「コーチの岡田さんが慰めてくれてた」

元日本代表FWの城彰二氏が11月9日、自身のYouTubeチャンネル「JOチャンネル」を更新。“加茂ジャパン”について語った。

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 1994年に就任した加茂周監督の下で、98年フランス大会でのワールドカップ初出場を目指していた日本代表は、しかしアジア最終予選での成績が振るわず、予選途中で監督を解任。岡田武史コーチが指揮官に昇格し、チームを立て直して悲願のW杯出場に導いた。

 現在、2022年のカタールW杯への切符を懸けて戦っている日本代表も、2勝2敗でまさかの4位に低迷。第4節でオーストラリアに劇的な勝利を飾ったとはいえ、森保一監督は厳しい立場に立たされている。

 加茂ジャパンの一員だった立場から見て、当時と現在の状況は似ているのか。城氏は、まず「(両監督の)やり方は似ているかもしれない」と指摘。「加茂さんは、いいと思ったメンバーをほぼ固定してやっていくスタイル。森保さんもそうだと思う。システムの変更もほぼない」と続けている。

 当時、城氏ら“控え組”には、レギュラーが固定されていることへの不満があったという。

「サブ組はフラストレーションが超溜まってた。出せよ、俺たちをみたいな。準備しているわけだし。うまくいかない試合も多くて、俺たちを使えよと。でも、なかなか代えない。ここは似ているよね。森保ジャパンのサブ組もそう(不満に)思っているかもしれない」


 そして、その時との違いをこう明かしている。

「俺たちはメディアにも言っていた。ふざけんなよ、カズ(三浦和良)使わないで、俺たち使えよ、みたいな。カズさんが怪我もしていて、調子も悪かった。100%できない、パフォーマンスは40〜50%だったのは見ていて分かった。だけど使い続ける。それは信頼度があるからだけど、俺たちは調整していて、すごく動きがいい。いま出たらそれ以上に活躍できる(と思っていた)。このギャップが凄かった」

 そんなサブ組の不満を、岡田コーチが「わかる、わかるよ。何とか待てと言って、慰めてくれてた」という。

「いまの選手たちは言わないじゃん。言っていいのか分からないけど。俺たちは自己主張がすごかった。ただ、言って結果残せなかったら、叩かれるのは自分。そう思って、使えよ使えよと言っていた」

 ただ、最後まで加茂監督のやり方は変わらなかった。「結局変えず、結果も出なくなって、次負けたら終わりだという時に加茂さんが更迭されることになった」と振り返っている。

 それまでメンバーとシステムをほぼ固定して戦っていた森保監督は、崖っぷちのオーストラリア戦で4‐2‐3‐1から4‐3‐3に変更し、田中碧をスタメンに起用。この策が奏功し、何とか2‐1の勝利を収めた。こうした柔軟な采配を今後も振えるのか。注目される。

サッカーダイジェスト 11/10(水) 6:15
https://news.yahoo.co.jp/articles/a08957a63804609b2a637d0f885e0ebf716fc64d

写真
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