テレビの大相撲中継を観なくなってどのくらい経つでしょうか。実家にいた頃は、場所中は常にNHKがついており、何気なく「結びの一番」まで観るのが習慣だったため、今場所は誰が好調で、番付はどのようになっているかぐらいはいつも把握できていました。先日、「横綱・白鵬が引退」というニュースに母親が大騒ぎをする横で、大相撲に対する熱量がだいぶ薄れてしまったことを実感した次第です。

 白鵬が横綱になったのが2007年。私が実家を出たのも確か2007年。よって私の「大相撲の記憶」が、それ以前の朝青龍や魁皇や千代大海あたりで途切れているのも合点がいきます。あれから14年もの間、白鵬はずっと綱を張り続け、大相撲界を牽引してきたのかと思うと、遅ればせながら彼がどれほど強い力士だったのかが分かると同時に、歴史的にもとんでもない時代を見過ごしてきてしまったのだと後悔の気持ちでいっぱいになります。何でも数字でしか物事を評価できない日本人の気質はあまり好きではありませんが、それでも改めて白鵬が打ち立てた記録の数々を見るにつけ、「なんでこんなに凄いことが起こっていたのに、私は大相撲を観ずにいられたのか?」と不思議になるほど、彼の残した数字は突き抜けている。

 もちろん彼が長らく横綱に在位し、歴代最多の優勝回数を重ねていたのは知っていました。と同時に、その相撲や言動が様々な物議を醸していることも目や耳に入ってはいました。実はここに、私の心が大相撲から離れていった要因があるのです。

 かつて曙や朝青龍もそうでしたが、「外国人力士」と言われる人たちが角界を席巻するとともに、急に世間が「横綱の品格」なんて言葉を声高に叫び始めるあの感じが、どうにもこうにも気持ち悪かった。

 日本の国技のひとつでもある相撲に、一定の保守的な価値観や規律を課すのは確かに大事です。しかし、朝青龍や白鵬に対する否定や批判は、ただの「やっかみ」にしか見えないものが多かったように思うのです。ひたすら強い外国人に対して「品格」などという荒唐無稽とも言える概念を振りかざすって、それこそ品位や民度に欠ける行為じゃないのか? ましてや勝負の世界なのに、です。

 白鵬さんの気質を見聞きする限り、必ずしも万人が付き合いやすい人柄ではなかったようですが、そこを非難する人たちには「わがままと気まぐれはスターの必須要素」であるという根本的な現実を受け入れる度量が圧倒的に足りていない。天下人(スター)の魅力というのは「はみ出ている」ところにこそあるのに、どうしてそれを叩くことしか能がないのか。他人に謙虚さばかりを求めるのは、世の中が経済的にも精神的にも貧しい証拠です。それでいて「近頃は圧倒的スターがいなくてつまらない」などとわがままを抜かす。

 どうせ何年かすれば、世間は「史上最強の横綱・白鵬」を手放しに讃え、下手すりゃ憐れむ風潮すら出てくるのでしょう。しかし「白鵬に対する仕打ち」は、日本をさらに「スターの生まれにくい国」にしてしまった気がします。これは取り返しのつかない損失です。

ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場〜語り亭〜」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する

※週刊朝日  2021年10月22日号

https://news.yahoo.co.jp/articles/3da54fdb63fab1d861de1b9a761075bdd7716790