【特集】松平健の紅白出場で振り返る「暴れん坊将軍」豆知識 起用のワケは“史実に近い身長”だった? [朝一から閉店までφ★]
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2021年12月30日
2021年大晦日放送の『第72回NHK紅白歌合戦』では、俳優・松平健(68)が特別枠にて17年ぶり2回目の『マツケンサンバII』を披露する。松平の代表作といえば、1978年1月7日から2008年12月29日まで832回にわたって放送された『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)である。紅白出場を祝し、“不朽の名作”のトリビアをピックアップしてみよう。【岸田法眼/レイルウェイ・ライター】
『暴れん坊将軍』はなぜ徳川吉宗なのか?
そもそも、なぜ『暴れん坊将軍』として江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗が選ばれたのか。『水戸黄門』は講談から始まり、映画、TBSの時代劇となった経緯があるのに対し、『暴れん坊将軍』に関しては講談すらなく、テレビ朝日(以下、テレ朝)が独自に生み出したキャラクターだ。いわば、時代劇の新しいヒーロー像を視聴者に提案したと言える。
1970年代後半当時、TBSの『水戸黄門』は平均視聴率30%超であったが、時代劇そのものは「冬の時代」と言われていたという。テレ朝は、その状況を打破すべく、「『遠山の金さん』のような“当たり狂言”(※客入りが良い芝居を指す語)を増やすと同時に、新しいスターを育てる」ことで話がまとまってゆく。
こうして、時代劇に新風を吹かせるべく、『吉宗評判記 暴れん坊将軍』が生まれた。徳川吉宗が抜擢されたのは、テレ朝重役の「吉宗は、ロッキード(事件)後の三木(武夫)首相に似ている」という発言にヒントを得たという。
当時23歳の松平健を主役に起用したワケ
徳川吉宗役には、当時23歳、知名度はあまりなかった松平健が起用された。当時の所属事務所である勝プロダクション社長で俳優の勝新太郎が「178センチの長身と端正な顔立ちは、時代劇の主役でいける」と売り込み、テレ朝との面談の末、受け入れたのだ。実際の徳川吉宗の身長は180センチと言われており、史実とピッタリ合うのだろう。
1978年1月7日(土曜日)20時、『吉宗評判記 暴れん坊将軍』がスタート。初回の視聴率は8.7%。当時、土曜日のゴールデンタイムはTBSの独壇場で、特に20時台の『8時だョ! 全員集合』は最高視聴率50%をたたき出すほどの超人気番組だった。当時は牙城を崩すことは困難な状況で、“洗礼”を浴びた。だが、視聴率はわずかながら右肩上がりとなってゆく。
『吉宗評判記 暴れん坊将軍』は当初ワンクール13回の放送予定だったが、制作の続行が決定。4月以降も放送されると、松平への注目は集まり、視聴率はさらに上がってゆく。そして、1979年4月7日放送回で初めて15%を突破した。テレビ業界では視聴率15%台以上がゴールデンタイムにおける「人気番組」「高視聴率番組」とされており、放送開始から1年3カ月でその仲間入りを果たしたのだ。
番組の人気は、小学生の社会科テストにも表れた。徳川吉宗の異称について「米将軍」と答えさせる設問に、「暴れん坊将軍」と回答する児童が続出したという。先生は△と採点し、半ば大目に見たようである。
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/12301000/?all=1
次ページ:大岡忠相と辰五郎は別の仕事にコンバートしていた
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/12301000/?all=1&page=2
次ページ:徳川吉宗の“任命責任”が問われない理由
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/12301000/?all=1&page=3 吉宗は155.5センチの肥満体。
持病として、本態性高血圧、前立腺肥大、右片麻痺があったといいます。 >>7
俺の誕生日は〜とかトンデも話はあった。当時そんな風習はないw 余の顔見忘れたか (カーン!)
ええい上様の名を語る狼藉者!切り捨てい!
カチャッ(カーン!)
チャーチャーチャーチャチャチャチャチャチャチャーチャーチャー(カーン!) 俳優だから仕方ないけど、コブシじゃなくてもビブラートぐらい出来たら良くなるのになぁ。ワザとあの歌い方なん?
