無かったような >>127
世良は毎回出てたけど甲斐は1回しか出てない CDTV派なんかランキングが胡散臭かった まあ面白かったからいいけど 地方に番組が出向してやる時はどう見ても現場で歌う歌手の頭数を揃える為に順位をいじってただろ?
本番当日に一週間前の急な呼び出しでそんな片田舎に来れる歌手が二組三組しかいなくて後は中継で見せるわけにはいかないからな
でなきゃ石川秀美なんてランクインするかよ >>134
世良かっこよかったな
「あんたのバラード」から「燃えろいい女」までは凄かったが、そのあと急失速したな
甲斐は唯一の出場でスタジオで酒飲みながらイキって終わったな
清水健太郎は「失恋レストラン」「帰らない」出すのが1年早かったな
ベストテン出てたら世良と並んでもっと売れてたんじゃないかな >>109
清水健太郎がまだ中央でスターと言われていた時代 男闘呼組だっけシャンパンファイトやってみんなで「目がいてえ!」って騒ぐだけでグダグダだったの 9999 ヤングマン
満点の内訳が良く分からなかった >>72
ひどいのは最終回後の「さよならザ・ベストテン」の時だよ
まるで番組の顔みたいに、はっちゃけてたんだからw 洋楽はランクインしたことあるのかな?
(「愛の園」などのカバー除く)
インストだと胸キュン以前にYMOはランクインしてた記憶 >>34
「セーラー服と機関銃」より「夢の途中」派ですか? >>143
洋楽と邦楽はジャンルが別れてるからない
以前BON JOVIがバカ売れしたとき邦楽に入れようという話があった けなすつもりもなく、すでに知ってる人も多いが
スポンサーの兼ね合いで、やむなく取り上げられなかった曲もあるが、
そう言うことをも公正にすると、番組が存続しない
それ以外では公平でなければならないということで、
リクエストの比重も、売り上げも大事にした、と聞く >>22
松田聖子とかのアイドルブームが来たのも大きい。 >>35
その時か
その松山で時間取り過ぎて山口百恵の歌う時間がなくなったってのは >>146
ボンジョビマジすか
それならノーランズとかも馬鹿売れしてましたし邦楽で良かったのかも?
企画物やサントラで日本限定の洋楽も有ったね
ローズマリー・バトラーは「汚れた英雄」「幻魔大戦」とか
レイチャールズが「いとしのエリー」を英語で歌うとか
ああいうのもベストテン排除か 世間が知らない
2021年 シングルCD 1位の曲 もはや昔の週レギュラー番組より視聴率が低いんだな紅白は。 あんま関係ないけどこの時代は小学生でも演歌歌ってたなぁ
今はまふまふだの藤井風とか言われてもまったく1秒も聞いたこと無いの時代やなぁ… CSのTBSチャンネル1で不定期に再放送しているけど松山千春や山口百恵の映像が出て来ないのはまだわかる
順位や曲名の発表そのものをカットしているのが何回かあるのが意味不明 まあ今週の放送をする前に来週のランクと出演は
決めて準備してただろうし つい先日、近所の中学生がチャリ漕ぎながら
「北〜の〜酒場通りには〜〜〜♪」って歌いながら帰ってたわ >>81
> 公正かどうかは関係なくて
> アメリカはビルボード、日本はオリコンなのよ
オリコンはCDの売り上げにこだわったランキングを続け、
何枚も買わせる商法にチャンと対応しなかったからオリコンの信頼は無くして
もうテレビや雑誌、新聞で引用されなくなったね 今から思うと生放送で中継先から生演奏で歌うってすごいことしてたな
もちろん中継は生演奏では無くカララオケで歌ってる方が多いけど、
それでも生中継して歌わせるって手間暇お金かけてた
生放送、生中継こそテレビだな 動画見たけど松田聖子が松本城で中継の時5000人のファンが押し寄せて暴動寸前のがすごかった ランキングでない生の音楽番組の代表として夜のヒットスタジオがあったね
こっちはランキングでは無いのでより幅広い人選だった 1980年代の主な歌番組
【日】 MUSIC FAIR , ヤングスタジオ101
【月】 歌のトップテン
【火】 NHK歌謡パレード
【水】 夜のヒットスタジオ
【木】 ザ・ベストテン
【金】 ミュージックステーション 新曲初披露は夜のヒットスタジオ。よって、夜ヒットは独特の雰囲気があるらしく緊張するらしい 【告知】
大阪で1番恥さらしで情けない惨めな男!!
その男の名は中林和男、中学2年でシャブを覚え
犯歴23犯前科11犯獄中20年。100%立ち直り不可能と言われていたが13年と7ヶ月前に看護師を生業とする1人の女性との出逢いで奇跡を起こす!!
シャブは勿論のことタバコ&マリファナ&バクチ、さらには大量の睡眠薬や安定剤をも病院通いを自ら中止し鉄の信念にて全て断ち切る。
そして警察官&検察官&刑務官&裁判官の究極のええ加減さを裁判資料を掲載し真実のみを赤裸々に綴ったノンフィクション自叙伝
「ゴミと呼ばれて」
刑務所の中の落ちこぼれ
この本一冊で薬物の怖さが全てわかる。
この本を読んで薬物を止められなければ何をしても無駄 だ!!
薬物からぬけだせる唯一可能性のある本!!
是非一読を!! 全国の書店または
Amazon、Rakutenbooks、紀伊國屋なら送料無料!! >>169
> 【日】 MUSIC FAIR , ヤングスタジオ101
ヤンヤン歌うスタジオじゃなくて? 安室公認キャラクター「エミーナ」が悪質すぎて開いた口が塞がらないレベル。
あんな事が許されるのなら、永遠に引退詐欺商法できるじゃん
安室は花火ショー=コンサートの代用品で、毎年チケットとグッズで荒稼ぎしてるけど、
安室は劣化していく自分を隠しながら商売していける方向性にシフトしただけ
安室の引退詐欺の主犯は安室本人だからね。安室本人が事務所社長だから。
安室の引退詐欺に協力しているセブンイレブンといった企業も問題 >>172
テレビで紹介されてたのをそのまま書いた
間違ってたかな? そんな昔からビルボード方式の集計やってて番組もヒットしてたのに
なんでオリコンチャートしか根付かなかったんだろうな 早見優がメイク道具持ったまま靴もちゃんと履いてない状態で出てきたこともあった 何のデータをどう集計して公正だと言っているのかね? >>30
それ月間ベストテンじゃないかな?
