大相撲の第69代横綱白鵬(モンゴル出身、宮城野部屋)が引退した。14年間も横綱として相撲界に君臨、優勝回数は前人未到の45回を数え、幕内通算1093勝などほとんどの大相撲記録を塗り替えた。

 6場所連続休場明けで、進退をかけて臨んだ2021年7月の名古屋場所で16度目の全勝優勝を飾ったが、9月の秋場所後、「右ひざがいうことをきかなくなった」と協会に引退届を提出した。近年は土俵上での粗暴な取り口や、横綱らしからぬ言動が批判を集めることが多くなった白鵬は、19年に日本国籍を取得しており、今後は年寄「間垣」を襲名し、後進の指導に当たる。

日本文化を学んだ形跡をうかがわせる言葉の数々

 <横綱は現役を退くまでその地位を保障される。しかしその代わり常にその地位にふさわしい相撲内容や成績を求められる。もしそれが叶わなければ、たとえ理由がケガや健康上の問題あれ、若くても引退という選択を自らとらざるを得なくなる。負けたら、それなりの番付で相撲をとれる大関とは重みが違うのだ><横綱はただ勝てばよいというわけではなく、「勝ち方」も問われる立場にある>

 大横綱双葉山の著作を熟読し、尊敬する大鵬からの教えに感謝する言葉も並ぶ。「四股」「てっぽう」「すり足」など稽古の重要性を強調する一方、本場所前の「土俵祭」の神事としての意味や、なぜ横綱は土俵入りをするのか、など大相撲の細かな所作についても勉強の跡をうかがわせる。日本の文化としての大相撲の理解は相当進んでいる。こうも書いている。

 <私は入門してから、親方や先輩力士、後援者、相撲協会の人たち、取材に来る記者、その他さまざまな人たちと話をする機会があった。(略)そのたび相撲道や日本文化、伝統について聞いて勉強してきた。(略)相撲の本質を知るにつれ、強いだけではいけないのだ、ガッツポーズもやるべきではないということがわかってきた>

 <そもそも「横綱」とは、横綱だけが腰に締めることを許される綱の名称である。その綱は、神棚などに飾る「注連縄」のことである。(略)横綱というのはそれだけ神聖な存在なのである。(略)こういう立場の力士に、「品格」が必要なのは明らかなのである>

大相撲「冬の時代」の中で戦い続けた

 同書の「序」は、10年7月25日、名古屋場所千秋楽の結びの一番、大関把瑠都との一戦から筆を起こしている。14日目まで勝ちっぱなしで、同年1月の初場所14日目からの連勝を「46」まで伸ばしていた白鵬は、左からの上手投げで把瑠都の巨体を土俵に這わせた。

 3場所連続の全勝優勝で、連勝記録は「47」に伸びた。白鵬にとって通算15度目の幕内優勝だったが、白鵬にとって、また日本相撲協会にとっても、この場所は「特別な」場所だった。

 白鵬はこの時の優勝について、同書の中でこう書いている。

 <表彰式では、涙が止まらなくなった。(略)天皇賜杯の授与がないことは事前に知らされ、理解していたつもりだったが、実際に賜杯がないことを目で確かめた瞬間、無性にさびしく、悔しく、悲しかったのである。天皇賜杯とは、大相撲が国技であることの証しだからだ>(同書6〜7頁)。

災難が続く中での「一人横綱」

 またも優勝賜杯はなく、NHKの中継もなし。興行ではないため、ファンに無料で公開した。「技量審査場所」の個人成績は本場所と同様の扱いとなり、13勝2敗で制した白鵬は、優勝回数を「19」に、連続優勝を7場所に伸ばした。

誤解が解けなかった「猫だまし」

 15年11月の九州場所10日目、前日までただ一人全勝で勝ち進んだ白鵬は、関脇栃煌山(現清見潟親方)との対戦で立ち合い、相手の顔の前で両手をパチンとたたく「猫だまし」の奇襲を仕掛けた。ひるんだ栃煌山が改めて前に出ようとしたところを再びパチン。最後は得意の右四つで危なげなく連勝を伸ばした。

 「勝ちにつながって、うまくいった」と笑顔で振り返った白鵬に対し、当時の北の湖理事長は「前代未聞。横綱がやるべきことじゃない」と厳しく批判した。

 「猫だまし」は確かに番付下位の力士が使う奇襲攻撃だが、禁じ手(反則)ではない。日馬富士、鶴竜と2人の横綱が誕生し、「一人横綱」の重圧から解放されたこともあり、人一倍研究熱心な白鵬が、実践で試してみようと思ったとしても不思議ではない。白鵬のショックがいかに大きかったか。13日目から3連敗で優勝を逃し、名誉回復の機会も永遠に失った。
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