「日本サッカーとして進歩は絶対している。そんなに一気には変わらないし、全然ネガティブな結果ではないと思うよ」

 目の前の現実をどう受け止めるかは、中村が言うように、どんな時間軸で見るかによっても変わってくるだろう。

 振り返れば中村がセリエAのレッジーナに渡った19年前は、日本人選手がサッカーの本場ヨーロッパに移籍するだけで国中が湧き立つような時代だった。それが令和の現在、オリンピック代表のほとんどが海外組で構成され、「目標は金メダル」と本気で口にできるところまで来ている。

 自国開催の東京五輪で日本U−24代表が健闘したのは間違いない。しかし、最後は準決勝でスペイン、3位決定戦でメキシコに連敗して幕を閉じた。加えて敗戦の記憶を強くしたのが、MF田中碧(デュッセルドルフ)の言葉だった。

「個人個人でみれば、別にやられるシーンというのはない。でも、2対2や3対3になる時に、相手はパワーアップする。でも、自分たちは変わらない。コンビネーションというひと言で終わるのか、文化なのかそれはわからないが、やっぱりサッカーを知らなすぎるというか。僕らが。彼らはサッカーを知っているけど、僕らは1対1をし続けている。そこが大きな差なのかな」(『スポーツ報知』より)

 サッカーを知らなすぎる----。若手選手が語ったこの言葉を、中村はどう感じたのだろうか。

「"俺が勝負してやる"というのは、トライとしては悪くないと思う。結果として抜けないと、それは周りから言われるよね。メキシコ戦では個々が突っ込みまくって横パスして、(三笘薫が)切り替えて1点とった。ああいうことも起こるから、一概に突っ込むことがいいとか、悪いとかは言えない。

でも、もう少し工夫して突っ込む時と、外から上がってきた選手を使う時があってもよかったと思う。酒井(宏樹)君が右サイドを上がってきて、待っていることが何回もあった。うまく使えればよかったよね。それがうまいのがメキシコとスペイン。ここが差か......というのがわかったと思う」

 中村自身、世界との距離感を知らしめられたことが、サッカーを追求する原動力のひとつになっている。

 2002年日韓W杯の日本代表メンバーから土壇場で外れ、自身をレベルアップさせようとイタリアのレッジーナに新天地を求めた。それからスコットランドのセルティックで経験を重ね、迎えた2006年W杯ドイツ大会。グループリーグ最後のブラジル戦で、世界トップに猛烈な差を見せつけられた。

「レベルが全然違うなって感じて、『ブラジルはサッカーが染みついている』という言葉を使った。とにかく引き出しが多かったから。東京オリンピックの日本代表も、そんなことを感じたんじゃないかな」

 1993年のJリーグ誕生以降、日本サッカーは急速に成長してきた。それはW杯で3回達成したベスト16という結果に表れているだろう。

 一方、W杯の常連となったなか、どうしても越えられない壁がある。昨年には世界とJリーグの差について内田篤人(元鹿島アントラーズ)が引退会見で口にし、酒井高徳(ヴィッセル神戸)のインタビューも話題になった。それ以前には、2015年から2018年まで日本代表を率いたヴァイッド・ハリルホジッチは選手たちに"デュエル"を強く求めている。

 果たして中村の目に、世界との距離感はどう見えているのか。

「まず、日本代表とJリーグは違うからね。ましてや今、代表は海外組がほとんどだし。そのなかで日本代表の選手たちは海外の考え方をわかってきたと思う。たとえばデュエルも、ボールをずっと持っていれば関係ないし。チームで相手をハメてパスカットすれば、デュエルは関係ないしね。

8/20(金) 6:35 スポルティーバ
https://news.yahoo.co.jp/articles/22aea2624617eb8937b24aa0e875f7089c19045a

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