毎月色んな集計からのベストテンをマシンガンのように読み上げてた 山下達郎がライドオンタイムで20位〜11位を行ったり来たりしてる時、
「出演する気があるなら(10位以上に)ランクインさせてやるぞ」
と局から持ち掛けられていたことを暴露してるんだが マッチ歌唱からのピアノパカっで
キョンキョン登場が最高
あとは聖飢魔II初登場 >>34
浜田も佐野も当時は出る資格がない
拒否する前に選ばれていないよ >>172
ヤングスタジオ101ってのはNHKのレッツゴーヤングの後続番組だよ >>77
久米さんがシルビア大好きだったのが懐かしい
綺麗な人だったなあ 我が母校京都教育大学在籍中だった岸田智史が
藤森神社から「きみの朝」を生歌唱
売れすぎて金八に出れず、武田鉄矢が代役に
のちに新八となったが大コケ
ただし、その時のマドンナは宮崎美子 TMが出演した時の徹子のテンションの高さ(大荷物!大荷物!)は異常 >>4
寺尾聡がほとんどスタジオにこなくて徹子が平謝りしてたよな
徹子が土下座するとかこの番組しかない ビートたけしがオールナイトニッポン使って一度に大量にハガキ送ったのはどうなったんだっけ? >>176
平成初期のカラオケブームからのCDバブルが価値観をCD売上一辺倒にしたのかもしれん 今なら絶対できない聖子ちゃんの新横浜駅プラットフォームからの
赤いスイートピーの中継が頂点だった >>181
ニューミュージック系のアーティストはコンサートとかで暴露してたな、
あと菊池桃子のファンクラブに入ってた友人は会報やグッズと一緒に
リクエスト用のハガキが送られてくると言ってた。 >>35
まだ2323の頃、コンサート会場から中継で「長い夜」を熱唱 公正じゃないだろ
ハガキとか有線放送がレコード売上と同様に評価されるとか >>196
多さが人気の証
組織票云々言い出したらキリが無い。 >>192
まるで映画のワンシーンみたいだった
今はつべで気軽に観れるし若い人にも観てほしい >>187
宮崎美子がマドンナだったのは、仙八先生 >>61
1:02:55〜
突然オーストラリアの怪しいドラマが入り込むハプニング
この男の人なんで胸揉んでるの?ww 出たくなかったらレコーディングの収録でサボれるのが許された時代 ベストテンや生歌番組の面白さは歌詞間違えなどのあらゆるハプニング 世代じゃないというか小学生だったから見てなかったけど
少年隊は今動画で見ると流石だなと思うねこれは売れるわと >> 61
1:05:00〜
映像に写り込んでしまったお茶出しアルバイトスタップに爆笑する諸星和己らに対し、キレ気味の近藤真彦
諸星は人良さそうだな ハガキリクエストが重要視されてたから
たまに変なのが上位にきてたな
坂本サトルとか汀夏子とか 放送のどれ位前に順位決めてたんだろ
生でやってるから毎回セットとか演奏とか準備大変だろう
スタッフからしたらあまりスタジオに来てくれない方が助かってたのかも >>210
10日前の火曜日ランキングの最終決定が出て地獄の構成会議で番組の演出を決めていた。
出演者のブッキングはアシスタントプロデューサーがランクインが予想されそうな歌手のスケジュールを予め調べていた。
あとギョロナベさんさんという強いプロデューサーもいたから、事務所側が忖度して木曜9時のスケジュールを開けていた側面もある。 >>210
ベストテンのディレクター・プロデューサーだった山田修爾さんの書籍にも書いてある
前々週金曜:有線集計
前々週土曜:ハガキ集計1日目
前週日曜:ハガキ集計2日目
前週月曜:ラジオ集計
前週火曜:レコード売上集計、最終集計→ランク決定、構成会議、出演交渉開始
〜火曜:中継手配、歌手や美術や構成打ち合わせもろもろ
木曜:本番 下位の人はセットなかったし、まあスタジオに来てくれる人は楽な方では?
ロケの時間調整とか場所の確保が今見ても無理ゲー。
当時でしかできないことやってる。 日テレのザトップテンは全てに於いてダサかった
司会の堺正章、榊原郁恵もダサかったし、修学旅行生が出てくるのもダサかった
一番ダサかったのは意味不明な猿のCG >>189
事務所が嫌で辞めたら、石原裕次郎が当時大臣だった兄貴に頼んでテレビ局に圧力をかけさせて寺尾はテレビに出られなくなったwwww >>216
寺尾聰が揉めたのは裕次郎じゃなく小林専務では? >>196
レコード売上絶対主義こそベストテンでトップは取れないけどオリコンなら1位を取れるおニャン子を持ち上げるために秋元康が言い出したことなんだよね はがきリクエストで組織票送りつづけた五木ひろしや西城秀樹がどうしたって レコード売り上げ30%、有線放送10%、JNN各局のラジオのベストテン番組30%、はがきリクエスト30% を指数化して9999満点で調整した数字がランキング 今週のスポットライトってコーナー作って大人の事情で出演させてただろ 各要素の比率は番組終了までに4回くらい変わっているけどね とんねるずの石橋が俺らはどうやったって1位になれない
CCBの倍、売ったって1位になれなかった
その恨みが後にベストテンの裏でみなさん始めて
ベストテンを潰した 当時はこの番組のランキング=日本の音楽ランキングだったからな シャネルズに対しての少年の黒人差別発言に激怒した黒柳さんが涙流して説明抗議してたのは良く覚えてる 某ラジオ番組で仲村トオルの歌が上位に入ってた記憶がある。公平じゃなきゃ地の底のハズだろアイツの歌唱力は。 歴代ランキングスレ当たりそうだな…
やはりあの意味か… 当時人気歌手が集まるのが紅白だけで価値があったのを
ベストテンで人気歌手が毎週毎週歌うもんでヒット曲の価値が下がってきた
それで歌謡番組がすたれてきた感じだ TBSはラジオでも、小川哲也の毎日がベストテンをやってたな。
音楽番組の全盛期だったわ。 神田沙也加さん、神田沙也加さんも草葉の陰からランキング上がるのを見守っていますか?