紅白とか出るからボイトレ行けばいいのに。
さっきやってたテレ東演歌番組見てて他とレベルが違いすぎて悲しかった。 暴れん坊将軍の再放送たまに見るけど、ツッコミ要素満載で今見ても面白い >>9
俗説根拠のその数値だから何ともいえんが、本当だとしても低身長症だったのかもで納得は出来る >>14
これよく言われるけど
昭和のテレ朝って今と真逆でネット(フルネット)局が少なかったんだよ
それで他のキー局との相乗り系列(クロスネット)の地方局が多かったんだけど
このクロスネット局に受けが良い
=固定視聴者層を確実に掴む番組が優先して制作されていた
だから時代劇もそうだし刑事ドラマの「特捜最前線」であったり
ドラえもんや戦隊シリーズやプロレス中継なんかもそう
そんな訳で暴れん坊将軍も都市部より地方で人気があったらしい >>14
これよく言われるけど
昭和のテレ朝って今と真逆でネット(フルネット)局が少なかったんだよ
それで他のキー局との相乗り系列(クロスネット)の地方局が多かったんだけど
このクロスネット局に受けが良い
=固定視聴者層を確実に掴む番組が優先して制作されていた
だから時代劇もそうだし刑事ドラマの「特捜最前線」であったり
ドラえもんや戦隊シリーズやプロレス中継なんかもそう
そんな訳で暴れん坊将軍も都市部より地方で人気があったらしい >>14
これよく言われるけど
昭和のテレ朝って今と真逆でネット(フルネット)局が少なかったんだよ
それで他のキー局との相乗り系列(クロスネット)の地方局が多かったんだけど
このクロスネット局に受けが良い
=固定視聴者層を確実に掴む番組が優先して制作されていた
だから時代劇もそうだし刑事ドラマの「特捜最前線」であったり
ドラえもんや戦隊シリーズやプロレス中継なんかもそう
そんな訳で暴れん坊将軍も都市部より地方で人気があったらしい 松平健って どんな役やっても松平健にしか見えないと思うのは俺だけかな >>7
1999年7月の話だな
アンゴルモアの大王に引っ掛けたネタ 有島一郎さん演じるじいの存在こそ暴れん坊将軍の肝
後任を演じた船越英二さんは二枚目を捨て切れなかった印象 オープニングだったか、エンディングに出てくる城は姫路城。
西郷吉之助は身長182p つべで第1話が鑑賞できるが、サブちゃんやめ組の火消しの大部屋俳優の方々も
ここまで長寿シリーズになると思わずに引き受けたりキャスティングされたのだろうなと思う なんかもう出し物が無くなってきた感・・・・・・・
無理があるっていうか。。 >>9
確か歴代将軍の身長を模した位牌を調査して
この数字が出てきたんだっけ? >>19
テレ朝がネット局増えたのは平成新局大量開局以後だな。
もっともその平成新局が壮大な不良債権になりそうなんだけど。 >>14
ひょうきん族やる前のフジはこの枠で2%とかとってたw 暴れん坊将軍すきだったなあ
再放送やってると見ちゃうw 初期のころって暴れん坊が「潔く腹切れー」って言ったら潔く切ってたらしいな
それだと面白くないから、「ええーい、殿様とはいえ亡き者にしてしまえばいい」
なんてさらに憎さをアップして悪あがきするのがデフォになったな? 土曜8時 全員集合、ひょうきん族、暴れん坊将軍、巨人戦
金曜8時 金八先生、ワールドプロレスリング、太陽にほえろ、巨人戦
昭和の番組が凄い 釣りバカ日誌でどの回だか忘れたが、浜ちゃんが海釣りしていたら砂浜から馬に乗った松平健が現れたなー 宗像教授伝奇考だったかな
愛知県の大樹寺に歴代徳川将軍の身長を再現した位牌が置かれている
この位牌は将軍の身長を模して作ってあるとの説があり
綱吉124cm吉宗155cm
(だが吉宗は六尺180cmであったとの話。綱吉は小人症で当時としてもかなりの低身長)
吉宗の跡継ぎは側近にしか言葉が理解してもらえない常にヨダレを垂らしていた人物 この者は上様の偽物じゃ!ものども斬り捨てい!
くっ!もはやこれまで!
かくなる上は!出合え出合え!
