これが全権監督の凄腕人事だ。
原辰徳監督(62)は12日、球団OBの桑田真澄氏(52)とともにリモート会見に出席し、同氏の投手チーフコーチ補佐就任を発表した。

今季コーチ陣の発表を済ませながら、年明けにコーチを追加するのは異例だが、意中の相手が一時は原監督と関係がこじれ、15年間も現場を離れていた桑田氏というのがさらに衝撃だ。
超大物OBの電撃入閣の裏側には、就任2年目の阿部慎之助2軍監督(41)への政権移譲が、時期尚早という冷徹な判断があるとみられる。
(中略)


桑田氏も「大変やりがいのあるお話をいただきました。OBの1人として少しでも力になりたいと思いお引き受けしました」と微笑み、
原監督からのオファーを「うれしかった。その一言に尽きます」と振り返った。


両者の一時期の関係性を思えば、隔世の感がある。
桑田氏は2軍暮らしが続いた2006年、球団公式ホームページ上の自身のコラムで唐突に退団を示唆。

第2次政権1年目の原監督は事前に全く相談がなかったことから不快感をあらわにしたが、本人は1軍で出場機会に恵まれない不満を述べつつ、他球団でのプレーに意欲を示すなど亀裂は決定的となった。


◆確執乗り越え

一方で米大リーグ移籍が決まると、当時巨人球団会長の渡辺恒雄主筆が「武者修行やってきてくれ」と電話で伝え、「コーチでもフロントでもいい」と将来的な構想を語るなど、親会社の覚えはめでたかった。
翌07年の現役引退後、読売グループのテレビ局、スポーツ紙で評論家を務めて古巣との縁は保っていたが、原政権のうちは復帰は難しいとみられていた。

近年はキャンプ取材に訪れたりテレビ中継の放送席で原監督と共演したりと雪解けの気配もあったが、このタイミングで声がかかるとは本人にも全く予期していなかった模様だ。
すでに埋まっているスケジュールに、原監督は「今年の真澄自身は仕事が残っている。そこは大事にしてもらいたい」と配慮を示した。


そこまでして昨年末に指揮官を、急転直下の桑田氏入閣に駆り立てたものは何なのか。
再々登板から2年連続、ソフトバンクとの日本シリーズで全敗してシーズン終了。

今季の3年契約満了をもって阿部2軍監督への政権移譲を考えるなら、ヘッドコーチに配転して1軍ベンチの自分の横に置き、実地訓練させるのが常道だ。
昨季も元木ヘッドが虫垂炎で離脱中、阿部2軍監督を呼んでヘッド代行を任せ、将器を見極める機会があった。


ところが今季も阿部2軍監督は留任。
全権監督は常勝ホークスとの力の差を認めたうえ、盟主奪回の使命を託すにはまだ荷が重いと判断したとみられる。

将来的な禅譲に向け阿部2軍監督の投打の腹心である村田、杉内両コーチを1軍に引き上げ布石を打ったものの、このシナリオで盟主の座を取り戻す確信までには至らなかったのだろう。
並行させる形で新たなシナリオが発動。宮本、杉内両コーチの間に桑田氏をねじ込むに至った。

これで次期監督の予報図は激変。
62歳の原監督、41歳の阿部2軍監督の間の空白の年代に、52歳の桑田氏がすっぽり収まった。

優先順位は明白だ。
いちコーチの就任会見を監督と2人きりで行ったこと自体、重大なメッセージを持つ。
原監督の「ジャイアンツは90年近く歩んで、つなげるという部分がとても重要。その一端を、桑田真澄にも役割を持たせたい」という言葉は意味深長だ。

自身が最も敬愛する藤田元司監督のイズムを次代に継承させるなら、現役時代にともに支えた桑田氏の方が適任といえる。
背番号も藤田監督が着けていた「73」を用意。同じ師を仰ぐ同志として、過去の因縁は氷解した。


◆水と油の哲学

阿部2軍監督にとってはポスト原レースに突如、強大なライバルが出現した形。

しかも指導哲学は対照的だ。若き2軍監督が掲げるのは昭和の野球。
スパルタ式の猛練習、惨敗後に選手に課す罰走などが一部ファンやメディア、果てはダルビッシュらスポーツ各界からも批判を浴び、球団や親会社にも心配する声がある。


一方の桑田氏は開明派。
この日の会見でも「われわれの時代はたくさん走って、たくさん投げろという時代だった」と振り返りつつ、少年野球の指導や大学院での研究などを経て「昔の指導法とはギャップがある。今の時代に一致させていくことがすごく大事」と語った。


水と油ともいえる後継候補2人の間で、どんな化学反応が起きるのか。
原監督はもちろん、ファンも大いに楽しみとするところだろう。


https://news.yahoo.co.jp/articles/6a86494136b272326fea29714b506337a39b1c14