「隠れている」 バンドブーム、ニューミュージック、洋楽ブームで歌謡曲、アイドルはダサいという風潮なったからな ハガキの票は全部差出人チェックして、同一人物のは一票という原則があった、という話は聞いたことがある この時代でもリクエストハガキ書くバイトがあったってのは都市伝説? ごくたまにある50位からのランキング発表がすごく好きだった
その時に吉田拓郎の「唇をかみしめて」が29位に入ってて、それで興味を持ちレコードを買って聴いてみたら、全部広島弁、A面のみの400円という斬新な売り方に衝撃を受け、拓郎にはまって今に至る ベストテンはビッグバンドが下手なので嫌いだったなあ
どの番組もビッグバンドの演奏は下手なんだけど、ベストテンは特に進行がキツキツ過ぎて
余裕がないんだろうけど、何にせよへたくそで嫌いだった
だから、ロックバンドとかが自分のバンドで演奏する時はちゃんとしてるから安心できたね
特にひどかったのが八神純子の「みずいろの雨」で、多少込み入ったコード進行なのもあって
いつも「いや…それちょっと演奏おかしいだろ…」と思ってすごくストレスがたまった >>96
組織票は流石にわかるからカウントせず廃棄
やる奴らも考えが甘すぎる >>242
YMOの3人がビッグバンドをバックに歌ってたのは貴重。
あの頃のYMOはアルバム作ったときから解散する気満々で、格好の悪いことでも何でもやろうというスタンスだったし。 >>244
松戸競輪のテーマがランクインしたのは草 >>224
とんねるずは秋元の弟子みたいなもんだし、すでにフジっ子だったからな
>>227
黒人の「くせに」なんで香水の名前なの?発言だな
少年は悪気なかったかもな?徹子さんは過剰反応したけどね・・・ 松宮は女で自殺したんだよな
事故起こして乗せてた女から賠償金請求されたりして 1988年の今の時期の視聴率
まさかベストテンがこのたった9ヶ月後に一桁に落ち
1年8ヶ月後に終了するとは夢にも思わないだろう
ザ・ベストテン TBS
1988/1/07 21.9%
1988/1/14 25.6%
1988/1/21 23.1%
1988/1/28 25.0%
夜のヒットスタジオDELUXE CX
1988/1/06 19.3%
1988/1/13 14.8%
1988/1/20 15.4%
1988/1/27 18.9%
歌のトップテン NTV
1988/1/04 13.9%
1988/1/11 14.8%
1988/1/18 17.6%
1988/1/25 19.8%
ミュージックステーション ANB
1988/1/08 *7.1%
1988/1/15 *9.3%
1988/1/22 *7.4%
1988/1/29 11.1% 今のネット投票なんかに比べたらはるかにマシだったろうな 徹子 「とんねるずは2位までで、まだ1位を取ったことがないんですよね」
木梨 「ええ、トップテンではあるんですけど」
徹子 「・・・」
あの徹子をフリーズさせた名言 >>240
報酬をわたす形のバイトは分からないがレコード会社で「手伝ってもらった」り
ファンクラブが呼び掛けて書かせるのはあった 日本の音楽関係のランキング、賞から公正なんて言葉は消えて久しい >>251
あの少年が馬鹿すぎて、日本語の「くせに」の使い方を知らなかっただけだよな。
後段の、「なんで香水の名前なんですか〜」と接続できてなくて、意味が通じてない。 今でもFMラジオだとアイドルアニソン演歌等あからさまに除外してるランキングあるね オフコースの「さよなら」は出演拒否だったんじゃないか
今やオダサンはクリスマス深夜までテレビのお仕事してるけど 仕事でスタジオに来れない歌手は、現地から中継したりライブ感はあったな 横浜銀蝿がギリベスト10に入らない曲多かった気がするんだけど何かの意図が働いてたんですかねえ
ラジオのチャート番組では10位以内の曲結構あった気がするのに >>208
情報番組チーフプロデューサーが名誉毀損で賠償命令出されてるよな >>7
「心の色」は5週連続1位だから
他にもそのくらいの1位はいる。
1978年のツイストの「鉄爪」が10週で
早々破られる記録じゃないと思われてたら
寺尾聰が「ルビーの指環」で破って更に1週
積み上げて12週
その後、マッチや光GENJI辺りが8週くらいまで
いったけど、10週の壁があった。
番寺尾聰の場合、アルバムもミリオンセラーだった
当たり年だったから、文句言ってたのはマッチだけだった。
マッチ、トシ、聖子の1位阻んだのが一番の功績 >>216
揉めたのは裕次郎じゃなくコマサ
ルビーの指環の印税権の取り分を100%
プロ側に入れさせれて作曲した本人に渡らないように
したらしい。
別会社作って印税管理させてくれも却下されて、
怒った寺尾聰が西部警察下りてコンサートツアー
敢行、最終的に裕次郎と話し合いして破門扱いで独立
81年に稼いだ30億円はプロ側に渡して、印税権は裕次郎から
貰って独立したらしい。
テレビに出ない分、松本清張の「迷走地図」とか
映画に出ていた。宇野重吉の息子でサラブレッドなんだから、
いつまでも西部警察のイメージついた仕事だけやってられないだろうに
そこはやっぱり、他の軍団の俳優とは違ったんだよ。 >>189
毎週出てただろうに
たばこ一服しながらシャドー・シティーとか歌ってた
>>267
連続1位記録
1.ルビーの指環 12週
2.鉄爪 10週
3.ヤングマン 9週
3.ギンギラギンにさりげなく 9週
5.ハイスクールララバイ 8週
5.大都会 8週