上様がこのようなところに来るはずがない! >>53
得体の知れない化物にも臆せず成敗かますのは痺れたよ 暴れん坊将軍が再放送してたら、高齢者はテレビにかじりつくように真剣に見ている 女おかっぴきとか出てからクソつまらなくなった暴将軍。め組の頭はやっぱりサブちゃん。龍虎も必要だな。 徳川将軍が町内を歩いてるとか面白いよなw
そば屋にいたりw >>63
それは徳田新之助だぞ。
貧乏旗本の三男坊の 貞享元年(1684年)、徳川御三家の紀州藩2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる
元禄9年(1696年)末、13歳で従四位下右近衛権少将兼主税頭となり、松平頼久(よりひさ)と名乗る
越前国丹生郡内に3万石を賜り葛野藩主となる。またこれを機に名を頼久から松平頼方(よりかた)と改める
宝永2年紀州藩相続時に徳川吉宗になる
モデルの将軍様がけっこう松平だったからでね>起用理由 >>58
7人兄弟の末っ子だから末七
当時の貧乏子沢山にありがちな命名 今の役者さんも辛抱強く育てたら物になる人結構いると思うんだけど12話完結低視聴率で打ち切りではいい素材も育たないわな。 >>1
>『吉宗評判記 暴れん坊将軍』は当初ワンクール13回の放送予定だったが、
>制作の続行が決定。
当時のテレ朝の編成は偉かった
今だと視聴率が低いとすぐに打ち切りにしてしまうからな
まあ、スポンサーの兼ね合いもあるのかもしれないけど
最初は視聴率が悪くても、しばらく様子を見て続けてみることも
人気番組を誕生させる一つの方法なのだと思った >>70
当時30〜40%取っていた全員集合の裏で、何をやってもそんなに数字を取れないから開き直れたのかもね。 >>14
全員集合の裏なら十分合格点。
他にそこまでいけたのは欽ドンとひょうきん族だけ。 マツケンアリマでゴルシとキタサンブラックに乗ってほしかった…。 >>70
テレ朝は昔からこれだと決めたら粘るからね
自分たちの独自の調査で視聴者に好評だと判断したら
直近の数字が良くなくても放送を続けて様子を見る
だからニュースステーションもはぐれ刑事純情派もクレヨンしんちゃんも
放映開始時からしばらくは視聴率が低かったものの最終的には成功した
だがサンデーLIVE!! オメーはダメだ! >>66
め組の辰五郎、ハマリ役だったな
女房役の春川ますみや浅茅陽子も良かった >>75
サブちゃんがパンチパーマにしたのは暴れん坊将軍きっかけ
マメな >>41
第一話は一旦は反撃したが勝てないとわかると自分で腹切った
あと御庭番がやたら前に出てきてたな あと初期は若いだけあってか辰五郎がやたら喧嘩っ早かったw 紅白のマツケンサンバは身障者をピエロみたいにした演出がすごく違和感あった
そもそも昔のピエロやサーカスの曲芸師には身障者が多かったわけであの演出は生々しくてひいた 吉宗評判記の頃のフォーマットは最後は江戸城に悪の親玉が呼ばれてそこで吉宗の正体明かされて切腹を言い渡される感じだったな
そこでガックリと諦めて連れて行かれる奴もいれば死なばもろともと吉宗に切りかかってくる奴もいる >>79
そりゃあんたが年寄りなだけで
明るく楽しくなんだろうから
いちいち気にするなよ
ミゼットプロレスの人たちの悲劇を忘れたか >>81
小人プロレスなんてテレビ放映なんて絶対にされないよ >>81-82
まーたミゼットを知りも見た事も無いのが
バレバレな奴に限ってミゼットプロレスが〜と知ったかぶる
どうせ宇宙大戦争すら観てないんだろ?オマエラ >>74
科捜研の女もそうだね
第1シリーズは一桁が多かったのにシリーズ化された
第3シリーズあたりから視聴率が取れるようになって、人気ドラマとなった >>66
サブちゃんは東映ヤクザ映画に出たり、新宿コマ劇場の座長公演やったりしてるから演技は出来る 暴れん坊将軍が当たり役すぎて大河の武田信玄のオファーきてたのに断ざるをえなかったマツケン(代役の中井貴一は信玄でブレイク)
やがて暴れん坊将軍人気にあやかろうと大河でも吉宗を企画(吉宗はマツケンと正反対のずんぐり西田敏行)
なお終盤に尾張徳川藩主の宗春として中井貴一が登場する 毎週のように不祥事が起こるというのは、吉宗の統治能力の低さを表してるのではないか? >>74
テレ朝は内容を変えずに粘る
日テレはタイトルからかけ離れた内容になろうと同じタイトルで粘る >>91
勘定奉行とか吉宗在任中だけで数十人は変わってる計算になるからな 松平健や水谷豊が、映画会社が映画スター候補の新人俳優新規採用止めるようになり
テレビが新人俳優採用発掘する形になった時代の先頭
ドラマのキャリアは凄いが映画の実績キャリアはかなり乏しく、映画実績が今の
売れっ子若手俳優に負けるという妙な形のベテラン >>94
水谷豊は「青春の殺人者」の後に熱中時代の北野先生を演った
作品運に恵まれている 評判記の後番組「源九郎旅日記・葵の暴れん坊」
Uの後番組「若大将天下ご免!」
Vの後番組「将軍家光忍び旅」
どれも長く続かず終了した
橋爪淳や三田村邦彦を松平健に続く、時代劇役者に育てる動きがあったが
それも失敗に終わった
暴れん坊将軍の大ヒットは異例だったんだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています