会社員にとって避けられない人事異動の瞬間は華やかにテレビ画面を彩るアナウンサーたちにもやってくる。高倍率を勝ち抜き、フジテレビに入社。カメラの前で活躍後、他部署に移り奮闘中の元「ニュースの顔」たちを追う今回の連載。2回目に登場するのは現在、広報局企業広報部副部長として日々、取材の窓口として奔走する春日由実さん(46)。「とくダネ!」などで魅力的な笑顔を見せてきた春日さんは今、現役アナの魅力を各媒体に届けるプロの広報ウーマンになっていた。(構成・中村 健吾)

 1997年4月、1000倍を越えるとも言われる倍率を突破してフジのアナウンサーになった春日さん。
 「20代、30代、40代でアナウンサーは働き方が変わってくると思います。求められるものも違いますし、私なりに挫折を感じることもありましたし、葛藤もありました。『どんな状況でもカメラの前に立ったら自分が一番と思ってやりなさい。そうでないと視聴者には伝わらない』と先輩に教わりました。人とは比較しない。カメラの前に立ったら、どんなに短い時間でも、私が一番だと魔法をかけるつもりで仕事をしていましたね」

 入社3年目にスタートした朝の情報番組「情報プレゼンター とくダネ!」のプレゼンターや「FNNスーパーニュースWEEKEND」キャスターなどを務めてきたベテランに広報への異動の内示があったのは、入社20年目の17年。42歳の夏だった。
 「ある日突然だったので、もちろん、ビックリしました。カメラが回っているわけでもないのにものすごいリアクションをしてしまって。『え〜!? 私ですか?』って。あまりに大きなリアクションだったので、内示を告げた局長も思わず『もう1回、確認するね』って。もちろん、間違っているわけがないのですが、本当に驚きましたね」

 しかし、春日さんには入社当時の自分の言葉に“責任”を持つ必要があった。
 「会社の判断なので、サラリーマンである以上は会社が決めたことに『はい』と言うしかない。アナウンサーはタレントではなく、サラリーマン。河田町でアナウンサー試験を受けて、お台場1期生として迎えたここ(台場)での入社式で話したことを今でも覚えています。『美貌があるわけでもアナウンス技術があるわけでもなく、特に取り柄もない私を採用してくれて。ご縁があって入社するのですから、一生ここで働く所存です』と。なので、会社が異動の判断をしたのならば、素直に受け入れるのみ。この歳で自分を変えることは簡単ではないけれど、サラリーマンは環境が変わるきっかけを、会社が与えてくれるものなのだと」

入社した年に出会い、02年に結婚した同局プロデューサーの夫からも「アナウンサーとしての気持ちだけは切らないように。今までの経験を簡単に捨てるな。むしろ、どう生かすかくらいに考えたほうが良い」と助言された。女性アナの大先輩・吉崎典子さん(59)が異動する際に話した「置かれた場所で咲きなさい」という言葉も心の支えになったという。
 「アナウンサーとして20年間務めて得てきたものは、私の財産。これを生かそうと、気持ちを切り替えました。前を見るしかないですからね。フリー転身ですか? 一切、考えなかったですし、フの字も思い浮かばなかった」

 「女子アナ30歳定年説」などの言葉も存在する中、42歳での初めての異動までの20年間を、こう振り返る。
 「これまで学生だったのに、アナウンサーになると、数か月後にはカメラの前に立って、フジテレビという看板を背負って仕事をしなくてはならない。求められること、残さなくてはならない結果も含め、そのプレッシャーや責任というものは、とてつもなく大きかったですね。20代を、とにかくがむしゃらに走り続けるのは、どの業種も一緒ですが、1日3ネタくらい取材して家に帰って、そのまま玄関で寝ているなんてこともありました。走り続けて、ちょうど30歳くらいで自分のこれからの人生の道筋を考えるんです。働く女性が結婚して子どもが欲しいとなった時、家庭を選んだり、自分のペースで仕事ができる環境を選んだり、様々な選択肢がある。それが世に言う30歳定年説かも知れませんね」

全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/4ba0e5d6228010f425dba41ff8e429f40422d622
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