5.セカンド・ラブ 8週
5.瞳はダイヤモンド 8週
5.ジュリアに傷心 8週
5.ガラスの十代 8週
などなど >>263
大阪MBSの関岡アナがそう、以前ラジオで思い出話ししてた「ナンノちゃんはホントに腰が低い私はもちろん照明やスタッフの全員に挨拶するんですもん」
「明菜ちゃんは細いんです、ホントに細い。ウェストとかビックリしましたよ」
新入社員だった関岡アナもあと数年で定年、なんかなぁ。 >>212
ランク決定から放映まで9日間も空いてたのか
急上昇ランクインとかの曲を急いで覚えて流行を追ってたつもりでいたけど
1週間遅れだったとはね 確か85年に久米退陣、松田聖子結婚休養、翌年岡田有希子自殺でアイドル冬の時代突入やろ。
時代はバブルに向かってたのに不思議やなぁ。 >>273
バンド・イカ天ブームがそのくらいからだろ そうでなきゃ寺尾聰の独占なんてねえわな
見た目も歌の辛気臭さも石原プロとの騒動も全部マイナスなのに この番組で影すら拝めなかった中島みゆきやら矢沢永吉が
まさか紅白に出るようになるとはな… 矢沢は確か出なかった みゆきは工藤静香の曲作ったとき電話で出た
布袋はボウイのとき出ずに徹子の部屋で黒柳さんに謝った
氷室は無名時代にトップテンには出た >>253
へー88年時点でも20%台だったのか
もっと落ちてる印象だった
久米さん降板からも結構頑張ってたんだな >>280
みなさんのおかげですレギュラー放送開始が88年秋
そこから1年でベストテン終了だからね
番組自体が弱体化してはいたんだろうけど完全にとどめさす形になった 番組末期はおニャン子が大人気の頃で 新田恵利が「冬のオペラグラス」で1位になり その生歌「冬のっ オペラっ グラスでー」を聞いて
「これがベストテンの1位だと…」
俺の頭の中で何かが音を立てて崩れて行った その時全ては終わった >>282
ああ、そっかみなさんのおかげか…なるほど >>283
冬のオペラグラスは1位になってないけどな 小西博之はザ・ベストテンの司会者に抜擢されたのは凄い事だったろうな。 >>285
初登場8位かなんかで出てきたな
その頃、こっちは夕ニャンは放送してないからまったく知らない新人
いったい誰だ、なんでいきなりランクイン
しかもブス、そしてとんでもないオンチ
まったく意味がわからず、番組が仕掛けたドッキリかなにかの企画かと思った >>286
俺もそれが原因の一つだと思う
クソガキがでけえ面してて不快感しかなかった >>289
立見りかの衝撃の歌唱に比べればそんなもの… オフコースとかのニューミュージック系はことごとく無視して欠席
オフコースは1回だけインタビューで出た
千春は長い夜で1回出た 長渕も何回か出た >>292
千春は長い夜の前に出てる
千春が時間取り過ぎて百恵が歌えなくなったという逸話は有名 >>284
ダーイシがベストテン潰したどころかTBSとフジテレビの局としての力関係を完全に逆転させた。
ある意味ベストテンの終了は全員集合以上にTBSの制作部門(ドラマ、バラエティ制作)にとっては大打撃だった。
結果、この傷を30年近く背負うことになる。 >>291
トップテンだけど、椎名恵と吉沢秋絵で2曲続けて歌ったことがあって、
その歌唱力の差が凄かった おニャン子でフジと揉めたくせに公正なランキングはないだろ
おニャン子の問題はさておき明らかに順位を低くつけてたのは間違いない もう他局とか関係ない
1984年ぐらいからヘロヘロだったからな おニャン子関連の順位が不当に低くてフジのディレクターがどうやってランキングつけたのかデータ出してって言ったら出さずに
じゃあ説明してくれって言ったらハガキが〜ハガキが〜でそれで出演拒否
公平ではなかったよな そもそもおにゃん子が歌謡曲をほろぼしたのだから おにゃん子の
順位とか関係ないんだよ >>300
おニャン子人気なんて短期的なものだしそこまで影響なんかねえぞ? >>295
本来は吉沢秋絵がスケバン刑事2の主役のはずだったんだよな
なんたって2代目麻宮サキオーディションで優勝
田辺エージェンシーなんだから、優勝→主演の道は最初から決まっていた
だがフジのプロデューサーが南野陽子のグラビア見て一目惚れ
本人も「なかば強引に彼女を主役にした」と回想してるくらいだから
実際は田辺と相当やりあったんじゃないか
よくやったと言いたい >>298
順位が公平だったのは最初のうちだけだろうな
野外でやった特別回のときそれまで1位だった明菜が出演できなかったんで
その回だけ杏里が1位になってて思いっきり不自然だった >>301
だからそれを言ってるんだよ
おにゃん子とかで大衆は離れた 公正ではないと思うよ
制作サイドなら多少のやらせはやるだろ
レコード大賞みたいに呆れるほどあからさまにやらないだけ >>302
雪乃さん程度の役でもスケジュールめちゃくちゃで中盤ずっと入院してたのに
おニャン子兼任で主演なんかやれるわけがない
ありゃ最初から話題作り前提のサブヒロインポジションだったんだろう >>304
その後普通にアイドル四天王時代もバンドブームもあったけど
大衆が離れたって何? >>133
吉川晃司とチェッカーズはかなり後だよね >>14
中島みゆきなんて割とランクインしてたけど遂に一度も出なかったよ
松山千春や井上陽水、松任谷由実でさえ1回は出演した そもそもタイアップやプロモーションの差があるから公正ではないけどな
適当でいいやんな
しっかりやってます感が逆にキモいわ >>307
あー全然しらないんだ
みんなが知ってるヒット曲がなくなっていくんだよ
