0001征夷大将軍 ★
2021/06/28(月) 21:02:37.21ID:CAP_USER9https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/rikujo/2021/06/27/e/index.php
(略)
―― 中学校時代は塾にも通っていましたか?
「小学5年の終わりから引っ越す前の中1の1学期までは、静岡の地元の塾に、京都に移ってからは、いわゆる大手の進学塾に通いました」
――中学校で成績優秀だったのでは?
「はっきり覚えていないのですが、だいたい学年で5番ぐらいだったと思います」
―― 高校受験では、毎年京都大学に数十名の合格者を輩出する進学校・京都市立堀川高校を受けることになりますが、当時、堀川高校にはどんなイメージがありましたか?
「何て言ったらいいんですかね......。シンプルに行きたい高校でした。ちょっと変な言い方をすると、偏差値が高いという点は魅力でしたし、実際毎年たくさんの京大合格者を出している。だからこそ目指そうと思ったのは事実ですね」
―― そして、堀川高校の陸上部で、競歩と出会うことになるんですね。
「高校に入学するまでは競歩がどういう競技か知らなかったですし、大会などを見たこともありませんでした。それで高校で陸上部に入り、先輩がやっていたこともあって、何やら競歩という種目があるらしいことを知ったんです(笑)」
―― それ以降、競歩の魅力にどんどん引かれていったと。
「高校入学当初は中学同様、長距離をやっていたんですが、練習の一環として、競歩のトレーニングをやる機会がありました。その練習に取り組むなかで、『体をこういうふうに動かしたら、こんな動きができるんだ』という発見があって。それで興味を持ちましたね。僕の場合、競歩を知ったのと、やり始めたのはほぼ同時でした」
―― はじめるやいなや、1年生の8月に出場した京都府新人戦で優勝、近畿大会では4位入賞。2年のインハイで2位、3年のインハイで優勝、さらには2013年の世界ユース陸上競技選手権大会で金メダルを獲得するなど、輝かしい成績を残しました。
「競歩をはじめて以降、本当に無我夢中で練習に取り組んでいたので。それが成績に表れたんだと思います」
―― とはいえ、競歩の成績が右肩上がりになって熱中していく反面、勉強がおろそかになりそうな気がしますが、山西選手は、そこをどのようにクリアしましたか?
「高校の授業では毎回、多くの科目でそれなりの分量の課題が出ていました。それを真面目に取り組んでいたことで、最低限の学力はついたのかなと。高校時の勉強は授業が基本でした。
もちろん、大会が重なった時なんかは、授業を欠席することもありました。その場合は、まわりの友達に授業の内容を聞くなど協力してもらって、(授業で)押さえるべきところは押さえるようにしていました」
―― つまり、授業中は勉強に、部活中は競歩に集中していたと。口で言うのは簡単ですが、これがなかなか難しいんですよね......。
「部活の時間は、1時間半から2時間ぐらいと短かったので、生活のメインはあくまで勉強。その中に部活が入ってくる感じでしたね。だからこそ、短い部活の時間で、いかに練習の質を高めていくかということは、いつも考えていました」
―― その「質」を勉強にも求めたことが、京都大学工学部の現役合格にもつながるわけですね。
「勉強にはある程度の量、時間も必要だと思いますが、遅くても日付を超えるか超えないかぐらいの時間には寝るようにしていました。毎日7時間ぐらいきっちり寝て、その日その日で気持ちを切り替えたのがよかったのかなと思います」
―― ちなみにどのくらいの時点で、京大に現役合格できるかもしれないと思いましたか?
「不思議なことに、3年になって1回目に受けた模試で、京大はC判定(合格可能性50パーセント程度)が出たんです。でも、それから秋、冬まで、ずっとE判定(合格可能性20パーセント程度)でした。夏のインハイや国体に出ると、本格的に勉強できるのは3年の2学期以降になるので、多少の焦りはありました。
ただ、いきなり背伸びをして過去問に手を出すよりも、基本的なところを押さえる必要があるなと。(基本的な問題で)取りこぼしをしないように、特に物理と化学は11月くらいまで、基礎固めに時間を費やしていた記憶があります。その結果、京大の過去問に取り組むのは初冬頃からになりましたが、基礎を固めたおかげで、年末以降はまたC判定が出るようになりました。センター試験や2次試験の間際になって、ようやく(受験の)準備が間に合った感じでしたね」