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「週刊少年ジャンプ」で『ドラゴンボール』『ドーベルマン刑事』『電影少女』などの大ヒット作を飛ばし、「伝説の編集者」と呼ばれたマシリトこと鳥嶋和彦さん。その剛腕はマンガ界を越えて、あの名作ゲーム誕生にまで関わっていました。まさに伝説と呼ぶべき鳥嶋さんの驚愕エピソードをご紹介します。

●マンガ体験ゼロからスタートしたマンガ編集人生
中略

●初担当は『ドーベルマン刑事』
「週刊少年ジャンプ」で数々の漫画家を育てあげた鳥嶋さんが、最初に担当したのは『ドーベルマン刑事』を連載中の平松伸二先生でした。
鳥嶋さんがまず考えたのは、雑談ができるくらいしっかりとコミュニケーションをとれる関係になること。当時20歳ほどで打ち合わせでもほとんどしゃべらない平松先生と、いかに会話をするかと頭をひねり、思いついたアイテムはなんとエッチなビデオだったそう。新作を見つけては持っていき、それをネタにして話をするという作戦です。これは見事にあたり、3か月後には会話のできる仲になったのだとか。

平松先生の描いた女性キャラに納得がいかず、原稿が仕上がっているにも関わらず描き替えさせたこともありました。アイドル雑誌「明星」のグラビアの榊原郁恵さんを示し、こういうイメージにしてくれと指示します。細面の美人から、かわいいキャラへと徹夜で描き直させたその回は、読者アンケートでも上位に飛躍し、『ドーベルマン刑事』人気に火をつけました。

●鳥山明の500ページを「ボツ!!」
代名詞は「ボツ(不採用)」というほど、容赦なく「ボツ」を言い渡す編集者としても有名な鳥嶋さん。鳥嶋さんに見いだされ、『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』の大ヒット作をものにした鳥山明先生もその洗礼を受けたひとりです。

『ワンダー・アイランド』でデビューするも、読者アンケートで人気が出なかった鳥山先生は、その後1年間ひたすら原稿を描いては鳥嶋さんから「ボツ」をくらいまくります。その数なんと500ページ! その間「こうした方がいい……」などのアドバイスは一切なく、ひたすら「ボツ!」「ボツ!」「ボツ!」。 でもこれぞ、マシリト流の漫画家の育て方なのです。

鳥嶋さんは「いかに作家に無駄弾を撃たせ、いかに何度もダメ出しをするか」が大切だと言います。それは漫画家自身に「自分は他人よりなにが優れているか」を悟らせるため。編集者のアドバイスではなく、自分自身で気付くことで漫画家は初めて成長するという信念が、鳥嶋さんにはあるのです。

「ボツ」をくらい続けた鳥山先生はやがてアラレちゃんにたどり着き、『Dr.スランプ』という大ヒット作を生み出します。作品の中に出てくるマッドサイエンティスト「Dr.マシリト」は、鳥嶋さんから「一番嫌いな人間をイメージして描け」と言われ、鳥嶋さんをモデルに作り上げたキャラクターだといいますが、どこか憎めない悪役というところに、鳥山先生からの愛も感じますね。

●大ヒットゲームの立役者も実はマシリト
 マンガ編集者でありながら、鳥嶋さんはあのモンスター級ゲーム『ドラゴンクエスト』誕生にも関わっています。もともとゲーム好きだった鳥嶋さんは、70年代後半には『ドラクエ』のゲームデザイナーで、当時はまだフリーライターだった堀井雄二さんと、ゲーム仲間として毎晩遊んでいたそうです。

やがて堀井さんはゲーム制作の道に進み『ドラクエ』に着手するのですが、キャラクターデザインを鳥山明先生が担当することになったのは、鳥嶋さんのプッシュがあったからなのです。ドラクエがここまでのビッグゲームになったのは鳥山キャラの力も大きいことを考えると、鳥嶋なくして……とも言えるでしょう。また鳥嶋さんは『ファイナルファンタジー』(以下、FF)にも影響を与えています。

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