歌謡曲時代の終焉
それでベストテンの視聴率も低下していった >>14
雨音はショパンの調べ小林麻美は一度も出なかった
あとフォーク系とかテレビでなかったね テレビに出ないってのは吉田拓郎が始めたんだよ
それにみんな追随したんだよ
だから中島みゆきや南こうせつは出なかったろ 原田真二=テレビ出る
サザン=テレビ出る
ゴダイゴ=テレビ出る派 >>316
おにゃん子はアイドルヲタが買うだけで
多くの大衆は離れていった だから
歌謡曲の大衆ばなれの一つの現象 終盤は歌手はテレビに出ない方がミステリアスな人気につながったような
そのころいつもでてたのヒカルゲンジばっかりでつまらなくなった おにゃん子の曲のオリコンチャートアクション見ればわかるじゃん >>317
90年代とかにCD何十万枚とか売れた曲は無視? >>318
あー全然しらないんだな
それ70年代からのやり方。
吉田拓郎が始めたことで
だから中島みゆきも浜ショーもエーチャンも出なかったんだよ >>320
いつの時代の話だよw
ベストテンが視聴率が下がって終わっていったことの背景の話だよ
90年代のJPOP時代の話はその後の話だろ
あーめんどいな 雨音はショパンの調べ小林麻美はインタビューで言ってたが
本人は出るつもりだったようだ
出てくれれば伝説になってたけどなぁ >>296
レコードの初動順位だけ重視してたから
他の要素が低くて、上位に入れなかったんだよ
それは仕方ない >>306
主役でもない、おニャン子でも浮いてた
(1986年春にはソロイベント『春から秋絵』が催されたが、同時期に催されたおニャン子クラブ本体のコンサートのチケットがプラチナ化したのに対し、
閑散とした状況で、本体のコンサート会場に「特設チケット販売コーナー」が設けられた上、「他メンバーのゲスト出演あり」を匂わせて宣伝)
これじゃメンタルやられて入院するわ
最初から南野主演なら主題歌が吉沢秋絵なのはなぜ
そこは田辺に譲ったんだろ >>298
4要素は毎週冒頭に紹介してたから
それ以上出しようがない >>32
でも、作詞家だか作曲家の先生が細川たかしの事をボロカスに言ってたのを覚えてる。ちあきなおみの矢切の渡しの出来栄えに大満足してたのに色んな力が働いて細川たかしの方に力が注ぎ込まれた。
それに対して、その先生はちあきなおみの矢切の渡しは本当の渡しが見えてくるほど艶がある。細川たかしの矢切の渡しは単なるモーターボートだ、あんなの演歌じゃないとまで言い切ってた。このおっさん大丈夫かって思った覚えがある。 ちょっと前CDTVかなんかでどう考えてもLiSAが1位だったのにジャニーズが1位になってたな
そら馬鹿らしくなって見なくなるわ >>273
アイドル全盛期とバブル世代の思春期がほぼ重なるな >>334
当時テレビにでるのは歌謡曲と演歌と相場が決まっていた
テレビで歌うと値打ちが下がる堕落と考えてたかもね >>251
そのフジもまさかやまかつの真裏にとんねるずの生ダラぶつけられるとは思ってもなかっただろうなあ 時間が押して1位のピンクレディが
早いスピードで踊らせられたのはかわいそうだったw
待たされての出演時間短縮とか >>1
公正どころか組織票オンリーってぐらいだろ
この時代だから同一IPチェックとか同一クッキーチェックとか今なら当然やってる機械的なチェックなんて全くなかった時代だしな >>337
フルコーラス歌えなくて曲のストーリー性を表現できないからという理由もあったな >>334
中島みゆきが出ないのは歌詞間違えそうだから
松山は出てる >>342
本当はテレビに出ないことが戦略として機能したからだよ
吉田拓郎が始めたことに追随した 50年代60年代からの芸能事務所の創業者は進駐軍キャンプで演奏して
血眼になって銭稼いでた時の感覚で以って客にウケるもの売れるものを重視する
阿漕であっても質が悪かろうと徹底的に利権を固めてビジネスをやるのが芸能事務所のやり方 村下孝蔵は出たかったけど病気で出れなかったんだっけか >>334
後ろで座ってる待ち時間とかアホらしいじゃん
それに久米黒柳にアホな受け応えしないといけないし 個人的にこの番組の最後の盛り上がりは、88年6月の
田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」中森明菜「TATTOO」
この両者が第1位を争っていた頃。 >>343
拓郎は元々はすごいミーハー(アマチュアバンドの時に渡辺プロに飛び込み面接に行ったくらい)
だが、テレビ番組のオーディションの時にワンハーフで歌をまとめてくれとスタッフに言われたその意味が分からずにフルコーラス歌おうとしたら、司会やってた一流歌手のFにボロカスに怒鳴られ退場させられた
その恨みで絶対テレビには出ないと誓ったらしい(だがたまに気に入った音楽番組には出たりしてた) >>324
with C-POINTのメンバーも見られたのにな >>351
「もう帰らせていただきます!!」
てな感じで退場させられた認識でOK
吉田拓郎、スター千一夜とかには出ているしな。 薬師丸ひろ子が出るってなった時は
ファンじゃなくても
あの薬師丸ひろ子が下界に降りて出演だなんて
なんてありがたい信じられないって感じだった >>1
1981年なら今みたいに多様な娯楽無かったから当時のテレビの視聴率は結構嵩上げ状態だと思うよ。
当時の視聴率が40%なら今に置き換えるとせいぜい15%〜20%程度でヒットしているドラマと遜色無い。 >>328
そのハガキを見せてくれって言ったら拒否されたから出演拒否して正式に抗議してる
結局ハガキという名目で局側は順位を操作してたんだよ 吉田拓郎がテレビを拒否したのは偶発的な出来事からだけど
それが偶然にも新しい戦略として機能したんだよ。
これをモホロビッチ不連続現象という リクエストはがき票があるからレコードは聖子明菜のほうが売れてるのに
今みたいな権力無かったけどジャニーズが強かったな
中山美穂なんかヒット曲多かったけど1位取れなくて人魚姫でやっと1位とって
その時出演した6才の弟がのちのゲームセンターCXの中山になる アイドルが下火になったのもあるけどバンドブームでランクインしたバンドが全然出てくれない
ってのが決定的だったよなぁ 山田プロデューサーがBSTBSで作った
最良の音楽ドキュメンタリーがSONG TO SOULという番組。
これを残して山田は旅立った >>1
>また、公正なランキング形式というスタイルは、音楽番組になかなか呼ばれなかった弱小プロダクション所属の歌手にも等しく光を当てた。それも『ザ・ベストテン』の功績だと思います」
ああ、なるほどな
これは大きいよな
今じゃジャニーズエイベックスに血塗られてるからな >>364
ハルブレイン、オデッタ、ベンEキング他多数
亡くなった人も多いから貴重な映像遺産となったろう 子供の時突然光GENJIが一位で出てきて
誰コレ?クルクル何で?てぽかーんとしたの覚えてる
あれはジャニとの結託じゃないん? チャート的にいえば1年半後から始めて半年でつぶれたフジの番組の方が公正な感じだったけど。 子ども心に芦屋雁之助の娘よと奥飛騨慕情とおら東京さいくだがベストテンの思ひ出 黒柳と久米が、大みそかのレコード大賞の司会を2回担当したが
レコード大賞の順位が、ザ・ベストテンの順位と大きくかけ離れていた。
そのため、黒柳が久米に、「この司会、辞めませんか?」
と持ちかけたので、久米はもろ手を挙げて賛同し、レコード大賞の司会を降板した。
と、久米宏の著書に書かれていた。 別にランキングに不満なんてなかったけど
それぞれのアイドルや歌手のファンにとっては不満があったんだろうね。
ファンクラブでにリクエストハガキを出してたとか当たり前だったようだし。 自分はおニャン子のファンだったけどベストテンでまで
観たいとはあまり思わなかったなあ。
夕ニャンというホームでこそ輝いてたと思うしアウェーで通用するはずも
ないと分かってたし。案の定扱いも微妙という感じで後にフェードアウトしていった。 ZARDとか大黒摩季とか本当に実在するのかと思ってたわ 中島みゆきは新人の頃になんかの歌番組に出た時不当な扱いを受けてそれがトラウマになってテレビ出なくなったみたいな話を聞いた事があるな >>298
>不当に低くて
今ほど他局の番組の名前を出していい時代じゃなかったんだよね
上層部がフジの宣伝なんかしてやらなくていい、といってこじれてたはず >>288
欽ちゃんの週刊金曜日のおかげだろうなあ
タンクトップといえばコニタンと松本人志が言うくらい ベストテンは夜9時だったから若いアイドルが出られないってことあったよね。
光ゲンジも年下メンバーが出演できなかったりとか。
少女隊でも引田天功の娘だったトモが中学生だったから
お休みっていう回もあったと思う。
トップテンは8時だったから平気だったのかな。9時以降っていうのが線引きであったのかも。 >>35
「季節の中で」だね
当時ファンだったし見ててグッと来るものがあったけど、単にテレビで顔が売れるとカリスマ性がなくなるって計算なんだなとよくわかる レコード売り上げでもラジオオンエアでもランキングされていなかった五木ひろしの「おまえと二人」が、
視聴者からのハガキ1位というだけで何週も1位だったのに公正? 沢田研二はハガキだけは上位に入り続けたけど
レコードが売れなくなったから総合ランクインできなくなった
そのあたりはシビアだと思うよ
おニャン子はレコードが瞬間的に売れてるから10位圏内には一応入ってる この番組はセットがよかったね それがトップテンとの違い
毎回アイディアがあって感心させられた 雲の上で歌う谷村新司とか
けっこうカネかけていた 次の人紹介する時にワンフレーズ歌ってバトンタッチするのとか
普通にトップアイドル同士コラボしてるのとか(フミヤと明菜ちゃんとか)好きだったな〜 森高が初登場で回転扉から出てきた時に凄いローアングルで撮られたのは覚えてる >>374
大黒摩季は一部で存在しないのではと言われてたが、ZARDは散々元レースクイーンと言われてたろ 今はランキングだの何とか賞だのって出来レースばっかりだからな ファンが有線にリクエスト電話かけまくって1位にしたというのが
美談として語られた時代 >>387
17才で振り返る時にパンチラさせて、お尻のMの字を見せる振り付けだったのに
ベストテンではその時にぜんぜん違うところを映すという大失態
(おそらくリハーサルでは森高がやらなかったんじゃないか)
歌い終わった後、徹子が「さっきのはどうやったんですか」と
なんとかもう一度やらそうとしたがやらなかった >>391
そういう人がいたおかけで有線から最新の曲ばかり流れてたのもあるかもね
そうじゃなきゃ有線なんて古い演歌、歌謡曲だらけ >>1
女性と名の付く雑誌はゴミ率100%の法則を裏付けるお笑い文章 >>358
現在なら個人情報も関わるからハガキは非公開って断られてるだろうな
当時でも、はがき見せろと言われたら、おにゃんこ関連のはがきの大半を除外してから
見せればいいんじゃない?
本当はフジも「自社アイドル」を売り出したいと思う反面
ライバル放送局の視聴率稼ぎのために出演させたくなかったのかもな 当時は有線リクエストにしろハガキにしろ、サクラやとって
大量投下してたのは演歌歌手関連のレコード会社とか事務所
演歌歌手は一曲あてるとクラブ巡業なんかで一生食えるといわれてた時代だからね
サクラ頼みのド・演歌歌手より下位のランクで一流歌手が出たいと思うわけがない
番組末期は演歌と新人アイドルなんかの宣伝番組に成り下がって終わったな >>398
最終盤に演歌はほとんど入らなかっただろ
演歌はレコ大取りにくくなってポップスと分けて受賞させるようにしたけど
それも不評だったらしく数年で終わった
ちなみに93年に終わった歌謡大賞の末期の受賞者がなんとも寂しい >>180
少なくとも初期は
レコード7%×3社、有線放送10%、ラジオ29%、ハガキ40%の順位点制で
検証してるサイトだとこれでやると第一回のランキングは説明つくらしい
オリコン丸呑みではないのは意外。あとラジオの局ごとの比率をどうしてたのかはわからない ランキングでオリコンの占める割合はわずか7%か。
CDTVは8割以上だろ。 当時のレコード市場調査会社は3社あったからそれを均等に集計した感じだな
1967 オリコン(独立系)
1970 ミュージックラボ(電波新聞系)
1974 ミュージックリサーチ(日音系)
星光堂のPlanetとかもあったけど有名どころは3社
今はオリコンと1995 SoundScan Japan(Billboardの Top Singles Salesで使用)だな レコード売上げ高かった山下達郎の「Ride On Time」や財津和夫の「Wake Up」がランクインしなかった時にチャートに不信感をもったな。
あとYMOの「テクノポリス」と「ライディーン」に至っては20以内もかすらないしおかしすぎる。 番組が終わった1989年あたりって、工藤静香とかウインクが跋扈してたよな >>403
洋楽とインストもの、あとレコード売上で別枠扱いされてたアニソンは除外されてたはず
でも、ABBAは日本でも大ヒットしたからスポットライトに出てたりする >>327
>最初から南野主演なら主題歌が吉沢秋絵なのはなぜ
まさになぜの嵐 >>14
ちょうど見てた頃、ツイストが銃爪で10週連続トップで出てた。
10週目は土下座姿で視聴者に感謝してた >>391
喫茶店バイトでヒマなときバイト仲間でリクエストしてたな
洋楽chだけど ふるっ
40前のオッサンのワイでも見たことない番組やで 寺尾聰のルビーの指輪が
嫌いだったw
だっていつも1位で他の人が
1位取れなかったからなぁ
聞きすぎて歌えちゃうもんなぁルビーの指輪w リクエストの比重が高くてレコード売り上げダントツ1位のピンクレディのモンスター、透明人間、カメレオンアーミーが1位を取れないのが納得いかなかった。 >>406
その何れにも該当してないけど。
YMOも30何位にはランクインしてたし。 >>411
ついでにベストヒットUSAとボッパーズMTV語っちゃうぞ。 >>415
で物品税で軽減税率受けていたから他のレコードと一緒に扱えなかったという時代背景もある。 >>419
なるほど
アニソンは普通のレコードよりいくらか安かったのはそういうことなのね 1位の点数とランキング下位の差がなかったから
(1位が9000点ぐらい、10位が6000点ぐらい、20位でも4000点ぐらい)
年間ランキングだと爆発的に売れる曲よりも、チビチビ長く売れる曲の方が有利だったので
やたら演歌が強かったのが不満だった >>397
フジとTBSの確執はモモコクラブの存在だろ
おニャン子は普通にトップテンの方には出演してたんだから TBSがモモコクラブ売り出そうとしてたとは思えないが >>152
昨年末の紅白出場歌手、例えば、milet、BiSH、平井大、宮本浩次あたり。
なぜ今回選ばれたか、日本人の6割が納得する説明ができる人がいるか?ってこと。
所属レコード会社以外の説明が難しい歌手を選びすぎなんだよ、今の紅白は。
現状の出場歌手を見ると「AKB48はキングレコード所属だから出場が難しい」
と言われたら、納得してしまいそうになるよ。それくらい歌手選考が偏っている。 ファンは推してる歌手のランキングを上げたくて何枚もハガキを書いていたんだろうな 昔、レコードの売上枚数はレコード会社自身が発表していた
「これじゃ本当に売れてるかわからない」
そう疑問を持ち、レコード店をまわって実際の売上枚数を調べ
それを集計してランキングを作ったのがオリコンの小池聰行
信頼できるデータの登場は業界で引っ張りだこになり今の地位を築いた >>406
杏里のキャッツアイはアニソンじゃないのかな
ゴダイゴの銀河鉄道999とか TBSがガチって言っているということは、
ガチ(やらせ)ってことやろうな あの頃のTBSは良かったね
朝鮮人が入ってから無茶苦茶になった >>429
横だがアニソンが除外されていたなんて聞いたことも無い ベストテンとかトップテンとかこういうランキング番組が好きでその後洋楽は
アメリカンTOP40聴いたりベストヒットUSA見てた
ベストヒットUSAはラジオアンドレコーズのチャートだったが
今はビルボードになってて驚いた
潰れたんだね ランキングは何で決めたんかな
投票・売り上げ・有線リクエスト
投票はあかん組織票が入るから >>403
山下と財津はベスト10には入らなかったがベスト20には入っていた気がする
テクノポリスはオリコンで最高10位くらいでライディーンは最高14位くらいだったから
入らなくてもそれほど不思議じゃない >>436
ハガキ・ラジオ・有線放送・レコード売上 マッチみたいなオンチがトップテン入りするよくわからない時代だった >>436
投票こそが肝だろ
投票こそ視聴者と番組を直接つなぐアレなんだから
組織票は無い方がいいけどある程度は必要悪 >>439
オンチってマッチだけだったか?
歌のうまさなんてアイドルにとってはそれほど求められてない時代だったし
それは今でもそれほど変わって無いのではw とんねるずがオールナイトニッポンリスナーを煽ってリクエスト部門だけ1位になったことは覚えてる >>69
しぶがき隊ファンの友人に頼まれてハガキ書いた思い出が蘇ったわ
ちゃんと名前も確認してるらしいって話で
うちの家族全員とペットの犬猫の名前まで使って書いたわ
懐かしい >>445
浅田美代子は「歌手なのにオンチ」と笑われた
当時はアイドルでもちゃんと歌えるのが当たり前だったから
他にも大場久美子だの能瀬慶子だのいたけどあくまでにぎやかし
歌手としてトップになることはなかった
それを変えたのが小泉今日子
あれだけかわいいと歌は下手でもいいやとなった
その後は南野陽子だの中山美穂だの菊池桃子だの歌が微妙でもトップに立てるようになった
いつしかアイドルは歌が下手が当たり前になり
「この子はアイドルなのに歌がうまい」とおかしな褒め方をするようになった 浅田美代子はNHKの歌手審査に落ちて紅白に出られなかった
多分唯一の人 小泉は、「スタ誕」出身者なので、その例としては間違っているよ
あそこだけは「ガチ」だから。 >>423
フジがモモコクラブはおニャン子のパクリ、と非難してきたけど歴史はモモコクラブの方が先で
むしろおニャン子がモモコのぱくりだぞバーカ、みたいな泥仕合の結果がベストテン出演拒否に繋がってった流れ >>429
そのあたりはさすがに童謡じゃないでしょ >>437
達郎と財津が当時の流れでtop10に入ってないのはおかしいだろ 郷ひろみも後期出演拒否してなかったっけ?
自分の大事な曲がランク付けされるのやだ、みたいな理由で 今だってネット投票では変なランキングになったりするし
いつの時代も変わらないんだよ、人の欲望っていうのは。
NHKのガンダム大投票でキャラ一位がオルガとかいう全然知らん奴で
唖然とした。どうやら痛いオタの組織票だったらしいけど。
結局すべての作品を合計したポイントではめでたくシャアが総合一位になって
格好は付いたんだけど。 歌の大辞テンは初期の頃はアニソン消されてた。
98エヴァの頃から変わってきた。 >>39
全国紙の投書欄で
褌にガッカリって投書があったwww >>455
過去曲のランキングに「宇宙戦艦ヤマト」が入ったのは、その後だった?
自系列だもんな。 井上大輔 「哀 戦士」 (1981年)
1981年7月5日リリース(キングレコード)
オリコンシングルチャート最高9位(年間67位、21.7万枚)
ザ・ベストテン最高13位
ザ・ベストテン「今週のスポットライト」出演(1981年8月13日)
https://www.youtube.com/watch?v=0ljS0UtL4h4 空気を吸ってウソを吐く
パヨク(ゴキブリ韓国人)
が支配している
反日放送局TBS >>215
当時最先端のCGがダサくて、アナログなパタパタが洗練されカッコ良かった。
あのパタパタのカッコ良さは普遍だと思うわ。 >>353
布施明がカックラキン大放送などバラエティ番組でやってたギャグの元ネタはそれだったのか?! 自称音楽好きでさえ今でも「好きな音楽を自分で選んで聴いてる」のではなく、レコード会社やメディアに「選ばされてる」のである
世界に10000あるうちの100の中から選ばされてるのである
今はいくらでも自分で探せる良い時代のはずだが ベストテンのスペシャルでアニソンメドレーをしたあと、黒柳徹子が
「スペシャルだからアニソン流したけど、通常回ではアニソンは流しません、無駄ですから良い子のみなさんはランキングハガキを投書しないで下さい」みたいな事いってたぞ
で何ヶ月かたったらキャッツアイがランキングされてた
ベストテンでのアニソンのランキングはキャッツアイ以前以後で話しは変わるんだと思う それ以前にも銀河鉄道999やヤマトより愛をこめてがランクインしてるから
除外されたのは、オリコンの「TVまんが童謡部門」チャートに分類された曲だけじゃないかな 純粋にオリコンの国内盤チャートを使用していたかもしれない >>215
トップテンは公開放送で目当ての歌手が出ると客がうるさかったなあ。。
出演する歌手もロック、ニューミュージック系はあまりなく、出演交渉のしやすい?事務所の歌手が
常連のように出演してたので、まあ昔ながらの歌番組と言う感じだったなw
そんな意味でも洗練さは感じなかった >>215
猿=堺正章(西遊記)
で、榊原郁恵→豚で初登場歌手との記念撮影する時、榊原郁恵が豚のぬいぐるみもって「ブッ」ってやるんだよな
今なら炎上案件 >>215
同意。
中でも最大のダサは、「会場のセット」だろう。
最近ようつべで見たものでも、意味不明なでかい女性のセットだの、ただのでかいリンゴだのと
演出意図が分からなかった。
それならまだベストテンの、「全員がふんどし」というのは男らしくてよかった >>461
この放送みてこのレコード買ったわw 次の「めぐりあい宇宙」も買った
トップテンは10位くらいに入ってたような記憶
肺活量すげえ >>31
おニャン子が第一波、口パクの光GENJIが第二波だな。
光GENJIはエンターテイメントとしてはすごいが、当時もあれは「歌手」とは違う何かだと思っていた。
トシ、マッチ、シブがき隊、少年隊までは歌唱力は今イチでも一応歌っていたからな。
ただ、80年代でもチェッカーズのフミヤくんが出現した時点で、ジャニーズ勢もベストテンでなかなか1位は取れなくなったな。
チェッカーズがやや歳を取り、アイドルから大御所アーティスト枠に移行したタイミングで光GENJIがデビューしたから、この2組はアイドルとしては微妙に時代がずれている。 >>367
あれを生放送で流すのは放送事故だったよなw
あの回は、台所で食器を洗っていたうちのオカンが、安田成美の歌がテレビから流れてきた途端に本気で苦しんで、早く、早くチャンネル変えろと必死で訴えてきた…w
当時の漫画で、水爆を打ち込んでも平気な宇宙人が地球を攻めてきたので、安田成美のレコード聴かせて撃退したというネタもあったな…。 夜のヒットスタジオの井上順&芳村真理も早口で丁々発止なのは久米&黒柳に負けてなかった。
井上順は歌手同士なので遠慮なくボケかまして暴走するところは久米より面白い。 >>461
たかじん・ヒデキ・谷村新司・石井竜也・ラルク以外、ガンダム様々やね。
井上さえGS人気は過去のもの。あいぃーとイエッスマイシーーで長く人気 谷村「初めまして桑田くん。キミの歌詞、なんかエッチで僕と同類の物を感じるんだよね。今度、僕な行きつけのエロ本屋でパーティーしない。」
桑田「はぁ、ハイ…」
谷村「いゃあキミとはいい友達になれそうだ、じゃあ。」
原由子「あの人と喋るのは止めなさい」
桑田「ハイ…」
バックでこんなやりとりがあったかも知れない。 >>215
両方毎週見ていたけど、公開生放送のライブ感(ただうるさいだけだけど)以外は何もかもベストテンに負けていたのは同意。 ベストテンが終了してから
ジャニーズはアイドルの売り出し戦略を変えたのだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています